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経済の最新情勢から、世界の裏側、そして大人の為のアニメ紹介まで、体当たりで挑むエンタテーメント・ブログ。

ヒーローの背負った宿痾・・・コンクリート・レボルティオ

2015-10-31 03:03:00 | アニメ
 


■ 昭和世代のハートを直撃 ■

今季アニメの最注目作品はBONSの『コンクリート・レボルティオ』でしょう。

サイボーグ、ロボット・巨大宇宙人、魔女っ娘、お化け、妖怪・・・・これら「昭和的キーワード」がごった煮になった作品で、昭和40年生まれの私などは「そうそう、昔のアニメってこうだったよね」と、思わず喝采を送ってしまいます。「昭和テイスト」をプンプンと匂わせる作品です。

若い視聴者には「懐古主義」と受け取られるかも知れない作品ですが、が、「アニメとは何か」という問題に、永年アニメの世界に携わって来たベテランが正面から挑む快作です。

■ 「昭和的」=「アニメ的自由」 ■



近年マンガ界では昭和を代表する漫画家の再評価が進んでいます。かつての名作のリバイバルだけで無く、その続編やスピンオフを現代的視点で再構築する良作が登場している事も
注目されます。『ヤング・ブラックジャック』『バビル二世リターナー』など素晴らしい作品も登場しています。

アニメでも「昭和」的作品が多く放映されています。30年振りに復活した『ルパン三世』や、前述の『ヤング・ブラックジャック』、『おそ松さん』、『カリメロ』なんてタイトルが並んでいます。

これらの作品は、私的には「誰得なの?」と頭をひねってしまう。原作のネームバリューでリスクを回避しようとする狡さが見え隠れします。

一方、『キルラキル』や『健全ロボ・ダイミダラー』の様に明らかに永井豪を意識していながらも、現代の作品としてしっかりと自立した良作も生まれています。これらの作品に共通する特徴は、「昭和的」という記号を、「アニメ表現の自由」と捕えている事にあると思われます。

昭和の時代、特に昭和40年代はアニメは「子供の観るもの」でした。だから「子供が見て面白れば何でもアリ」という一種のアバンギャルドな表現が許されていました。永井豪や赤塚不二夫のアニメ化作品などにその傾向が強く、ちょっとエッチな表現から、ナンセンスまでがごった煮のグツグツでした。

ビルから落ちても地面に人型の穴が開くだけで主人公はピンピンしている・・・こんな表現が昭和アニメには溢れていました。これこそが、アニメが実写と違う表現様式である事の見事な活用(元はマンガだったりしますが)なのですが、現代の高度化したアニメ表現は、こういう一種の記号は排除されています。

昭和の時代のアニメは「記号」が多く活用されていました。「驚く」と目が飛び出す。「焦る」と汗が噴き出し青くなる。落下する時には髪の毛が空中に残っている・・。どれも「漫画」が生み出した表現ですが、絵を動かす技術が高度化していないこの時代のアニメは、漫画的記号化をそのまま動画に世界に持ち込んでいました。(アメリカのアニメからの流用も見られますが)

この様な「非現実的」な表現に溢れた昭和アニメは、リアリティーこそ在りませんでしたが、「自由」が溢れていた様に思われます。現代の様に「作画がどうとか、こうとか」言うファンが居なかったので、作家達は思い思いの方法で、様々な表現の実験を繰り広げていました。

■ 「子供だまし」から生まれた「シリアス」 ■

アニメや特撮など「所詮は子供が見るもの」でしたが、作り手がいい加減に作っていたかというと、そうでは有りません。いえ、皆さん、本気で作品と向かい合っていました。

『ウルトラマン』のメインライターであった金城哲夫は、「何故、怪獣は倒されなければならないのか」という問題に突き当たります。彼は『ウルトラセブン』で敵役を「悪い宇宙人」に設定する事で、この問題を回避しようとしますが、やはり「何故宇宙人が倒されるのか」という問題から逃げられませんでした。彼が沖縄出身であった事も影響したと言われますが、彼の作品の根底には「倒される者、虐げられる者への憐憫」が流れています。円谷プロを去った後、金城は沖縄に戻り、二階の窓から落ちて変死します・・。

昭和の時代にヒーロ物を量産した代表作家は石ノ森正太郎です。彼の諸作に共通するテーマは「人造人間の悲哀」です。「ヒーローの孤独」と言い換えても良いかも知れません。

『仮面ライダー』も『サイボーグ009』も『キカイダー』本人の意思とは無関係に「肉体改造され、悪と戦う事を余儀なくされます」。

彼らは社会からは「異質」な存在で「阻害」されていながらも、「社会の為に戦う」という「矛盾」を課せられています。昭和のヒーロ達はある種の宿痾を背負わさた存在でした。



■ 石ノ森章太郎の世界を現代に再構築する『コンクリート・レボルティオ』 ■



『コンクリート・レボルティオ』は、厚生省の超人課に配属された超人を中心に物語が進行します。彼らの目撃は「超人の保護」です。社会から孤立しがちな超人を登録し、監視し、保護しているのです。

第一話は、「良い宇宙人と悪い宇宙人」の戦いが描かれます。「良い宇宙人」は宇宙船が墜落して瀕死の所を、正義感溢れる人間の警官と一体化する事で延命しています。まんま、ウルトラマンの設定です。しかし、悪い宇宙人の目的は、「母星の位置を知られたくなかった」という、彼らにとっては至極当たり前のものというオチが付きます。



これだけなら、「そうそう、こういう感じだったよね」で終わってしまう作品ですが、超人課のメンバーたるや、肉体改造された主人公、主人公の恋人の妖怪、魔女っ娘、お化け・・・ですから、「オイオイ、なんなんだよ、このごった煮は!!」と、思わず突っ込みを入れてしまいます。宇宙人と戦う魔女っ娘なんて初めてだよ!!

まあ、「突っ込んだら負け」的な作品では或るのですが、一筋縄では行かないのが、各人のキャラクターを物語の構成に最大限に生かしている点でしょう。

第二話は「お化けのフウロウタ」が主人公です。彼は子供のお化けで、子供達と遊ぶのが大好き。ただ、歳を取らない彼を置き去りにして子供達は成長して行ってしまいます。そんな彼は不思議な少女と知り合います。そんな折、昆虫人達が国会議事堂を占拠します。超人課に配属されたフウロウタは、良いと所を見せて超人課で認められようと、昆虫人を殺すウィルスを持って敵の元に潜入し、見事昆虫人を殲滅します。

後日、フウロウタは昆虫人に襲われます。彼を襲ったのは、成長した少女。彼女は実は昆虫の女王だったんのです。仲間をフウロウタに殺された復讐に来たのです。古来より日本に住む昆虫人は、住処の森を開発で追われた事に抗議して国家議事堂を占拠したのでした。彼らは当然の権利を主張し、それを知らずにフウロウタは彼らを殺してしまった・・・。何とも後味の悪い結末です。まさにウルトラマンのトラウマ。

改造人間、サイボーグ、超人と言ったキーワードは、まさに「石ノ森章太郎」ワールド。『さるとびエッちゃん』や『がんばれロボコン』なんて作品まである石ノ森章太郎の作品世界をごった煮にすると、『コンクリート・レボルティオ』が生まれるのでしょう。


■ 「アニメとは何か」を総括する意欲作 ■

『コンクリート・レボルティオ』を観た多くの若い視聴者は、「又BONSが実験的な作品を作っている・・・」と模様眺めを決め込んでいると思います。

しかし、昭和40年生まれの私にとって、この作品は「アニメとは何か」という問題を、「表現様式」と「内容」の両面から追求する快作に見えます。

「ヒーローの背負った宿痾」に正面から挑むのは、私と同じ歳の脚本家の會川昇と、一つ年下の水島精二

會川昇は数々のアニメや戦隊物の脚本を手掛けています。水島精二は『鋼の錬金術師』のカ監督ですね。

まさに昭和アニメや特撮で育った彼らが、単なるオマージュでは無く、「昭和アニメや特撮って何だったのか」を真剣に総括する『コンクリート・レボルティオ』から目が離せません!!