■ 学校で教わった歴史に疑問を持つ人達 ■
戦後、多くの日本人が、「戦争は間違いだった」と教え込まれてきました。
私が周囲の同年代の友人と政治の話しをすると、
「安倍総裁の自衛隊の国防軍への改称って有り得ないよね」という発言が飛び出します。
戦後の学校教育を受けてきた多くの人が、
「戦争=悪」、「軍隊=悪」、「日本軍=悪」という考え方をします。
一方で、最近の右傾化傾向で、「第二次世界大戦と日本軍」を再評価する人達も増えています。
「日本軍は本当はアジアの独立の為に戦ったのでは無いか?」
「アメリカが中国利権を獲得する為に、日本を戦争へと駆り立てたのでは無いか?」
「原爆という大量破壊兵器を躊躇なく使用したアメリカこそが悪では無いのか?」
「従軍慰安婦問題は、朝日新聞と一部左翼のでっち上げでは無いのか?」
ネットなどで、情報を収集する、自称「情報勝ち組」の人達の多くは、
今まで学んできた歴史観に疑問を抱くようになっています。
■ 「儀式」としての「東京裁判」 ■
かつて「美しい日本」を提唱した安倍氏の歴史感の根底には、
かつてA級戦犯に問われた祖父、岸信介の名誉回復への願いが見え隠れします。
岸氏は不起訴となっており、さらには総理大臣にまで上り詰めていますから、
決して岸氏の名誉が貶されているとは言えません。
しかし、岸氏を初めとする戦争遂行に関わった多くの日本の政治家達が
A級戦犯として、「ヨコシマな戦争の遂行者」として責任を問われた事も事実です。
「人道に対する罪」という「事後法」による裁判の違法性も問題はありますが、
これは法律論であって、この事を前面に出すと、東京裁判の問題点が不明確になります。
東京裁判の最大の問題点は、「戦勝国が敗戦国を裁く」という古来から繰り返されてきた行為が、
「裁判」という近代的な手続きの裏に隠蔽された事にこそあります。
「戦争」とは、対立する国々が武力で対立を解消する為に起こる現象です。
完全に中立な立場に立てば、双方の意見にそれぞれ「正統性」があり、
又、双方の意見に、それぞれ「不正」な部位が見られるはずです。
しかし、「戦争」という「実力」の結果として、
戦勝国の主張が正しく、敗戦国の主張が間違えであったと強制的に決まります。
「戦後法廷」は、「勝ち負け」という「最大の判決」が、
裁判以外の方法で決定してから開かれるので、
そもそも「裁判」としての体裁は持ちえません。
古来、敗戦国の社会の指導者や王は、殺されるのが当たり前でした。
東京裁判などの近代の戦争法廷は、「負けた国の指導者は裁く」という習慣を、
近代法のルールに則って実行しているに様に見せかけているに過ぎません。
インド人のパール判事は、「法律や裁判制度に忠誠を尽くす上」で
東京裁判の被告は無罪だと主張しました。
事後法で裁かれる東京裁判そのものが無効だと主張したかったのでしょう。
彼は日本人や日本軍の行動の正当性については判断をしていません。
純粋に、法律の運用的解釈から、裁判の無効性を主張したのです。
「負けた国の指導者は皆殺しだ!!」という人類の習慣を、
裁判というルールの中で実行しようとする事自体、最初から無理があるのです。
東京裁判は、古来からの「終戦の儀式」を、近代風にアレンジしただけのセレモニーです。
■ 「戦争理由の正当性」で勝ち負けは決まらない ■
戦争の勝ち負けは、「戦争理由の正当性」によって決まる訳ではありません。
単に、軍事力と経済力の強弱が、戦争の結果を決定します。
そもそも「正統性」とは「主観的な概念」であり、
利害が対立する二者の正統性は、完全に対立します。
だからこそ、人類は戦争という手段を行使してきました。
「戦前の日本の政策が正しかった」と強く主張すればする程
アメリカやアジアから見た日本の正統性を否定する事になります。
「狂人」の起す侵略戦争を除けば、
仮にヒットラーのナチスドイツの戦争ですら、
経済的な、あるいは国益的な正統性は存在しますし、
同時にそんな正統性などは、戦争に負ければ一瞬で否定される事も自明の理です。
■ 日本が戦争に負けた事実こそが大事であって、正統性を論じるのはノスタルジー ■
私個人としては、戦前の日本の軍部が一方的に間違っていたとは考えていません。
一方で「欧米の植民地として搾取されるアジアを、欧米支配から開放する」という目的は、
自国の利益の為の戦争を、アジアの為の戦争として正当化する欺瞞だと思っています。
確かに、戦争遂行者自身が自己の正統性を主張する為に、こういった自己暗示は有効ですし、
前線で戦う戦士達の士気を高める為には、崇高な理想は必要です。
しかし、戦争の本来の目的は、あくまでも「武力による利害の解決」に他成りません。
より大きな利益の為に、多くの人命を犠牲にしても戦争を遂行するのです。
ですから、戦争の結果に対しては、人々はドメスティックである必要があります。
「日本は戦争に負けた」という事実が重要であって、
「日本は正しかったのに負けた」という思考は事実を見誤らせます。
日本は戦争に負けて、アメリカに政治、経済を支配された結果、
今の日本が存在する事を真っ直ぐに見つめる事こそが大切なのです。
■ 歴史を知り、歴史を理解するという事 ■
戦後の日本教育は、明治維新からの日本の近代史をまともには教えていません。
第二次世界大戦の原因についても、戦勝国の視点で教育されています。
ですから、日本人が、日本人の視点で第二次世界大戦を見つめなおす事は、
歴史を知る上では、重要な作業です。
一方で、日本人の視点で、第二次世界大戦の正統性を主張する事は
一種のノスタルジーに他成りません。
私達日本人は、ある志を持って戦争に挑み、そして武力による戦争に負けただけ、
歴史の語るところは、それ以上でも、それ以下でもありません。
■ 歴史を捏造する事で、未来を変えることは出来る ■
歴史を支配する最大の原則は「不可逆性」です。
後の時代にどう解釈した所で、歴史は変わりません。
しかし、歴史をどう認識するかによって未来は大きく変化します。
日本人の多くが、中国や韓国の「歴史捏造」を非難します。
しかしそれが彼らの未来に対する「政策」である事には無関心です。
過去に遡って、日本の非道を捏造、追及する事で、
両国関係の未来は確実に悪化します。
■ 威勢の良い言動をあまり信用してはいけない ■
日本は最近の右傾化で、「日本は正しかった」と考える人も増えています。
「日本は間違っていた」という過度の刷り込みの反動とも言えます。
彼らは中国や韓国に対して反感を強めています。
「戦前も、戦後も日本のお世話になりながら、中韓の最近の態度はケシカラン」と叫びます。
自民党の政権復帰で、こういった声はさらに勢いを増す事でしょう。
しかし私達は、ここで歴史を振り替えてみる必要があります。
戦前も、威勢の良い扇情的なプロパガンダが新聞などでばら撒かれました。
その結果、日本人の多くは、何の疑問も持たずに戦争を支持しました。
一方で、軍事力と経済力の観点から、
日本の戦争参加に疑念を持っていた人達も少なからず存在しました。
彼らは「善悪」では無く「勝敗」の視点から、
日本の開戦は無謀であると判断したのです。
結果的には彼らの意見が正しかった事は明白です。
しかし、歴史に「if」は存在しませんので、
日本が開戦を回避した場合の歴史を、私達が知る事は出来ません。
■ 対米カードとしての「東アジア共同体」 ■
小沢氏や鳩山氏が推進しようとしていた「東アジア共同体構想」は、
対米カードとしては強力です。
日本・中国・韓国と、成長力のアジア諸国の連帯強化は
覇権国家アメリカに対する大きな抵抗勢力となり得ます。
だから、アメリカは鳩山氏や小沢氏を排除し、
さらには、日中、日韓の緊張を煽ります。
反中国、反韓国と声高に叫ぶ人達は、
一方で、対米交渉の為の強力なカードを破り捨てている事に無自覚です。
中国や韓国は特殊な国ですから、必ずしも連携が日本の利益になる訳ではありません。
しかし、ゲームの切り札は、最後まで手元に置いておくべきで、
ゲーム途中で、早々に捨ててしまうのは、いささか問題があります。
尤も、最後に手元にジョーカーだけ残っても負けになりますから、
ゲームの進め方は、意外にも難しい・・・。
■ 過激な中韓への対決姿勢はアメリカに付け入られる元 ■
安倍氏の言動は、中国、韓国に対して強硬です。
これが日本の国益に叶うかと言えば、
先述した通り、対米交渉の上では不利になります。
前回首相になった時の安倍氏の脆さは、
アジアカードを早々に手放した事に起因します。
北朝鮮に強硬な姿勢を示して国民の支持を確保していた安倍政権は、
アメリカが日本を無視して、米朝交渉を開始した事で、
完全にハシゴを外されてしまいました。
小泉首相は、靖国に参拝するなど、中国や韓国を刺激しましたが、
北朝鮮に電撃訪問するなど、アジアを柔軟に利用する上手さも持ち合わせていました。
(アメリカの絶大な支持があるからこそ出来た事ですが・・)
現状、アメリカは中国を封じ込める様にアジアを分断しています。
そして、高価なミサイル防衛システムのアップデートを
ちゃっかり自衛隊に売却して利益を上げています。
国際戦略を自国の利益に変換する手法はアメリカのお家芸です。
安倍氏のアジア戦略が、再びアメリカに利用されない事を祈るこの頃です。