マンションの内覧会の同行に数多く行かせて頂きました。興味深いのは、お客様が最初にどのようにお部屋に入るかです。ご夫婦の場合ですと、やはり、一番に入るのは奥様が多いです。お二人でマイホームを買おうかと思い立って、こっちにしようか、あっちにしようか、値段、場所、間取りなどを調べて、最後はここにしよう、とお決めになった大事なお部屋です。そのお部屋に、奥様を先に入れる、こうすれば問題はないです。
写真のお二人さんも、「おまえ、先に入れよ」とご主人が奥様に言って、奥様が玄関ドアを少しずつ開けました。外で待っているご主人は、やはり、中が気になるのでしょう、身を乗り出して、部屋の中はどうかな?という感じです。このお二人の気持ちが、とても可愛らしくて、写真を撮らせて頂きました。
このお二人さん、玄関ドアを、ゆっくりと開いて、部屋の中へと入って行きました。そこで、「なんか思ってたより、リビング狭いね!」が第一声となりました。リビングに入ると、少し現実に戻るのでしょうか、結構、こう言われる方が多いです。(881)
写真は、ドライヤーで蚊に刺されてかゆい腕の部分を熱しているところです。かゆくなると、どうしても強く掻いてしまいます。かゆみがなくならないのもいやですし、何度も掻いてしまうと、刺されたところの皮膚が痛みます。蚊やダニなどに刺されてかゆいと思ったら、ドライヤーの使用をお勧めします。
使い方は、極めて簡単、写真のように、かゆいところに向かって、ドライヤーを5㎝程離して、少し熱さを感じるくらいまで、ドライヤーの熱風をかけるだけです。そうしますと、かゆみは一瞬にして引いていきます。カユミがなくなれば、皮膚を掻かなくて済みますので、皮膚はいたみません。ドライヤーをかけてから、数十分経ちますと、再度、かゆくなる時もありますが、その場合は、同じ動作を繰り返せばかゆみは取れていきます。
なんで、ドライヤーの熱を与えるとカユミが引くのか、理由は分かりませんが、恐らくカユミを起こしているものを熱で殺してしまうからだと思います。結構、このドライヤー、蚊やダニに刺された場合以外にも、水虫など皮膚がかゆいと思ったら、効果があると思いますので、ためしてみて下さい。(484)
どんなところにも縄張りというものがあります。縄張りを隔てているのが境界線です。境界線の内側か外側か、これが大問題となります。野球でも、ボールの飛んで行った先が白い境界線の内か外か、ファールかホームランか、運命の分かれ目です。
さて、時は江戸時代、江戸城の周りも境界線が明確に定められていたそうです。お城の周りには多くの藩のお屋敷が並んでいました。例えば、薩摩藩と長州藩のお屋敷が隣り合わせだったとしましょう。それぞれの藩の境界には高い塀がありました。屋敷の前には道路があります。道路には塀は作れませんので、道路の清掃などの管理については、敷地の境界線である塀の位置を道路にまで延長し、その延長線上の範囲は道路に面する藩が行うこととなっていました。
当時は、物騒な世の中で、刀で斬られ、道に倒れている人もいました。この人の処理も境界線に従って行われました。薩摩藩の前の道で倒れていたなら、薩摩藩が片づけ担当です。薩摩藩と長州藩の境界で倒れていた場合は、その人の足がどちら側にあるかで、片付ける方を決めました。倒れている人の頭が薩摩藩で、足が長州藩なら、長州藩が片付け担当です。
でも、いろんなケースがあるものです。例えば、倒れている人の右足が薩摩藩、左足が長州藩の場合はどうでしょう。こういう場合も、ちゃんと規定がありました。この場合は、男は左足がある藩が、女は右足のある藩が、片づけをしました。男と女では、どういうわけか左右が逆になっています。なにかそれなりの理由があるのでしょう。世の中には、見えても見えなくても、境界線というものがあるのでしょう。自分と相手の境界線をしっかりと認識して、お互いに楽しく暮らしていきたいものです。(710)
時は流れても、誰しも、忘れられない思い出話というのはいくつかあるものと思います。もう40年程前のある夏の日のこと、イラクから、日本のコンクリート産業を視察するために、イラク人技師10名が来日しました。そのイラク人達を東京近郊のコンクリート工場に案内することになりました。
汗をかきながらの工場見学が終わって、駅近くの食堂でお昼ご飯となりました。食堂に入ると、お店の人が来て、壁に掛けてある小さな黒板を指差しながら、「ここに書いてあるメニューは、今日、半額です」と言いました。一同、腹ペコで、ちょうど人数分ぐらいだったので、「じゃあ、それを1個ずつ全部」と注文しました。
皆さん、待ちに待っての昼食で、おいしい!おいしい!と言いながら、アッと言う間に残らず食べちゃいました。私も満腹になって、落ち着きを取り戻し、何気に先ほどのメニューを見てました。そして、一瞬、目が点になりました。半額のメニューの一つに「酢豚」と書いてあるのです。
イラク人はイスラム教徒ですから、絶対に豚肉を食してはいけないのです。これは夢であって欲しいと思いました。でも、目の前で、ヒゲ面のイラク人が満足そうに笑っているのが見えます。こうなったら、兎にも角にも1秒でも早く、この店を立ち去ることしか頭にありませんでした。店を出る時、食堂の横には、ひまわりが咲いてました。
40年前、はるばるイラクから日本にお出で頂いた方々、イラクはいろいろとありましたが、今でも、皆様お元気でしょうか?あの時は、酢豚の件、ウッカリしていてゴメンナサイ、もう時効と勝手に決めて、ここに白状してお詫び申し上げます。これで気持ちが少し楽になりました。
明けまして おめでとう ございます。
旧年中はブログに訪問して頂きましてありがとうございました。今年も頑張って、一戸建てやマンションの内覧会や住まいに関する記事を書いてて行こうと思っています。今年の一年の計は、「励まし合って、人の心に火をつける」としました。真っ青な空の下、新しい希望の年を迎えました。本年も、何卒、宜しくお願い申し上げます。
人は誰でも、いずれは老いて、体力も落ち反応も鈍くなって行きます。家の中で転ばないように、転ばぬ先の杖、何かの対策が必要になってきます。厚労省の調査によりますと、2010年に「家庭内の不慮の事故」で死亡した65歳以上の11,429人のうち、家の中の平面上で転んだ人は1,278人、階段などで転んだ人が317人とのことです。家の中で転んで命を落としてしまう年配者が多くいることがわかります。
転びやすいところは、居間、廊下、階段、お風呂、玄関などです。トイレに向かって急いでいる時、夜中などの眠気がある時間帯、お酒を飲んだ時、体調がすぐれない時など転ぶ危険性が増します。左のイラストは転倒防止策を示したものです。すぐできる対策としては以下があります。
➀部屋の中の整理整頓。
➁スリッパを避ける。素足が感覚がつかめ滑りにくい。
➂階段のステップの先端に光るテープを貼る。
➃段差には「すりつけ板」と呼ばれる三角形の板を添える。
➄階段やお風呂など転倒の可能性が高いところは手すりを付ける。
以上は防止策なので、事故が起きる前に、対策を実施することが大事と思います。
いつの世でも、子供でも大人でも、ほめられることが心の支えになるものです。新聞に「こんな言葉でほめられたい」というアンケート調査結果がありましたので、ご紹介します。
左の表が、ほめられたい言葉の1位から5位までです。この後には、6位:教養がある 7位:アイデア豊富 8位:優しい 9位:品がある 10位:若く見える、が続きます。
何でも良いから、このような言葉を言えば良いかと言えば、そうではないとのこと。やはり、状況に応じた適切なほめことば選びが大切になります。そのためには、相手に関心を持ち注目すること、そして、観察力と表現力とを普段から磨いておくことだそうです。相手の良いところを見つけようとする気持ち、そして適切な言葉選び、こうすればほめ上手になれるとのことです。「確かに、頭いいね、笑顔もいいね、センスもいいじゃん!」と言われて怒る人はいませんね。
大勢の人を前にして、上手に話す、これは難しいです。私も、上がり性なので、人前で話すのが大の苦手です。人前で、話し上手になる記事が新聞に出てましたので、ご紹介します。上がらないで話すようになるには、話す内容を3部構成に整理しておくことが大事だそうです。
何かの会で自己紹介をする場合、➀動機(その場になぜ参加したのか) ➁抱負(何を求めているのか) ➂よろしくお願いします、となります。例えば、歩こう会に入り、自己紹介になった場合、こうなります。
➀「新聞で会を見つけました。運動不足が気になっていたので、よいチャンスだと思いました」
➁「一人だと難しいけど、みなさんと一緒なら続けられそうです。3キロぐらいは楽に歩けるようになりたいです」
➂「飲むのも好きなので、そちらでも仲良くなれればと思います。よろしくお願いします」
また、会合で報告を求められる場合の3部とは、①計画 ②実績 ③分析 となります。例えば、盆踊り大会の収支報告をする場合、
➀「収支計画は、収入15万円、支出10万円でした」
➁「実績は、収入15万円、支出10万円で5万円残すことが出来ました」
➂「寄付が多かったからです。皆さんが多くの人を呼んでくれたからです。ありがとうございました」となります。
結婚式のスピーチも、3部構成で、①お祝いの言葉 ②ほめる ③励ます、に分けて考えると良いそうです。以上の3点を押さえたら、話す練習が必要になります。何もせずにいたら、うまく話せるようにはなりません。雑談は出来ても、スピーチは別の技能で、練習するしかないとのことです。
旧年中はブログに訪問して頂きましてありがとうございました。今年も頑張って、一戸建てやマンションの内覧会、並びに住まいに関する記事を書いて行こうと思います。青空の下、新しく明けた希望の年、何卒よろしくお願い申し上げます。
ある日、友人から電話が来ました。「番場さん、テレビに出て、モデルルームの見方を説明して頂けないですか?」というものです。内覧会やモデルルームの立会いにも、数多く行きましたが、やはり、テレビと言われると、緊張します。出来るかな?と思いましたが、これも経験、どうにかなるだろう、と考えて、引き受ける事に致しました。収録される場所は、東京の大型マンションのモデルルームと決まりました。
収録当日、テレビ局のスタッフと下打ち合わせを何度か行い、いよいよ、テレビカメラが回り始めます。ライトが当てられ、横にいる若い女性キャスターが、「それでは、今日は、モデルルームの見方をご紹介します。この道のプロである番場さんをご紹介します!」と言い出しました。一応練習はしてましたが、ライトが点いて、カメラが回り始めると、頭の中は真っ白になりました。案の定、カットとなり、もう一度、画面への出方、最初の言葉のやり直しとなります。でも、何度もカットを繰り返しながらも、少しずつ、撮影は進んで行きました。撮影は2時間ぐらい、イヤハヤ疲れました・・・
それから、3週間程たって、電話が来ました。「番場さん、明日の朝放映になります、TBSで、バードアイという早朝の番組です」とのことです。そして次の日、家族中が朝早く起きて、テレビをつけて、今か、今か、と待ってました。待つこと、数十分、出てきました、出てきましたが・・・ 15分ぐらいで終わってしまいました。「2時間ぐらい収録したんだけど、こうなってしまうんだね・・・」と私が言うと、「これだけ?まったく朝早くから・・・ひ・と・さ・わ・が・せ・・・」という感じで、家族はまた無言で眠りにつきました。(72)
旧年中はブログに訪問して頂きましてありがとうございました。今年も頑張って、一戸建てやマンションの内覧会、並びに住まいに関する記事を書いて行こうと思います。今年の一年の計は、「人の気持ちを知る努力」としました。青空の下、新しく明けた希望の年、何卒よろしくお願い申し上げます。
人は生まれる所も親も選べません、人生の始まりは運命次第です。そこから生きていく道のりの中で、いろいろな巡り合わせがあります。様々な人生の道を歩んだ後の、次の世界のことをぼんやりと考えてみました。
中国やエジプトの、かつて王様だった人のお墓の中には、大勢の付き人がいます。日本でも埴輪は、死んでも寂しくなかろうと死後の道中のお付の人達なのでしょう。こういう過去の偉い人たちは、自分が生きたように、また、未来も生きて行きたいと願うものなのでしょう。
でも、死んでしまったら、全く、別のものになってみたい、という気持ちもあります。今の自分、家族、友人、そして一緒に遊んでくれる人達、みんな大事だし、生きがいもあります。でも、こういう状況が未来永劫続くのもどうだろう?そうなったら楽しいのかな?と考えてしまいます。
人生振り返ってみて、今後も考えてみると、今の自分でないもの、今の環境から離れた存在、こうなってみたい、このような気持ちも心の中にあるような気もします。自分が望んできたようには生きて来れなかったし、こういう自分が、いつまでも続くのは、ちょっと待って、とも思ってしまうので・・・
部屋の番号を確認して、静かにノックをすると、中から、「あなたー?」と聞きなれた声がしました。なんか、アテネではなく、普通に会社を終わって、家に帰った時のような感じです。ドアが開くと、寝巻きを着て、眠そうな顔のワイフが立っています。映画なら、ここでしっかりと抱擁の場面になるのでしょうが、極めて、現実的なやり取りが、続きます。「イヤー、ぐっすり寝てたよ。さっき、ホテルの人から電話があって、来ると聞いたよ・・・」眠そうな顔をして、目をこすりながらワイフは言いました。
部屋の中を見ると、壁に細いロープなんかかけて洗濯物が干してあります。そして、「北の方のペンペン草が生えている名前の難しい空港に着いて、そこから、延々とバスで来たよ。ずいぶんと田舎だったよ。道中、たくさんの羊と黒いマントを着た羊飼いを見たよ。おとぎ話に出てくるような、なんとも味がある風景だった。こういうのは普通見られないから得したよ。もう会えないと思って、明後日、成田に帰る便を予約したよ。疲れたから、お風呂に入って、洗濯して、早めに寝たよ・・・」だって。
私は、今朝の空港のストライキ、テッサロニキ空港に行ったのではないか、口ひげのおまわりさん、ミスタイプの電話帳など、いろんな今日の出来事を話しました。それらを聞きながら、ワイフは、「あっそー、そりゃー大変だったね・・・、私も疲れたよ・・・話は明日だ・・・眠くてダメだ・・・」と言いながら、目をつぶってしまいました。 私は、干してある洗濯物を見ながら、「女の人と言うのはすごいもんだな。こっちは、早朝から、もう一生会えないかもしれないなんて考えながら、どうにか探そうと必死だったのに、なんかバカみたい・・・明日起きたら、あの銀行に行ってお礼を言わねば・・・」なんて心の中でつぶやいていました。こうして、長いアテネの12月28日は終わって、外は、29日の朝がうっすらと始まろうとしています。(ワイフはどこに・・・ 完)
ホテルのフロントの男性は、親切にも、正しい電話番号をメモに書いて、私に渡してくれました。そのメモをもらって、再度、自分の部屋に戻って来ました。アテネ市内の約50あるファイブスターホテルに、一つを除いて、全部電話をしてもワイフは探すことが出来ませんでした。疲労感とあきらめの気持ちで、ベットの上に横たわり、天井を見ながら呆然としてました。 先ほど、フロントでもらった小さなメモは机の上にあります。そこにいるとは思えないけれど、まあ、今日の最後の電話をしてみよう、と思って、ダイヤルを回しました。
また、日本から来ているワイフを探していると、何度も話した同じセリフを繰り返しました。すると、電話の相手の男性が、話を聞き終わると、あなたの名前は?と聞いてきました。今まで、このような反応のある受け答えはありませんでした。 私の名前を聞き終わると、ちょっと待って、と言われました。
そこで、ひょっとして、と今までの疲労感が一挙に消え去っていきました。待つこと、数十秒・・・ 受話器の向こうから、あなたの探している女性はここに泊まっている、と聞こえてきました。私は、それを聞いて、今から、そちらのホテルに伺うので、ワイフに連絡をして下さい、とお願いしました。時計を見ると午前4時でした。 ホテルの名前と住所を確認して、私は、部屋から飛び出しました。ワイフの泊まっているホテルの名前と住所を、私の宿泊しているホテルの受付に見せて、このホテルはどの辺りにありますか?と聞いてみました。ホテルの受付の人は、これは近いよ、このホテルの斜め向かいのあのホテルだよ、とロビーの玄関のガラス越しに教えてくれました。
私は、そのホテルに向かって、早朝のアテネの街を小走りで行きました。その間、こんなこともあるんだな、朝から探しに探して、挙句の果ては、電話帳に一つ残ったミスタイプのホテルにいて、そのホテルがこんなに近いとは・・・ そこで、ふと、さっき、「お前は最も不幸な人間だ」と言った、口ひげのおまわりさんの言葉と顔を思い浮かべました。ホテルのロビーに着くと、受付の人が待っていて、「電話の人ですか、奥さんのルームナンバーはここだよ」と、微笑みながら言ってくれました。私は、エレベーターに乗って、部屋に向かい、部屋のドアをノックしました。(その8に続きます)
観光警察の事務所を後にして、ホテルに戻ってきました。ホテルの受付で、カギをもらう時に、アテネ市内のホテルの電話帳を貸してもらいました。自分の部屋に入って、その電話帳をビールを飲みながら、めくってみました。電話帳の厚さは約1㎝、最初のページに目次があります。目次には、ホテルの格に応じて、5段階に分かれてホテル名が記載されています。ファイブスターホテルは約50、フォースターホテルは数百、スリースターになりますとすさまじい数のホテル名が並んでいます。それを見ながら、ファイブスターホテルだけ電話で確かめてみよう、と決めました。
電話帳に並んでいる順番に電話をかけ始めました。ホテルというのは結構用心深いところで、宿泊客がいるかいないかを聞いてもすぐに答えてくれません。ですので、ホテルに電話をかける度に、こういう訳でワイフを探していると言うことを伝えなければ、確認してくれません。こっちは急いでいるのですが、都度都度、経緯を説明するのも面倒なものです。
約50あるファイブスターホテルに電話をし始めて、半分ほどかけましたが、どこのホテルからも、そういう女性はいません、という返事でした。少し休んで気を取り直して、また、電話をし始めました。結局、数回かけてもつながらない一つのホテルを除いて、約50あるファイブスターホテルの全てに電話をし終ってもワイフは見つかりませんでした。時計を見ると、午前3時となっています。
イヤー、もう疲れたし、フォースターは数百あるので、とても電話をする気にならなくなりました。そして、借りた電話帳を受付に返しに行きました。そこでお礼を言って、一つだけ電話がかからないホテルがあることを尋ねると、ちょっと待ってと言って調べてくれました。しばらくすると、この番号はミスタイプです、正しくはこの番号です、と小さな紙に書いてくれました。(その7に続きます)