観光警察の事務所を後にして、ホテルに戻ってきました。ホテルの受付で、カギをもらう時に、アテネ市内のホテルの電話帳を貸してもらいました。自分の部屋に入って、その電話帳をビールを飲みながら、めくってみました。電話帳の厚さは約1㎝、最初のページに目次があります。目次には、ホテルの格に応じて、5段階に分かれてホテル名が記載されています。ファイブスターホテルは約50、フォースターホテルは数百、スリースターになりますとすさまじい数のホテル名が並んでいます。それを見ながら、ファイブスターホテルだけ電話で確かめてみよう、と決めました。 電話帳に並んでいる順番に電話をかけ始めました。ホテルというのは結構用心深いところで、宿泊客がいるかいないかを聞いてもすぐに答えてくれません。ですので、ホテルに電話をかける度に、こういう訳でワイフを探していると言うことを伝えなければ、確認してくれません。こっちは急いでいるのですが、都度都度、経緯を説明するのも面倒なものです。
約50あるファイブスターホテルに電話をし始めて、半分ほどかけましたが、どこのホテルからも、そういう女性はいません、という返事でした。少し休んで気を取り直して、また、電話をし始めました。結局、数回かけてもつながらない一つのホテルを除いて、約50あるファイブスターホテルの全てに電話をし終ってもワイフは見つかりませんでした。時計を見ると、午前3時となっています。
イヤー、もう疲れたし、フォースターは数百あるので、とても電話をする気にならなくなりました。そして、借りた電話帳を受付に返しに行きました。そこでお礼を言って、一つだけ電話がかからないホテルがあることを尋ねると、ちょっと待ってと言って調べてくれました。しばらくすると、この番号はミスタイプです、正しくはこの番号です、と小さな紙に書いてくれました。(その7に続きます)
カフェを出て、観光警察の事務所はすぐに分かりました。地方の駅舎のように、玄関の上に赤いランプが点っていて、そのランプが希望の灯りのように思えました。観光警察、日本では聞きなれない言葉ですが、ギリシャは観光立国なので、そのための警察があるのですね。灯りの点る玄関ドア開けると、数人のおまわりさんがいました。事情を話すと、2階にマネージャーがいるので、そこに行ってお話したら、と言われました。 薄暗い階段を上がって2階にいくと、正面に部屋があって、そのドアが開いています。部屋の奥に大きな机があって、威厳のある口ひげのおまわりさんが電話をしています。電話をしながら、部屋に入るように手招きをしています。私は部屋に入っていきました。部屋の中で、周りを見ながら待っていると、電話を終え、「どうしましたか?」と、口ひげを揺らしながら聞いてきました。
私は、日本からワイフがアテネに来ること、でも、空港がストライキで会えなかったことなどを彼に話しました。彼は、私の話を聞き終わると、「お前は、世の中で最も不幸な人間だ。なぜなら、今、ホテルから電話があって、日本から今日来た女性が夫を探していると聞いた。でも、そのホテルの名前を忘れてしまった。ごめんね・・・」と言い出しました。
これを聞いて、私は怒りがこみ上げてきましたが、マネジャーの言い方が優しかったので、我慢をして、ニコッと笑って、わかりました、ありがとうございました、とお礼を言って、警察の事務所を出ました。心の中では、なんだ、あの口ひげは役に立たないヤツだと思いつつ、ワイフがアテネの街の中のどこかのホテルに入ったのを知りました。それでは、これから、ホテルに帰って、ホテルから電話して、探してみようと心に決めました。(その6に続きます)
そして、更にその銀行員の女性は、「さっきから銀行の中に出たり入ったりしていたけど、一体何をしているのですか?」と尋ねて来ました。私は、「済みません、外は寒くて仕方がないので、ここに入らせて頂いてます。実は、ワイフと半年ぶりにアテネ空港で会うことになっていました。でも、アテネ空港のストライキで飛行機が、アテネではなくテッサロニキ空港に行ってしまったようです。空港からはバスで、このシンタグマ広場に到着すると空港で聞いたものですから、こうしてバスが来るたびに外に出て、探しています・・・」と説明をしました。
私の話を聞き終わると、その銀行員は、「そうなの、とっても素敵な話ね、あなたのワイフがどんな人か見たいから、明日会えたら連れてきて。お話を聞いたら心苦しくなってしまったけど、午後9時には銀行を閉めなければならないから」と言いました。私は、その優しい銀行員に、ワイフに会えたら明日来ること、そして待たせてくれたお礼を告げて、お店を出ました。 アテネの街は午後9時を過ぎて、街ゆく人も減り、シンタグマ広場に到着するバスも少なくなってきました。そんな様子を見ながら、もうこれ以上ここにいてもしょうがない、と思い始めました。 外は寒いし、お腹も減ったので近くのコーヒースタンドに入りました。
コーヒーを飲みながら外を見ていたら、おまわりさんが歩いていました。そこで思い浮かびました。そうだ!おまわりさんに相談してみよう。私は、おまわりさんのところに走って行って、事情を告げました。そしたら、そのおまわりさんは、「近くに観光警察の事務所があるからそこに行ってごらん」と言ってくれました。それを聞いて、希望の灯りがポッと灯ったように、私は小走りにそこに向いました・・・(その5に続きます)
アテネ空港からホテルに戻ってきて、ひと休み。今日は、朝早く起きて、アテネ空港に出かけて、ターミナルを行ったり来たり、疲れたので1時間ほどベットで横になりました。テッサロニキ空港からアテネの真ん中にあるシンタグマ広場まで、バスで来るとなると8時間かかるとのこと。そうすると、ワイフがシンタグマ広場にバスで到着するのは午後6時ごろ。午後5時半を過ぎて、また、ワイフを探すためホテルから広場に出かけて行きました。
シンタグマ広場とはアテネの真ん中にある大きな公園で、正面には国会議事堂がドンと威風堂々と位置しています。大きな広場の中も周りも、大勢の人がいるし、到着するバスもメチャクチャ多い。そんなところで、どのバスに乗っているのかも分からず、何の手立てもないのですが、ただ、これかな?あれかな?と思って探すだけしかありません。
12月28日のアテネの夕暮れは結構冷えます。私は常夏の砂漠国のサウジアラビアから行っているので、着ているのは夏物のジャケットだけです。夜になるにつれ、辺りが暗くなって、見えなくなってきました。外にいて、あっちこっちに到着するバスを見なければならないので、この広場を何周もしました。広場には、「日本から来たの?良い店あるよ」なんて日本語で話しかけてくるお兄さんもいました。私が、公園を何周もしてるものだから、同じお兄さんと何度も顔を会わせる事になります。最後には、そのお兄さんが「オマエは一体何してる?まるで広場の番人みたいだな」とまで言われました。
陽はとうに沈み、冷たい冬の夜の風が吹き始め、広場に着くバスの数もだんだんと減ってきました。外で探している間、寒くてしようがないので、広場の角にある銀行に入りました。銀行の中のロビーは暖かく、ガラス越しに広場が見えました。バスが来れば、外に出て行って、バスから降りてくる人を見る、そんなことを繰り返していました。そうしていると、銀行員が、私に話しかけてきました。「さっきからずっとここにいるようですが、ここは午後9時に閉めますよ」と言われました。時計を見たらもう8時50分でした・・・。(その4に続きます)
フランクフルト!どうしよう!と私は途方にくれました。それを見て、ルフトハンザのパイロットは気の毒に思ったのでしょう、「イヤイヤ、フランクフルトはないだろう、テッサロニキ空港に着陸するだろうな」と続けました。私は、それを信じるしかありません。
「でもね」パイロットは続けます。「そのテッサロニキ空港はアテネから700km程北にあるんだよ。そこからアテネまで、飛行機で来るか、バスで来るか分からないね。飛行機ならここからバスで20分程のアテネ第2国内線ターミナルに着くし、バスならアテネの中心にあるシンタグマ広場に着くだろうね。テッサロニキ空港からアテネまでは飛行機なら1時間、バスなら8時間ぐらいかかるだろう」と教えてくれました。
私は、その言葉だけが頼りです。その言葉を神の思し召しと考えて、アテネ空港から第2ターミナルへバスで向いました。テッサロニキ空港からの飛行機は5便ほどありました。お昼ごはんも食べず、飛行機が着く度に目を皿のようにして、ゲートから出てくる人を見つめていました。テッサロニキ空港からの最終便到着は午後4時、最終便の最後の乗客まで見つめていましたが、ワイフを探し出すことは出来ませんでした。
これでは、テッサロニキから飛行機ではなくて、バスで来るんだろうな、と思い始めました。そう思い始めたら、疲れと空腹を急に感じ出して、向こうに見えるコーヒースタンドで休もうと歩き始めました。ぼんやりとサンドイッチを食べ、コーヒーを飲みながら、それでは一度ホテルに帰って、少し休んで、夕方から、バスが到着するシンタグマ広場に出直すことにしよう、と決めて、アテネ第2ターミナル空港を去りました・・・(続きはその3で)
随分と昔の話になりますが、結婚して半年目の6月、中東へ1年間、建設現場に単身で行くことになりました。半年に一度は帰国しても良いという条件でしたので、12月の暮れになったら日本への一時帰国を考えていました。赴任して数ヶ月経ったころ、ワイフから、「新婚旅行も行ってないから、どこかヨーロッパにでも行かない」と連絡がきました。それではギリシャに行こう、となりました。私は、中東から12月26日にアテネへ、ワイフは成田から28日にルフトハンザ機で着く事になりました。
ワイフの飛行機は、12月28日、アテネ空港に、朝の8時20分に到着です。私は、半年振りのワイフに会う為、7時過ぎには空港に着きました。ところが・・・空港に着いて、到着便の案内を見たら、ほとんどがキャンセルと書いてあるのです。一体、何のことか分かりませんでした。そして、案内所に行って尋ねてみると、「アレ!あなた知らなかったの、今日はアテネ空港の職員はストライキなのよ。到着便の詳細はここでは分からないので、地下の航空会社の事務所に行ってみて」と言われました。エー、ストライキ!なんで・・・
これが、その時の私の頭の中の全てです。日本では空港の職員のストライキは考えられませんが、電車はあるので、そうなれば確かに電車の本数も少なくなります。 しかし、ここはアテネです。その時は、しばらく、どうしていいのか分かりませんでした。少し冷静になってみますと、やはり、頼りは航空会社しかないと考え始めました。航空会社の事務室は空港の地下と聞いたので、階段をトボトボと降りていきました。
降りていったら、ルフトハンザのパイロットらしい二人が歩いてきました。そこで、ワラにでもすがる想いで、「昨夜、成田を発った便はどうなりましたか?」と聞いてみました。すると、彼らは顔を見合わせ、「この便は確かに成田を出た、ただ、アテネ空港には到着できないから、ギリシャの北にあるテッサロニキ空港、もしくはフランクフルトに行くようになるだろう」と言いました。なに!フ・ラ・ン・ク・フ・ル・ト!これはえらいことになってしまった、そんな、どうしよう・・・ワイフはどこに・・・(その2へ続きます)
あけまして おめでとう ございます
旧年中はブログに訪問して頂きましてありがとうございました。今年も頑張って、一戸建てやマンションの内覧会、並びにマンション管理に関する記事を書いて行こうと思います。今年の一年の計は、「コロナにうつらない、コロナをうつさない」としました。新しく明けた希望の年、何卒よろしくお願い申し上げます。
ある時、神奈川県厚木市でパン屋さんを開きたいのですが、建築の相談にのって下さい、という依頼がありました。パン屋さんを計画している方は、裏庭で野菜を作り、それを使って美味しい惣菜パンを作るのが夢ということでした。設計図を見せて頂き、いくつかアドバイスをさせて頂きました。この庭で野菜を作り、こちらで調理して、パンを焼く窯はここで、そしてここで焼き立てのパンを売ります!と説明する瞳は輝いていました。
最近、厚木に行く用事があり、そのパン屋さんに寄ってみました。パン屋さんをオープンして1年ほどが経ちますが、立派に営業されていました。お店の名前は、「Pe're Lachaise:ペールラシューズ」です。こだわりの総菜パンは、みんな魂がこもっていて美味しいです。特にパンの生地の歯ごたえが素晴らしいです。写真が、そのお店とオーナーです。女性一人で、こだわりの野菜を作り、調理し、パンを焼いています。お近くに行った際には、是非、お味見をお勧めします。このパン屋さんの住所は、神奈川県厚木市飯山2979、電話は046-215-0860です。
写真は千葉の浜の夕暮れ時、水平線に落ちていく夕陽です。夕陽を見ながら、随分と昔のことを想い出しました。初夏のある日、父と母と私と弟の4人で千葉県の谷津の海岸に潮干狩りに行きました。当時、私は6歳で弟が4歳でした。4人で海に向っていると、やがて、総武線の踏切が見えてきます。この踏切を渡れば、もう海は近いです。
踏切に来たら、信号が鳴っていて、4人は止まりました。ここの踏切には、当時、遮断機はありませんでした。右側から電車がガタンゴトンと目の前を通って行きました。私は、電車が行き過ぎたので、踏切を横切ろうと入って行きました。そして、何歩か歩いた時に、後ろからすごい力で踏切の外へ押し出されました。私は何がなんだか分かりませんでした。
押し出されてから後ろを振り向くと、父親が居て、その向こうには、急ブレーキをかけたのでしょう、止まりつつある電車が見えました。電車が止まると、運転手が運転席の横の小窓からニョキっと顔を出してこちらを振り返って見ました。その電車の運転席の小窓と運転手の顔は、今でも脳裏に焼き付いています。
踏切で右から来た電車が通り去った、もう平気と、私は左を見ずに、踏切に入って行ったのです。そしたら、左からすれ違いに電車が来ていたのです。父は、私を呼んだら間に合わないととっさに判断し、自分が踏切に入り、走って、私の背中を押し出したわけです。私の命は、父に救われました。自分の命、多くの人の助けによって存在しているのですね。その父も20年ほど前に亡くなってしまいました。

アラビアンナイト・・・エキゾチックでロマンがありそうな響きです。このアラビアという言葉が使われている国に、サウジアラビアがあります。この国に35年程前、1年ほど滞在しました。ロマンがありそうなのですが、砂漠のように、これほど無味乾燥な国もないように思います。サウジアラビアとは、サウジ家のアラビアという意です。列強部族との戦いに勝ち、独立した時の初代国王となった人の姓がサウジだったのです。この初代国王の子孫が国王を継承し、現在は確か十代目あたりでしょうか。サウジアラビアにはイスラム教徒の聖地であるメッカがあります。イスラム教の総本山がある国ですから、イスラム教の戒律である、お祈り、禁酒、女性のベールの着用などは厳しく守られています。
街を歩いていても、成人女性の顔はベールの下で見ることはできません。また、男性と女性の空間がどこでも厳しく分けられていて、バスの中にも仕切り板があるほどです。街の中を歩いているとベールを被った女性を沢山見かけますが、女性の近くに寄ったり、声を掛けたりすると、場合によってはムチ打ち百回の刑に処されるそうです。それでは、ここで問題です。『サウジアラビアの男性達は、女性の顔が見えないのに、一体どのように結婚相手を見つけるのでしょうか?』
その答えです。ある時、親しいアラビア人の友人に「あんた、どのようにして嫁さん見つけたの?」と尋ねてみました。彼曰く、「彼女の小さい頃の顔は知ってんだ、可愛かったよ」と一丁前の返事。でも、小さい頃知っていても変わるだろうし、と首を傾げると、「この国では小さい頃に、部族間で結婚相手はある程度決まっているんだよ」とのこと。男と女の付き合いについては、いろいろと制約がある国ですから、どうも大人になる前に当人や親が決めているようです。ベールを被った後は、親や親戚が取り持ち、結婚にゴールするといった感じでしょうか。写真は、砂漠のバラ、と呼ばれるもので、アラビア人からもらいました。このような、バラのような石が砂漠の中にあるのだそうです。砂漠のバラはオワシスがあった所に出来るとのことで、オアシスが干上がる際に、水に溶けていた石膏などが析出して、結晶が作られていきます。結晶は成長していき、そして、美しい花状の結晶(砂漠のバラ)が誕生するのだそうです。
私は、仕事上、多くの内覧会に立ち会って来ました。内覧会を始める際に、売主から進め方の説明があります。売主は買主に、「それでは、皆様にお願い頂いているのですが、時間は30~40分ぐらいを目処にお部屋をご覧になってきて下さい」と言います。八百屋で果物を買うのとは異なって、内覧会は、たくさんのお金を工面して、夢と希望を持って、これから長くお住まいになる家をチェックするわけです。でも、買主の方のほとんどは、「はい、分かりました」と言っているように思います。内覧会のチェックに制限時間はありません。時間など気にせず、お住まいになった気持ちになって、ゆっくりと部屋を見て回る、これが大事だと思います。ところで、私達は「皆様にお願い頂いてます・・・」この言葉に弱いように感じます。こういう話を聞いたことがあります。豪華客船が航海しています。世界中からのお金持ちが船旅を楽しんでいます。ところが、ある日、この船は凄まじい嵐に巡り合ってしまいます。大波に船は揺らされ、今にも沈没しそうになっていきます。ここで船長は決断をします。決断とは、お客の何人かに海中に身を投げてもらい、船の重量を軽くすることでした。そんなバカな、と思わず、続きを読んで下さい。
まず、裕福で責任感の強そうなアメリカ人を船長室に呼び、こう言います。「この船は危機的な状況にあります。何人かが海中に飛び込まないと船が耐えられません。あなたに最初に飛び込んでもらい皆さんの“ヒーロー”になって頂きたい」。この話を聞いて、このアメリカ人は口をムンズと閉じ、目を光らせ、“アイ アム ヒーロー”と言いながら、海中に消えました。
次に船長は、物静かなイギリス人を呼びました。そして、同じように船が危険な状態であることを説明し、「ジェントルマンである貴方に海に飛び込んでください」とお願いしました。このイギリス人も、“アイ アム ジェントルマン” と叫びながら海に飛び込みました。
三人目は堅気なドイツ人です。船長はこう話しました。「何人かの人にこの船を助けるために海に飛び込んで頂きました。あなたが次です。これはルールです」。このドイツ人も “ルールなら仕方がないな” と呟き、海に飛び込んでいきました。三人が海に飛び込み、船も大分軽くなりました。
船長は最後の一人を選ぶことになります。船長は60歳位の日本人を呼び、こう言いました。「この船を助けるために、お客の皆様に海に飛び込んでもらうことをお願いしています。今までお願いした人々は皆さん協力して頂きました。あなたも他の人々と同じように海に飛び込んで頂きたいと思います」。この日本人は “そうか 皆さんそうしているならしょうがない” と言い残して海にジャンプしていきました。
以上の話は人から聞いたジョークです。この話を中国人に言ってみました。そしたら、この中国人、開口一番、「俺なら船長に向かって、“あなたが一番先に飛び込んでお手本見せてよ”と言うよ」と返答してきました。
今までに多くの内覧会に立ち合わせて頂き、いろいろな方とお会いさせて頂きました。このような仕事をしていて楽しみは、いろいろな家を見れること、そして、その数だけいろいろな方々とお会いできることです。「一期一会」、このような出会いは、私の大切な人生のヒトコマとなっていきます。
内覧会でお会いした皆様に共通して言えることは、とてもしっかりと家のことを勉強されているなー、という点です。私のブログを暗記するぐらいまで読んで頂いている方もいらっしゃいます。家について相当な勉強をされているので、内覧会でのご指摘も鋭いものがあります。
写真のお二人も印象に残る素敵なご夫婦でした。ご主人は大学教授、奥様は背がスラッと高く笑顔が素敵で、スチュワーデスだったのかな?という感じ。このご夫婦に、「記念にお部屋の前でお写真を撮らせて下さい」とお願いしました。お二人は「良いですよ🎶」と気さくに並んでくれました。私が調子に乗って、「それでは肩に手を回して下さい」とお願いしました。そしたら、奥様が、「ハイ」と言って、ご主人の右肩の上に優しく手を回してくれました。私はご主人が奥様の肩に手を回すと思っていたのですが、ご夫婦十組十色です。そして、お写真をブログに掲載しても良いですか、とお聞きしたところ、二つ返事で引き受けてくれました。(92)
あけまして おめでとう ございます
旧年中はブログに訪問して頂きましてありがとうございました。今年も頑張って、一戸建てやマンションの内覧会、並びにマンション管理に関する記事を書いて行こうと思います。今年の一年の計は、「物事や状況をもう少し考えてから、ものを言おう」としました。新しく明けた希望の年、何卒よろしくお願い申し上げます。
今日は ちょっと考えよう
明日になったら、語ろうか
2020年 元旦
写真は私の家の中にある胡蝶ランです。知り合いから花が終わったものを頂いて、今年の春から咲き出し、6月も終わろうとしてますが、まだ咲いています。
以前は、ランには興味がなかったのですが、たまたま、知り合いが、花が終わったから捨てようと思っていると聞いて、もったいないから育ててみようとしたのがきっかけでした。まったくの素人だったので、ネットで育て方を調べました。
先ず、行ったことは、葉っぱだけになったランを鉢から出し、古い根を切り取り、ランにあった用土やミズゴケを混ぜ、肥料を少し加え、水をやりました。そのうちに新しい葉っぱが出てきて、1月末頃から花芽が出てきて、3月には咲き始めました。胡蝶ランを頂いて、花が終わってしまって、次の年も咲かせたいと思っている方がいましたら、ご連絡下さい。まったくの素人の私でも出来たのですから、誰でも出来ます。