TVの画面にあざみの花が一面に映し出された。
思わず、かぁちゃんに「あざみ!あざみやでぇっ!!」と叫んでしまった。
かぁちゃん、私の声に驚いたのか、じっとこちらを見つめたけれど
あざみの画は目に留まらなかったようで、ちょっとため息。

その昔、かぁちゃんが友人から頂いた湯飲み茶碗。
40年の時を経て、あちこちひびが入っているけど
どうしても捨てられない、大きな“お湯のみ”

その裏側に詩がしたためてある。
あざみ草 己の棘をしらずして 花と思ひし 今日の今まで
どなたの詩かは存じ上げないけれど、日々の食卓にのぼるには
ちょっと寂しすぎる文句ではございませんか?
そういえば、かぁちゃんの愛する“あざみの歌”も寂しげな歌には違いない。
もう一つ、題名は忘れたけれど♪あざみなぜなぜ棘ある花よ♪なんて歌もあったっけ。
同じ棘でも、薔薇の棘は女王様のように歌われるのに、あざみの棘は己を虐げているようで少し悲しい。
***************************************
ところが!TVが言うには、あざみを食する地方があるらしい!!
「へぇぇぇっ」とお驚いていたら、背の君が言った。
「あざみは普通に食べとったで。」・・・
なぁんだ。日本では北の国だけじゃなく南の国でだって食べてたのだぁ。
喜べかぁちゃんっ
薔薇は食えんけど、あざみは食えるぞ~っ
勝ったな
・・・ま、そういう問題ではないけれど。
あざみの花があちこちにに咲いている風景は羨ましい。
そういえばかぁちゃん、野あざみを見つけて根っこごと山から取って来て庭に植えてたっけ。
ところで、毎日何度も“あざみの歌”をトイレで歌う身としては(←かぁちゃんのっ!)
あざみの映像には当然“あざみの歌”がBGMに流れると思い込んでいたのに
何と、流れてきたのは、みゆきさんの“あざみ嬢のララバイ”だった。
♪ララバイ ひとりで眠れない夜は ララバイ あたしをたずねておいで♪
そうか・・・寂しいから優しいのだね。
思わず、かぁちゃんに「あざみ!あざみやでぇっ!!」と叫んでしまった。
かぁちゃん、私の声に驚いたのか、じっとこちらを見つめたけれど
あざみの画は目に留まらなかったようで、ちょっとため息。

その昔、かぁちゃんが友人から頂いた湯飲み茶碗。
40年の時を経て、あちこちひびが入っているけど
どうしても捨てられない、大きな“お湯のみ”

その裏側に詩がしたためてある。
あざみ草 己の棘をしらずして 花と思ひし 今日の今まで
どなたの詩かは存じ上げないけれど、日々の食卓にのぼるには
ちょっと寂しすぎる文句ではございませんか?
そういえば、かぁちゃんの愛する“あざみの歌”も寂しげな歌には違いない。
もう一つ、題名は忘れたけれど♪あざみなぜなぜ棘ある花よ♪なんて歌もあったっけ。
同じ棘でも、薔薇の棘は女王様のように歌われるのに、あざみの棘は己を虐げているようで少し悲しい。
***************************************
ところが!TVが言うには、あざみを食する地方があるらしい!!
「へぇぇぇっ」とお驚いていたら、背の君が言った。
「あざみは普通に食べとったで。」・・・

なぁんだ。日本では北の国だけじゃなく南の国でだって食べてたのだぁ。
喜べかぁちゃんっ


勝ったな

あざみの花があちこちにに咲いている風景は羨ましい。
そういえばかぁちゃん、野あざみを見つけて根っこごと山から取って来て庭に植えてたっけ。
ところで、毎日何度も“あざみの歌”をトイレで歌う身としては(←かぁちゃんのっ!)
あざみの映像には当然“あざみの歌”がBGMに流れると思い込んでいたのに
何と、流れてきたのは、みゆきさんの“あざみ嬢のララバイ”だった。
♪ララバイ ひとりで眠れない夜は ララバイ あたしをたずねておいで♪
そうか・・・寂しいから優しいのだね。
ずっとコメントさせていただきたいなと思ってました。
日頃からとてもお忙しいのに 何だかとてもお幸せそうなお話が続いていて・・つくづくステキなご家族だなぁと思っています。
あざみの湯飲み茶碗・・いいですねぇ。お母様のご愛用ですね?これで湯冷ましにしてお薬飲んだり水分補給したりして・・いつも傍らにあるんですね。お母様にぴったりの絵ですね。
2番目ぐらいにぽれぽれさんのここのサイトが出ていてビックリ(^^;)
グーグルって検索がすごいね(笑)
この短歌は、
「自分が美しい花だと思って浮かれるな。
傍から見れば棘だらけの近寄りがたいやつだ。」
という戒めに聞こえました。
湯飲み茶碗で毎日見る歌として悪くないですよ。
岡山では食べませんけども。
楽しい事があると少しでも書き留めておきたくて長々と綴ってしまい
いつの間にかブログを書き始めた最初の目的とは違って来たような気がしている今日この頃です(笑)
あぁ
素敵な事は至極稀なので、ついついはしゃいでしまうのです。
このお湯飲みは“母の歴史”を見つめてきた様に感じています。
が、とっても大きくて重いもので、母は今は使えなくて、普段は食器棚に飾ってあるんですよ
その方が、絶対に割らない自身がありますもの!
そにょ様、また遊びにいらしてくださいね。
実際、コメント欄に書かれたものまで検索出来てしまうみたいで、
正直、自分の事なら良いのですが、甥っ子達の事は書きづらくなっていますよぉ
そうか、そういう解釈も出来ますよね。
どうも私はコンプレックスが沢山あるので、ついつい僻みがちに何でも解釈してしまうようです。
で、私もググッてみました(冷や汗モノだわ)
どうやら、この歌はやはり、己を美しい花だと思うなよ!という戒めの歌であるようですよ。
そっかぁ、謙虚でありなさいと言う意味にも取れそうですね。
74歳になるばあちゃんです。私が18歳のころ、勤務先の2歳年上のお姉さんがこの湯呑みと似たものを使っていました。己の棘を知らずして、、、が書いてありました。あの頃からずっとこの詩が頭の中にありました。時々、自分を顧みる時にも思い出していました。朝ドラらんまんでもアザミ、でてましたね。懐かしくて検索してみたらこちらに辿りつきました。湯呑み、懐かしくてね。
懐かしい記事に嬉しいメッセージ、本当にありがとうございます。
はい。今朝、らんまんにあざみの花が出て来て、嬉しくなって妹とはしゃいでしまいました。
このお湯呑み、今は母の写真の前に飾っています。
母が母の友人から貰ったものですが、もう40年近く前になりますかしら。
伊藤久男の『あざみのうた』と共に、いつしか、野あざみの花=母 の様に感じています。
自分の年齢を誤って認知していました(笑)
私も歳を重ねる毎に、伏線回収に近い様な思いに駆られる事があります。
ふとした出会いや、突然蘇る記憶。等々。
あら、そう言う事だったのね。とか、これは忘れてはいけないと、記憶の上に新たな記憶を重ねてみたり(笑)
この時期の写真はガラケーで撮っていますので、画質がかなり悪く反映されていますので、
先程、新しい記事に、写真を載せました。
良ければご覧になってくださいませ。