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動機の純粋性が暴力を肯定するか?・・・ヒーローとアメリカの暴力の根幹に迫る力作「ドライブ」

2012-06-08 11:28:00 | 映画
 



■ 映画真剣勝負!! ■

年に一本、素晴らしい映画が見れれば満足な私は、
最近はDVDも殆ど借りません。
(TSUTAYAが近くに無い)、
本当に映画と疎遠になってしまいました。

昨日、打ち合わせの間が妙に空いてしまったので、
映画でも見て時間をつぶそうとシネコンに足を運んだら、
こんなポスターを見つけてしまいました。

これはもう観るしかないオーラがビンビンです。
こういう、寄り目がちな優男って割と好きなんです。(変な意味でなくて)
ポスターの絵柄は、何か特別と言った雰囲気は無く、
「Drive」というタイトルも至ってシンプル。

普通に見れば、カーアクションの映画のポスターですが、
俳優(ライアン ゴスリング)の視線が気になって仕方が無い。
こういうインスピレーションは大事にしたい。

開始時間もピッタリだったので、
平日の昼間から映画を観る贅沢をしてしまいました。
観客はだいたい15人くらいだったでしょうか・・。

ここからネタバレ全開
本日は訳あって、全粗筋を書いてしまいます。
だから、映画を見たいと思ったら、そこで読むよを止めて下さい!!



■ クールな犯罪者 ■

ライアン ゴスリング演じる「ドライバー」は、
修理工の傍ら、カースタントのアルバイトをしています。
運転と修理の腕前は確かなものがありますが、
とにかく彼は無口でシャイ。
必要以上の事は言わないし、必要以上の事はしない。

そんな彼の裏の顔は「逃がし屋」。
強盗などの逃亡を車で助けるのが彼の裏稼業。
修理工場のオーナーのシャノンが仕事を手配しますが、
そこは本業だけに用意する車も拘りがあります。
目立たない、どこにでもある車種で実は300馬力のフルチューン。

「ドライバー」の仕事は完璧です。
発見されなければ、他の車の流れに乗ってゆっくりと走り、
一旦発見されるや、300馬力で疾走し、
そして、物陰にピタリと付けたら微動だにしない。

「クール」という言葉がピッタリな仕事ぶり。
そして彼の性格と同様、無駄な動きは一切しない。

■ 心優しき犯罪者 ■



そんな彼がアパートのエレベータで出会った女性に心惹かれます。
彼女アイリーンは5歳の男の子と二人暮らし。
服役中の夫の留守を守っています。

無駄な事など一切しない彼ですが、
アイリーンがそれとなく気になります。
スーパーの駐車場で車が故障した彼女達を、家に送り届るという、
彼としては珍しい行動に出ます。

でも、部屋まで送り届けて水を一杯飲んだら、
即刻退散します。
ただ、自分の修理工場の住所だけを告げて。

翌日、アイリーンが修理工場を訪れます。
気を利かしたシャノンは彼にアイリーン親子を家に送るように命じます。

車中で彼は聞きます。
「ドライブに行かない?」

車でカリフォルニア独特の水の無い川を疾走して、
(ターミネーター2のバイクシーンみたいな所)
彼らが行き着いたのは、かろうじて自然な流れと木々が生えている場所。
でも枝にはビニールが引っ掛かり、流れも汚れています。
しかし、アイリーン親子は大喜びす。

家に辿り着くと、息子は寝てしまいます。
しかし、彼はアイリーンに言い寄る事も出来ず・・。

それから、彼とアイリーン親子は急速に親しくなります。
5歳の息子も彼に懐いています。
一緒にソファーでTVを観たり、
彼は父親の代わりとして、ひっそりと親子に付き添います。
でも、アイリーンとの関係は、ドライブ中に手を握っただけ・・。

そして、アイリーンの夫が出所してきます。
二人の淡い関係は、何事も起こらぬまま終わりを迎えます。

■ 何かが狂ってしまった ■

アイリーンの夫は出所パーティーで、
これからは真っ当に生きると誓います。
妻には迷惑を掛けたと、心から反省しています。

そんな彼に刑務所仲間が仕事を持ちかけます。
簡単な質屋強盗だと。
断った彼を、ボッコボコにした彼らは、
息子の手に銃弾を握らせて立ち去ります。
現場を目撃したドライバーは心を痛めます。
銃弾は、家族を殺すぞという脅しだからです。

ドライバーはアイリーンの夫の強盗を手伝うと言います。
自分は逃がし屋だと。
彼らは、依頼者の手下の女と共に質屋を襲撃します。
いつもの如く、車のドアを開けて待つドライバーに、
女が金とともに乗り込み、そしてアイリーンの夫が乗り込もうとした時、
質屋の店主が彼を射殺します。

駐車場から急発進で逃走するドライバーの車を
何故か、駐車場に止まっていた黒塗りの車が猛追します。

ここからのカーアクションは見どころです。
とにかく鉄の塊がぶつかり合う迫力。
アメリカ映画にありがちな
フニャフニャなサスペンションのカーチェースでは無く、
硬いサスペンションとガチガチのショックで固めた車のせめぎ合いは、
見応え抜群です。

どうにか追ってを振り切って、
モーテルに逃げ込んだ女にドライバーは詰よります。
「あいつらは誰だ?どうして俺たちの襲撃を知っているんだ」と。
そして「100万ドルの大金を盗むなんて聞いていないぞ」と。

女はこう告げます。
「はじめから、盗んだ金を強奪する計画だったのよ」

TVのニュースで質屋の店主は
「強盗を射殺したが、何も取られていない」とインタビューに答えます。
質屋の店主もグルだったのです。
そして、アイリーンの夫とドライバーは始めから消されるはずだった・・・。

その直後、彼らのモーテルは襲撃を受けます。
洗面所にいた女は頭を銃で吹き飛ばされます。
事前に危機を察知していたドライバーは、
銃を奪うと、至近距離から相手の頭を撃ち抜き、
そして玄関から侵入したもう一人も、躊躇無く撃ち殺します。

彼の行動に一分の迷いもありません。
「逃がし屋」の仕事同様に、一切の無駄の無い判断で、
ただ相手を撃退するのに、最も合理的な行動で自己防衛します。

女性に好きという一言すら言えない男の豹変に観客は度胆を抜かれます。

そして彼の反撃が始まります。
彼の思考は冷徹で合理的です。

彼らを陥れてた者達を殲滅しなければ、
アイリーンとその息子に危害が及ぶと彼は考えます。

■ 冷徹な殺人者と化すドライバー ■

ドライバーの行動は迅速です。
仕事を依頼して来た男を探し当てると、
男の手をハンマーで打ち砕き、
額にクギを当て、ハンマーを振り上げてこう聞きます。
「元締めは誰だ、電話しろ」と。

電話に出た相手は、なんと修理屋シャノンの昔仲間のニーノ。
チンピラのニーノはマフィアの金の強奪をたくらんでいたのです。

アパートに戻ったドライバーは、
アイリーンに事の顛末を伝えます。
アイリーンの平手が彼の頬を打ちます。

それでも彼は自分と一緒に逃げるように彼女に言います。
「君たちは僕が一生守る」と。

二人が乗り込んだエレベーターには先客が居ます。
彼は銃を携えています。
いきなりアイリーンにキスをしたドライバーを
アイリーンは拒みません。
そして、その隙を襲撃者は逃しません。
銃を抜こうとした襲撃者に、ドライバーが襲いかかります。
そのひ弱な体躯からは想像も付かない攻撃性です。
彼は容赦なく相手をエレベータの床に叩きのめすと、
その頭を靴で何度も踏みつぶします。
頭蓋わ割れて、脳症が飛び散ります。

それを目撃したアイリーンは後ずさって行きます。

■ 全員が絶対絶命の状態で暴力が連鎖する ■

ドライバーはニーノに命を狙われ、
ニーノはドライバーに命を狙われ、
そのニーノや、事件のあらましを知ってしまった
修理工のシャノンや、その昔馴染みのバーニーも
マフィアに命を狙われる事は必至です。

バーニーはニーノの計画に浅はかさに腹を立てます。
「マフィアの金に手を付けて、俺まで命が危ないじゃないか」と。

しかし事ここに至っては、金を見つけて
事情を知る者を全員殺すしか無い。
その場で呑気に飯を食っていたニーノの手下に
バーニをフォークを突き立てます。
そしてナイフで首を掻き切って、ニーノに言います。
「俺は俺のケリを付ける。お前も自分のケリを付けろ」と。

バーニーはシャノンの元を訪れます。
シャノンは逃亡する所の様で荷物をまとめています。
「ドライバーは何処だ」と問うバーニーに
シャノンは「今頃メキシコだろう」と、とぼけてみせます。

「そうか、じゃあ握手だ」と差し出されたバーニーの手をシャノンが握ると、
いきなりその手をバーニーが剃刀で切り裂きます。
「痛くもないし、苦しくもなく死ねる」。

一方、ドライバーはニーノを付け狙います。
彼の車に追突した後、浜辺に車ごと転落させます。

そして、血だらけのニーノを、夜の海に沈めます。

■ 暴力でしか決着しない ■

最後に残されたのはドライバーとバーニーの二人です。
二人には、もうお互いを殺す事しか残されていません。

バーニーは言います。
「金をよこせ。
 そうすれば親子の命は助けてやる。
 しかし、お前は別だ。
 お前には夢や希望があるだろうが、諦めろ。
 お前は一生後ろに怯えながら生きて行くんだ。」

一時は、シャノンの夢であるレーシングチームの夢を共有した二人には
もう、お互いを殺す事でしかその関係に終止符が打てないのです。

駐車場で金を渡したドライバーの腹をバーニーが刺します。
そして、バーニーの首をドライバーは掻き切ります。

一命を取り留めたドライバーは車で走り去ります。
駐車場にはバーニーの死体と、100万ドルが残されます。

その頃、アパートでは、ドライバーの部屋のドアを
恐る恐るノックするアイリーンの姿があります。
しかし、ノックに答える声はありません・・・。


ヤバイ、粗筋を全部書いてしまった・・・。

■ 動機の純粋性が暴力を肯定するか ■

何故、粗筋を全て書いたかというと、
これからの考察に、この映画の持つむき出しの暴力と、
ドライバーのアイリーン親子を守りたいという
「動機の純粋性」の対比が必要だったからです。

このR15+指定で、血が飛び散り、
人の頭が靴で踏みつぶされるという、暴力に満ちた映画を観た後に
観客は、ドライバーが振るう暴力を、完全には否定出来ません。

確かにドライバーは「異常者」です。
彼は一種の情緒障害で、
彼の中の合理性が満たされば、
殺人も暴力も、目的達成に手段でしか無く、
どんな残忍な殺人も彼の内部で葛藤を生むことはありません。

彼が「アイリーン親子」を守りたいと思った時、
その障害となるすべての生命は、
彼にとっては、速やかに排除されるべき対象でしか無いのです。

この「動機の純粋性」とそれによって行使させる「暴力」を対比するために、
行使される「暴力」は、銃による間接的暴力では無く、
頭を踏みつぶす、フォークで刺す、ハンマーで打ち砕く、剃刀で切り裂く
といった、身近な道具や肉体の直接行使の形が選ばれます。

そして、暴力の対象も、見知らぬチンピラから、
だんだんと、良く知った仲間達へと変化します。

身近な者に容赦無く行使される暴力の目的が、
ニーノやバーニーは自身の保身なので、
これは憎むべき暴力として観客には捉えられます。

ところが一番容赦無い暴力を機械的に繰り出す
ドライバーの暴力の動機は、
「親子を守る」という、ある種の「純粋性」を帯びています。

だから、観客はドライバーの暴力を肯定してしまうのです。

■ アメリカンヒーローの現実投影 ■

「動機の純粋性の元に行使される暴力」は
アメリカでも、日本でも日常的に描かれます。

それは「ヒーロ物」というジャンルに総括されます。
古くは、西部劇や時代劇として、
近年ではアメリカンヒーローや、戦隊物として。

そして、「ドライバー」に一番近い構造を持つ映画が、
ジョージ・キャメロン監督の「ターミネーター2」でしょう。

ターミネターやヒーロー物では、
倒される対象は、人ならざる存在です。
そこに良心の葛藤は生まれません。

一方、西部劇や時代劇では倒される対象は生身の人間です。
しかし、この時代の倫理観では、殺し合いは罪ではありません。
(江戸時代は時代劇で描かれる程、無法ではありませんが・・)

もし、現代においては、犯人をバコバコ撃ち殺していたのでは、
ダーティー・ハリーの様な問題刑事になてしまいます。

現代において、バコバコ打殺される対象は
「テロリスト」と相場が決まっています。

(これはハリウッドお得意の洗脳の一種で、
 911以降、テロロスは憎むべき社会の敵だという刷り込みをしています。
 実際にタリバーンやハマスやヒズボラは政治組織に誓いのですが、
 世界の人々は彼らを憎むべきテロリスト集団と認識し
 彼らこそ殲滅させられるべき対象だと考えています。)

これらの映画で、主人公達は暴力の行使に疑問を抱きません。
相手が「完全なる悪」であり
自分が「完全なる善」であり、
自分の「善性」は、自分が守るべ存在の「無垢」に保障されています。
この関係において「動機の純粋性は暴力を肯定」するかに見えます。

■ むしろ暴力に懐疑的な現代のアメコミヒーロー ■

面白い事に、勧善懲悪の暴力装置の象徴とも言える
マーベルコミックスのヒーロー達の方が、最近では暴力に懐疑的です。

「ダークナイト」に始まるバットマンの最新シリーズは、
この点を深く掘り下げる事で、凡百のハリウッド映画とは別の次元に立っています。

「アトラクションとしての映画」 (2010.03.16 人力でGO)
http://green.ap.teacup.com/pekepon/221.html

この記事でも比較対象がジョージ・キャメロン監督です。
これは偶然では無く、ハリウッドが世界に配給する洗脳映画に
オーストラリア人のキャメロン監督の感性がマッチするのかも知れません。
アメリカと同様に、広大な大地に入植したオーストラリア人は、
どこか、あっけらかんとした善悪感を共有しているのかも知れません。

一方、ドライバーの監督のニコラス ウィンデイング レフィンキャストは
オランダ人です。
バットマンのダークナイトの監督クリストファー・ノーランはイギリス人です。

彼ら、ヨーロッパ人の目に映るアメリカの暴力は、
あまりにも純粋で単純に見えるのでしょう。

だからバットマンは暴力の行使に悩むヒーロとして描かれ、
ドライバーはあえて人間性や感情を描かない事で、
アメリカンヒーローや、アメリカの日常的な暴力を相対化して見せます。

彼らは、外国人の視点から、
アメリカの暴力の本質を深く掘り下げようとしている様に思われます。

■ アメリカ人の日常としての暴力 ■

「ドライブ」ーでニコラス監督は、あえて凝ったカメラワークを捨て去っています。
人物は比較的アップのシーンが多く、
風景もロングショットは少なく、
普通にLA郊外の風景がドラマの様なアングルで切り取られています。

これは、まさに私が目にしたLAの風景です。
薄汚れたモルタルとネオンサインの店舗。
枯草が覆う丘と、ハイウェイ。
山間のワインディングロード。
水の無い、コンクリートで固められてた川。

決して観光では行く事の無い、普通のLAの風景の中で、
日常から少し足を踏み外してしまった主人公の、
アメリカとしては、ある意味日常的な暴力が描かれてゆきます。

それは日本のアニメの中に見られる、
概念的で非日常的暴力では無く、
すぐ傍から、血しぶきが飛んで来そうな身近な暴力です。

このような日常的な暴力の中に身を置く
アメリカ人の防衛本能や、攻撃性を
平和慣れした日本人は、決して理解出来ません。

「暴力は悪」といった単純な概念の外側に存在する国、
それがアメリカなのでしょう。

ちなみに、「ドライブ」は数々の賞を受賞しています。
私としては、アイリン役のカーレー ムリガンの可愛さを見るだけで、
1800円は惜しくない映画だと断言します。


ちなみに、予告編はこちらから。
http://drive-movie.jp/



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