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『ガッチャマンクラウズ・インサイト』・・・民主主義の本質を問う意欲作

2015-07-21 00:45:00 | アニメ
書きなぐりの記事なので、後できちんと文章を直します。




muffさん、アニメネタだと思って切らないでね。民主主義についての考察です。
 
■ 今季最高のアニメは『ガッチャマンクラウズ・インサイト』に決定 ■

「今季アニメベスト10には速いだろう!!」と突っ込まれそうですが、テーマ設定のタイムリーさから今季は『ガッチャマンクラウズ・インサイト』がベスト1確定。

そもそも私は2期目の作品を評価しない傾向にあるのですが、進化(深化)する作品は例外っです。『ガッチャ・・』と『のんのんびより』はこのハードルを軽々と越えています。

■ 金融市場の取引を視覚化するというウルトラ『C』 ■

『ガッチャ・・』の素晴らしい所は、「コミュニケーション」や「民主主義」といった「概念」を視覚化して描くという挑戦的な手法です。

監督を務める中村健治は、『ハウルの動く城』で細田守監督の監督補を務めた人物だそうです。(『ハウル・・』は後に宮崎駿が監督を引き継ぎ、ジブリは細田組を追い出してしまいました。この時点で現在のジブリの落日は決まっていたのかも知れません)

中村健治は『怪 〜ayakashi〜『化猫』』(2006年)、『モノノ怪』(2007年)、『空中ブランコ』(2009年)など異色の作品を手がけて一部の好事家の注目を集めますが、この頃の作品を私はあまり好きでは有りません。表現の為の表現と言うか・・・視覚表現の実験的な作品でした。

私が中村監督に注目したのは『C』(2011年)からでした。



この作品で中村監督は金融市場に振り回されて破綻する人達をスタイリッシュに描こうと試みます。とうていエンタテーメントに成りえない題材を、中村監督はウルトラCで強引に娯楽作品に仕立てています。

金融市場をバーチャルワールドとして視覚化し、そこで行われる取引をデュエル形式のバトルとして描いたのです。投資手法を「使い摩」として擬人化し、使い摩同士のバトルの決着が投資の勝敗を決めるという、かなり斬新な評点を試みています。

残念ながら、作品は成功したとは言い難く、金融市場の複雑なデリバティブ取引を「単なるバトル」としてしまった事で、この作品に興味を持つ様な視聴者には物足りなく、逆にバトルや美少女キャラを期待する視聴者には難解で理解出来なかったのです。

ただ、「抽象的な概念を視覚化する」「市場取引の様な数学の世界を視覚化する」といった挑戦は非常にインパクトが有りました。これはアニメならではの表現手法で、実写作品でこの手の経済物を描くオーソドックスな手法との違いが際立っていました。

■ 実体化したネット言論・・『ガッチャマン・クラウズ』 ■


続く『つり球』(2012年)は『C』からはガラリと雰囲気を変えて、風変りな青春グラフティーでした。ただ、私的には表現的実験が鼻につく作品で1話くらいしままともに見ていません。

『ガッチャマン・クラウズ』(2013年)が始まった時も、中村監督独特の「集中しない演出」が最初は気になりましたが、その描こうとする内容の面白さに惹かれて行きました。

中村監督は『ガッチャマン・クラウズ』でSNSを始めとするネットコミュニケーションの社会を視覚化します。この手の作品は過去に無かった訳ではありませんが、それらの作品が比較的閉じたコミュニティーの中での出来事を扱ってきたのに対して、中村監督はより現実的な開かれたコミュニテーを対象にしています。

特筆すべきは、この様な大きなコミュニティーを対象とする世界を描こうとする時、多くのSF作品は管理社会やAIによる支配など、大きな枠組みを先ず設定しようとします。しかし、中村監督は、現在のSNSの進化の上にある、パーソナルの集合としてのネット社会を想定している点が非常に現代的だと言えます。

「無責任なネット言論」というのは良く有るテーマですが、もう少し踏み込んで、「ネット言論が現実的な影響力を社会に行使できるとするならば、人々はどう行動するのか?」をシミュレーションしています。



中村監督は「クラウズ」というシステムでネット言論を実体化して描いてみせます。このシステムではネット言論は実体して物理的作用を現実世界に与えます。人々が誰かを救いたいと思えば、クラウズが実体化して実際的な行動が起こせるのです。

実際のネット言論の例に漏れず、クラウズを扱うのは良識ある人達ばかりではありません。案の定、悪意を持った者の煽動よってクラウズは大混乱を起こす事になります。

現代版ガッチャマンの戦う相手は、ネット社会が生み出した怪物なのです。

■ 現代的はガッチャマンの設定 ■

オリジナルのガチャマンは悪の秘密組織ギャラクターと戦う為に科学技術庁が組織した「科学忍者隊」という設定でした。この設定は現代のアニメとしては無理が有ります。

そこで新たなガチャマン達は、地球の平和を守る為、宇宙人に選ばれし存在とされます。地球は高度な文明を持つ宇宙人から見れば赤ん坊の様な文明レベルの星で、宇宙人の管理者が、悪意を持った宇宙人から地球を守る為に地球人に力を与えたという設定となっています。(ウルトラマンみたいですね)この新たな設定も、ちょっとプロトタイプではあるのですが、作品全体を非常にポップでキャッチーに描く事で、まあ、それもアリかなと思わせてしまう所は中村監督特有の力技です。

何よりも、新しいガッチャマンの造形がどれも独創的で美しくカッコいいので全て許せてしまいます。ベルクカッチェもコスプレ変態オカマでは無く、ドラッグクィーンの様な毒々しさを振りまく宇宙人です。

動画工房の手になるOPもキレッキレです。これこそ現代的なガッチャマン。



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『ガッチャマン』という竜の子プロ最大のヒット作を、こうまでダイナミックにリメイクした事でガッチャマンは新しい時代のヒーローとなったのです。


■ 現代における民主主義の本質に迫ろうとする『ガッチャマン・クラウズ・インサイト』 ■

前作は「暴力化する、或いは暴徒化するネット言論」をテーマにしていました。

今期スタートした『ガッチャマンクラウズ・インサイト』は、現代における民主主義の本質に迫ろうとする意欲作になると予想されます。(勝手に)

前回の事件の発端となったクラウズですが、その後は禁止される事無く社会に定着しています。2chなどが疎んじられながらも市民権を得て来た経緯を彷彿とさせます。

クラウズというツールを普段は人々は有効に使っています。しかし「赤いクラウズ」を操る一団が現ます。「赤いクラウズ」は街中のちょっとした悪ふざけから、首相襲撃まで幅広いテロ行為を繰り返します。

赤いクラウズを率いる青年は、クラウズの製作者であるルイにこう警告します。「君が力を与えた相手は進化などしないサルだとういう事を」「クラウズを使う事、それが如何に危険かと言う事をサル達に分からせる事が目的だ」と。ルイは人々の良心を信じてクラウズを公開していますが、青年はその良心が危険だと言うのです。

これはネット社会に対する警告であると同時に、民主主義が本質的に持つ危険性への警告です。

■ 「国民の選択」を反映出来ない民主主義 ■

民主主義は尊いものだと学校で教わります。国家の主権者は国民一人ひとりであり、国家の意思決定は国民に委ねられているのだと。

ところが民主衆議は現代の世界で上手く機能していません。例えば「安保関連法案」問題で揺れる日本で、もし国民投票でこの法案の是非を問うたならば、過半数の国民が「NO」という選択をします。民主主義的には「安保関連法案」は否決されるのです。

ところが、先の選挙で国民は圧倒的な支持を自民党に寄せましたので、国会において自民党が安定過半数を確保しています。この状態では、自民党が強硬採決を選んだならば、国民はこれを止める手立てがありません。国民が選んだ代表が、国民の意思に反する決定をするという議会制民主主義の矛盾が露呈しているのです。

何故、この様な事が起きるのでしょうか?

■ 共通の利害の一致を亡くした世界で民主主義は正しく機能しない ■

昔のムラ社会という小さな共同体においては、黄道帯内の人々の利害は一致しています。たとえ個人的に意見対立が有ったとしても、共同体の利益が個人の利益に優先されます。村人同士の話し合いで決着しない場合は、村長(むらおさ)がムラの利益を最優先で決定を下しました。この決断に異を唱える者はムラを出て行くか、村八分にされるかしか選択肢が残されていませんでした。

時代と共に共同体はどんどん大きくなり、国のレベルにまで拡大します。

ところが共同体が巨大化すると「共通の利害」の関係で共同体を纏める事が難しくなります。どこかの村に資金を投入すれば、別のどこかの村が困るのです。ある世代を優遇すれば、別の世代が損を被ります。

共通の利害を失った民主主義において人々が取った行動は、自分の利益を最大化させるという行動です。この変化の中で、人々は義務を嫌い、権利のみを主張する様になります。義務を負った結果の利益が、自分や身近な共同体に還元されるとは限らないからです。

共同体の拡大と共に、負担とトレードオフの関係にある利益は見えにくい物になっていったのです。

ネトウヨを始めとする保守の一部の人達は、「日本の為に」という言葉を好みます。これは一見個人の利益よりも国家の利益を優先している様に聞こえます。しかし、彼らは「日本の為に財政を拡大せよ。」とか「日本の為に量的緩和を拡大せよ」と主張する一方で、自分達の負担が拡大する「消費税増税には反対」します。結局は個人の利益追求のカモフラージュ、あるいは自己欺瞞に過ぎないのです。それに気づいていない所が彼らのイタい所であり、恐い所でもあります。

■ 議会制に民主主義という調整機構 ■

民主主義には「直接民主制」と「間接民主制」という二つの手法が存在します。

あるテーマに対して有権者一人一人が投票を行い多数決で決める方法が直接民主制。これは古代ギリシャで行われていました。現代のスイスでも伝統的に直接民主制による採決が行われています。国民投票も直接民主制です。最近話題に上る事の多い「ネット投票」もこの一形態です。

直接民主制には、共同体の規模が大きくなると集計に時間と労力が掛るという物理的な問題点が存在しました。細かな議題で毎回国民投票をしていたのでは国家運営が滞ります。しかし、ネット投票を用いればこのハードルはクリアー出来ます。スイスの直接民主制に世界が注目し始めている理由は、ネットの発展で直接民主制が可能になった事と無関係では有りません。

一方、直接民主制は物理的制約の他に、制度的な問題も抱えていました。小さなムラ社会ででは議題は直接有権者全てに関係のある事がほとんどです。有権者の皆が当事者なのです。ところが共同体が大きくなると、全ての有権者に関係の有る議題は減ってきます。さらには、先にも述べた様に「全体の利益」と「個人の利益」の相反が生まれます。例えば、増税しなければ財政が破綻するケースにおいて、国民の多くは増税を拒否します。

この様に直接民主制は共同体が大きくなると機能不全を起こします。そこで代わりに用いられるが「間接民主制」です。これは、選挙によって代表を選び、その代表の話し合いと投票によって決定するシステムです。

代表者は少なくとも一般の有権者よりも見識の優れた者が選ばれます。結果的に全体の利益と個人の利益のバランスを判断できるので、大きな共同体を維持する為には「間接民主制」が適していると考えられています。日本が採用している「議会制民主主義」は「間接民主制」の代表的ばものです。

■ 強い物がが支配する議会制民主主義 ■

一見合理的に思える「議会制民主主義」にも欠点が有ります。

それは議員が特定の者の利益を代表する存在であるが故に、結局は公正性が保てないのです。議員に影響を与える最たる存在が有権者です。選挙で勝たなければ議員にはなれませんから、議員は有権者の利益を最大化する様にふるまいます。地方政治などが良い例で、市議会議員などは、「道路に信号を設置して欲しい」などという有権者の利益を実現する為に活動します。

国政クラスになると状況が少し変わって来ます。確かに有権者は国民一人ひとりなのですが、選挙区が広いので、バラバラな個人の利益は相殺されます。一方、企業や労働団体など政治献金などで議員に直接的利益を提供できる存在の要求に議員は応える様になります。

結局、国民に選ばれながらも議員は、自分に利益を供与してくれる企業や団体の利益を最大化するようにふるまうのです。

現代の「議会制民主主義」には根本的に公正性など存在しないのです。この問題を解決する為に政治資金を禁止する動きなども有りますが、法案を作るのが政治資金を貰う立場の議員なので、法律に抜け穴が有ったり、あるいは法律が緩く改正されたりします。

この様な議会制民主主義の根本的も問題を解決する手段として、「直接民主制」に注目が集まっているのです。

■ 「官僚主権」や「政党主権」という実態 ■

日本の法律は立法府である国会が作ります。しかし、多くの国民が「日本は官僚支配の国だ」とか、「自民党の一部の政治家が国家の方針を決めている」と言います。これは間違った認識では無く、むしろ日本の現状を正しく捉えていると言えます。ただ、これらの言動の中には「民主主義の原則が踏みにじられている」という否定的な感情が込められています。

では日本において官僚機構は私利私欲に染まった悪なのでしょうか?財務省は私達の財産をかすめ取ろうとしているのでしょうか・・・。答えはNOでしょう。

安倍首相を始めとする一部の政治家が、日本を私物化してアメリカに利益を誘導し、その見返りに私服を肥やしているのでしょうか・・・答えはNOでしょう。(多分・・・)

日本の官僚の方々の先祖を辿ると、平安時代の公家まで遡れるという話はネットで散見します。(闇株新聞さんなども)太平洋戦争へと日本を導いてしまった近衛文麿首相の近衛家と言えまば「藤原四家」の一つ藤原北家の末裔です。

明治維新成立史では幕末の志士達ちがフューチャーされますが、一方で岩倉具視ら公家も倒幕の内乱に深く関わっています。長く続いた武士の政権で公家達は権力の座から遠のいていましたが、明治政府が樹立した後は公家達は天皇を旗印に立て、政治の表舞台に復活して来たと考える事が自然です。派手な政府の要職を薩長が独占する中で、公家達は官僚組織に浸透する事で、暗然と日本の行政に支配力を伸ばしていったのでしょう。

では、官僚達は私利私欲の集団か?昌益の為なら日本の利益を軽んじる存在か・・・答えはNOでしょう。

ECを仕切るのはユーロクラートと呼ばれる高級官僚ですが、彼らの中にもヨーロッパの貴族の子弟達が多いという噂が有ります。EUを見て分かる様に、彼らは50年、100年というスパンで世界を見ており、これは日本の官僚とて例外では無いでしょう。恵まれた彼らは、国民の様に目先の損得に振り回さえっる事無く、一つ高い視点から日本の未来を展望しているはずです。

同様に政治家も多少利益に敏感であったとしても、大物に成れば成る程、日本の未来を見据えて行動していると思います。それがたとえ安倍総理だとしても・・・。

■ 国家よりも世界が重視される時代 ■

官僚や政治家が国家や国民の為の政治や行政を行っているのならば、何故、日本はアメリカの属国的な立場に甘んじれいるのか?

これは当然の疑問です。

しかし、現代のグローバル化が進んだ正解においては、一国の利益は世界の利益に相反するケースが増えています。例えば、アメリカの単独覇権が行き過ぎると、世界の富はアメリカに集中してしまい、世界全体の成長力を低下させてしまいます。

アメリカは世界経済を拡大する為に資本家達が作った人造国家です。いわばアメリカ合衆国というのは世界システムの中核なのです。基軸通貨であるドルを発行して、世界的な経済の循環を作る事がアメリカに与えられあ使命です。

ですから、リーマンショック以降、日本が全力でドル基軸体制を守ろうとする事は、日本だけを見れば損失になりますが、世界全体で見ればプラスに働きます。そして、その恩恵は日本に戻って来ます。

この様に、現代においては国民国家の権利が制約される事で、世界経済の成長が促進される時代になりました。国家よりも世界が優先されるのです。

日本の官僚も政治家もこのルールに則って行動していますから、国民から見れば「裏切者」に見える場合も発生します。


■ 「国民の味方」を演じる事で国民をリードするマスコミ ■

マスコミは往々にして国民の味方を気取ります。「安保法制」でも、安倍政権に批判的報道を繰り返しています。しかし、これに実効性は有りません。強硬採決は止められませんが、マスコミ各社は「自分達は国民の側に立って反対した」というアリバイだけが残ります。

そもそもアベノミクスを熱烈に煽って自民党独裁を作り上げたのはマスコミ各社です。彼らは安倍首相が「安保法案の改正」に積極的な事は知っていますから、現在の状況は2012年には見越せていたはずです。でも、それを記事にする事は有りません。

私はマスコミは官僚や政府のプロパガンダ機関だと思っていますから、マスコミの役割は国民世論をある目的に沿ってリードする事と、国民のガス抜きにあると考えています。

一部「マスゴミ」呼ばわりする人達も多いですが、彼らはマスコミの手の平の上に居る事に気づく事は有りません。

■ 空気による支配 ■

マスコミの約割は「空気を作る」ことでしょう。



『ガッチャマンクラウズ・インサイト』では、この「空気による支配」にも言及するはずです。

ゲルちゃんと呼ばれる宇宙人は人畜無害の外見をしていますが、人々の心の中を吹き出しの様に頭の上に表示する能力を持っています。人々は普段、様々な色の吹き出しを頭の上に載せていますが、ある切っ掛けが有ると吹き出しの色は一色に染まる傾向が有ります。

皆が面白いと思えば緑色に、怒りを覚えれば赤色にといった感じです。ただ、主人公のハジメちゃんの吹き出しは灰色から変化しません。多分、彼女は周りの状況や煽動に動じる事無く、いつも物事をニュートラルに観察できる能力を持っているのでしょう。

ゲルちゃんの飛来した星では争い事は無くなると説明されます。ただ、ベルクカッツェはベルちゃんに否定的は眼差しを向けています。

多分、ベルちゃんが表出させる「吹き出し様」は世論などを形成する「空気」を表しているのでしょう。そして空気を自在に操る事が出来れば世論も自在に操る事が出来ます。

その最も極端な例がナチズムでしょう。ヒットラーという天才的なアジテーターはドイツ国民の空気の統一に成功します。戦前日本では朝日新聞がこの役割を担います。

私達は日頃、合理的判断を下していると思い込んでいますが、実は空気を読んで空気の同調して生活しています。これが出来ないと「空気が読めない」などと批判の対象になります。

政治的問題も同様に、私達はマスコミが作り出す「空気」に敏感に反応してしまいます。こうして私達は自民党から民主党への政権交代を経験し、その失望の反動で大きな期待を安倍政権に寄せ、自民党の安定多数を実現させてしまったのです。


■ 正義とは何処にあるのか ■

『ガッチャマンクラウズ・インサイト』は「正義とは何処にあるのか」「個人の正義と集団の正義は一致するのか」という、ヒーロー物の革新に迫ると思われます。

ただ、この作品の面白い所は、今までのヒーロー物の正義がゴッザムシティーなど地域や先品世界の中に限定されていたのに対して、『ガチャマン・・』の正義は、現在の私達の生きる世界に限りなくリンクしています。

社会派と呼ばれる小説や映画やドラマは過去にも沢山存在しましたが、多くは一つの事件をきっかけにその周辺の人物の言動で何かを追求するという手法が取られました。

その点、ガッチャマンの世界は非常に解放的で、オープンリソースのプラットフォームを有している様に感じられます。

アニメというバーチャルな世界だからこそ表現できる物が有るのかも知れません。中村健治監督から目が離せません。








ちなみに現代版ガッチャマンの聖地と言えば東京都立川。今、街中にはこんなバナーが!!