■ とんでも無い傑作の誕生 ■
アニメ映画『この世界の片隅に』は、とてつも無い傑作映画です。
『シン・ゴジラ』『君の名は。』『聲の形』と、どれを取っても通常の年ならば「今年一番」という枕詞が付きそうな作品が生まれた2016年の最後に、これらの作品が束になっても叶わない「名作」が飛び出して来ました。もう、登場した時から「歴史的名作」の仲間入り。
・上映館たった63館で、週刊興行成績が10位
・立ち見が続出(地方は空いている様ですが)
・上映後に拍手が起こった
・パンフレットの購入率が30%で売り切れ続出
・「ぴあ」の映画満足度1位
・上映一週間で早くも追加上映50館が決定
・世界14か国で上映が決定
事前告知もほとんどされていない映画としてはでは異例のスタートです。映画評論家達も揃って
「実写も含めた今年の最高傑作」と称賛しています。
私は「10年に1本の作品」だと信じて疑いません。
■ 戦争の中でも人々は力強く生きていた ■
ネタバレ無しで紹介します。
すずはちょっとぽーとした女の子ですが、絵が上手で空想がちな所があります。3人姉妹の長女で広島の海辺の街で、海苔漁を営む両親と暮らしています。そんな彼女が18の時、街で見染められて呉に嫁ぐ事になります。すずは極度の天然ボケですから、嫁ぐ家の苗字すらも覚えていません。ただ、ポーとしていたら、あれよあれよと嫁入りが決まり、あれよあれよと新婚生活が始まります。ただ、すずを見染めた夫はそんな彼女を大事に思っています。
当時の呉は海軍の本拠地として軍港が置かれ、戦艦大和などを建造する海軍の工場も沢山ありました。すずの嫁ぎ先の舅と夫も海軍の工場に勤めています。戦争が始まり、物資は配給制でお米もだんだんと少なくなっていますが、人々は畑で作物を作り、道端の野草を摘んで、工夫をしながら生きています。
そんな瀬戸内の美しい街にも、次第に爆撃機が飛来する様になります。軍港呉は重要な攻撃目標なのです。連日の爆撃で街は跡形も無く焼かれ、市街地から離れたすずの家にも焼夷弾が落ちてきます。人々は庭に防空壕を掘って爆撃が終わるのを待つ日々。そんな地獄の様な日々なのに、家族はお互いの温かさを支えに力強く生きています。
ある日、山の向こうにムクムクと入道雲が沸き上がります。それが新型爆弾だと分かったのはすこし経ってから。広島からの避難民が呉にもやって来ます。さらには、爆風に舞い上げられた障子が木に引っかかっていたり・・・。
そして敗戦がやって来ます。突然に・・・。
■ 多くの戦争体験者の思い出に重なる ■
戦時中、日本中で彼女や彼女の家族と同じ体験をした人たちが沢山居た。そう、この物語は、戦争を体験した多くの人達の共通の思い出でもあるのです。
私が思い描く戦時中は映画やドラマの影響で白黒かくすんだ色をしています。しかし、この映画の戦時中の景色は美しい。空は今と同じ青、海も輝いていて、瀬戸内の山々は青々と木々が茂っています。蝶々やトンボが舞い、カブトムシが樹液をすする・・・そんな日常が戦争中も続いています。
そして人々は逞しい。配給が少なくなっても闇市には色々な物が売られています。花街も丘に上がった兵隊さんで賑わっています。戦時下でも祭りが開かれています。
これは静岡の田舎で戦争を経験した母の話に似ています。タンポポなどの野草を食べ、毒のあるヒガンバナの球根もさらして食べた。街の近くの田んぼに爆弾が落ちて池が出来た・・。そんな話を良く聞かされていました。
母にこの映画を薦めたら、行く前は「えー、アニメでしょう。いいわよ・・・。」とか「私、この絵嫌い」とか、「戦争の映画でしょう、私は『君の名は。』みたいにキレイなのが好きなの」とさんざん渋っていたのに、見終わった後は妻に電話で映画の話を色々したみたいだ。多分、妻も戦時中の話を聞かされたのだろう。
■ 単なる「戦争ノスタルジー」では無い ■
戦争を経験した世代の記憶もだんだんと生々しさが消えて「思い出」の一部になっています。父なども東京の下町の戦争の出来事を懐かしそうに語ります。この映画は、そんな戦争を懐かしむ世代の間で口コミでヒットするでしょう。実際に劇場には80歳を超える高齢者の姿もチラホラ。
しかし、この映画は単なる「戦争を美化した映画」でも「戦争ノスタルジー」ではありません。日々を必死に、そして少しでも楽しく生きようとする人達の頭の上に、爆弾は情け容赦無く降り注ぎ、逃げ惑う人達を戦闘機の機銃掃射が追いかけます。
ひとびとの生活の温もりをしっかり描く事で、それを突然に奪う戦争の恐ろしさが背筋を寒くします。そして、憎しみや怒りも沸き上がってきます。
■ アニメでなければ表現できない世界 ■
この映画を前にして「アニメか実写か」などという括りは必要ありません。ただただ「素晴らしい映画」である事だけは確かです。しかし、アニメならではの魅力が最大限に生かされた映画である事は確かです。
アニメの魅力の一つに「美化」が在ります。同じ風景を描いても実写よりも美しく表現する事が出来ますし、空の色や海の色だって自在に設定する事が出来ます。
この映画ではスズの描く水彩画の様なタッチで全編描かれていますが、その淡い色合いは「思い出」を描くには適しています。戦争の生々しさを適度に抑制します。
一方で、戦闘機が大群で飛来して爆撃するシーンではスズの主観イメージで描かれ、こんな戦争シーンを私は見た事が在りません。美しく、禍々しい。そしてスズが絵を描く右手を失うシーンの描き方も秀逸です。
一方で、原爆で失われた広島の町並みや、爆撃で焼失した呉の街の再現は緻密です。これには地元の方々が大勢協力された様で、当時の写真を持ち寄り、あるいは絵に描いて下さった様です。当時の広島の街が映画の中で生き生きと描かれ、そこに多くの人々が行きかいます。
実は冒頭のこのシーン、私は低予算の映画でこれだけ人を動かしたら予算が足りなくなるんじゃないかと心配しましたが、このシーンに込められた監督の思い入れがいかに深かったか。街の再現に協力して下さった方々へのプレゼントだったのです。
■ 『シン・ゴジラ』以上の情報量を行間と絵に語らせる上手さ ■
実は『この世界の片隅に』の情報量は『シン・ゴジラ』以上に多い。子供時代から戦前、戦中のエピソードの数も相当。それらをポンポンと進めるテンポは非常に速いのですが、その速さを観客には一切意識させず、むしろスズちゃんののんびりした時間を観客は共有しています。
基本的に説明は全て省かれていますが、エピソードの提示の仕方が適格な為に観客は背景をきちんと理解できます。花街にスズが迷い込むシーンでは、そこが花街である事は一切説明されませんが、女性達の仕草でそれを悟らせます。
内容が違うので『シン・ゴジラ』と同一には比較は出来ませんが、私が『シン・ゴジラ』を映画として認めない理由の一つは「脚本の下手さ」にあります。あれは「設定資料」をそのまま俳優が演じているだけであって脚本では無い。優れた脚本は「語らない」事に上手さを見つける事が出来ます。「行間が語る」のです。そして優れた映画では「行間を映像が埋めて、より雄弁」です。
『この世界の片隅に』の脚本と映像は、この「優れた」条件を100%満たしています。まさに映画の教科書の様な作品。
全ての映画好きを満足させる「名作」として、後世に語り継がれる作品です。
多分、高齢者向けの「呉・広島 聖地巡礼観光ツアー」が登場する事間違い無し!!
<追記>
実はこの映画、「クラウドファンディング」という手法で資金が集められました。ネットを通じて小口の出資者を募ったのです。支援金36,224,000円支援者3,374人が瞬く間に集まりました。それだけこの作品のアニメ化をファンは望んでいたのです。
そうして集められたお金でパイロットフィルムが作られ、それを持ってスポンサー探しが行われた。
アニメも映画もビジネスですから出資者が居なければ作品を作る事は出来ませんが、出資者にお金を出しても良いと思わせるプレゼンを作るのにもお金は掛かります。その最初のハードルを越える手立てとして「クラウドファンディング」は今後有効な手法になるかも知れません。
「自分達が見たい作品を、自分達の出資で作る」・・・ネット時代のビジネスの在り方ですね。
<追記2>
ネットでは「上映後拍手をしたのは始めただ」との書き込みが多く見られます。私も思わず拍手しそうになりました。(あの時、しとけば良かったと後悔しきり。ちなみに海浜幕張の初日初回)
こんな書き込みを見つけました。
「映画「この世界の片隅に」を娘と見ました。終わったあと、娘「これほんまに呉であったん?」父「ほうよ」娘「ふーん」と意外にライトな反応。が、家に帰って嫁に「私は今日も晩御飯食べれて幸せじゃ」って。(T-T)父涙腺崩壊。監督、小学生にもちゃんと伝わってますよ。」
そう、小学生にだってきちんと伝わるんです。
そして、多くの方の悩みは「褒める言葉が見つからない」みたいです。私も含め・・・。「全部凄い」って言ってしまうから。