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『あざみの歌』は まだ歌えますか

泣いて、笑って、歌って介護!!そんな日常の過去の記録と
新たに今一度自らを見つめてぼちぼちと戯言なりを綴ります。

気付かなかった罪(間違いの素)

2006年01月18日 03時24分37秒 | 気付かなかった罪
オヤジさんが二度目の借金をして再び家を失ってすぐかぁちゃんは離婚した。

あ~、変な事を思い出した。
かぁちゃんの離婚届を出す為に役所に向う途中、ジョギング中の高石ともや氏に偶然出会った。「高石ともやとザ・ナターシャーセブン」のあの高石氏である。その少し前に「陽の当たる道」だったっけか?アルバムを聴いて妹と歌って遊んでいた事もあり思わず声をかけてしまった。
私は背中に一歳になったばかりの息子を括り付け、左手に親の離婚届の入ったバックを持ち、もう一人の息子をベビーカーに乗っけて右手は高石氏とがっちり握手。
隣で項垂れてとぼとぼ歩くかぁちゃんを尻目にルンルン気分になったっけ。だって、なんだか良い事がありそうな気がしたんだもの。
あの時、信号待ちをしながら「ぼくの事知ってるの?」と人懐っこい笑顔で接してくれた高石ともや氏は今も歌にマラソンに元気に頑張っておられる。ステキだ!!

あれ、話が完全にそれてしまった(笑)
その時は、今が最低の時期だと思っていたし、これ以上は悪くはならないと信じていたので私は結構お気楽だったのだが、かぁちゃんはそうじゃなかった。
半同居生活をしながら我が家の近くで仕事を見つけて、うだうだ言いながらもしばらくは頑張っていたのに、五年後、老後の生活が不安でならないと、私に内緒で友達に進められるまま見合いをし、相手の事も詳しく知る時間も惜しんでさっさと再婚を決めてしまったから、びっくりするのなんの・・・かぁちゃんの友人の「私に内緒にしなさい。」というアドバイスその物に激怒して、私は猛反対した。かぁちゃんの性格を考えるとうまくいく筈なんてない思ったからだ。「嫁に行くなら二度と家へは戻ってくるな!」と啖呵を切ったが、結局程なくして私はかぁちゃんを嫁に出す事になってしまった。

大きな希望を持って嫁ぎ、それなりに重宝がられて「もしかしたら幸せに年を重ねられるのかな。」と最初の頃は私も安心して見ていたのだが、結果的に世の中そうそう甘いものじゃない。
夢見る夢子さんは夢破れて毎月のように我が家に里帰りをし・・・ついに自律神経失調症から心身症と医者に言われるようになった。
それから10年、紆余曲折を経て、連れ合いが亡くなるまで、かぁちゃんは頑張った。最終的には夫の下の世話をして見送ったのだから、かぁちゃんなりに必死で頑張ったと思う。その間には私たちを巻き込んでの大騒ぎは何度もあったが、そっちは忘れたいので、既に忘れてしまった(苦笑)

間違いの素というのは、この心身症という類の心の病がアルツハイマーの発見をかなり遅らせてしまった事だ。
アルツハイマー関連の事を調べていて分かった事は、今考えれば明らかにその初期症状だったのにも関わらず、側で生活していなかった事を言い訳にしたとしても、余りにも無責任に、全てのかぁちゃんの異常な言動をその心の病のせいにしていたのだから、これはもう私の失態に他ならない。
本当にその時は心の風邪は環境が変われば必ず治ると信じて疑っていなかった。
・・・かぁちゃん、ごめんね。こればっかりは私が大馬鹿だったよ。


阪神淡路大震災から11年が経った。
我が家は震源地からは遥かに離れていたが、それでも震災後しばらくは多くの家の屋根にブルーシートがかかり街の風景は一転した。
数日後、リュックに水や食料を詰めて被災地に足を踏み入れた背の君は帰宅してから言葉少なく語り、私達はそれに対して祈ることしか出来なかった。
何が起きるかわからない。今日と同じ明日があるなんて分からないんだと思い知らされた筈なのに、時の流れと共にその思いが風化していく。
それではいけない。こんな事じゃいけない。ぼんやりしていてはいけない・・・。

今改めて、黙祷を捧げます。




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気付かなかった罪(前書き)

2005年10月22日 01時36分03秒 | 気付かなかった罪
認知症には様々な原因となる病気があるが、かぁちゃんの場合、アルツハイマーとパーキンソンという二つの病名をもらっているので、あえて認知症という言葉は使わないでおこうと思う。

少し過去に遡って、自分自身の記憶を整理しておきたい。自戒の念も含めて。
かぁちゃんのアルツハイマーが何故中期の段階まで気付かなかったのか。
サインはずっと出ていた筈なのに、見つけられなかったのは何故か。
その兆しはどんな形で現れどういう経路で進行してきたのか。

病名をはっきりと告げられたのは、かぁちゃんのかかりつけの医者から紹介されたある大学病院の「物忘れ外来」でだった。
かかりつけの医者で撮ってもらったMRIを同年代の他の方と並べて見せてもらった時、既に素人目にも明らかなほど脳に萎縮がみられたので覚悟もしていたが、異常な言動が脳の病から来る物だと分かって少なからずほっとしたのを覚えている。

その時の医者の注意事項が、病名を本人に告げない事。何故なら初期の患者さんの中には先を悲観して自殺をしてしまう人がいるからだと言う。
アルツハイマーの特色として後期になると、とても穏やかになるそうだ。
いつもにこにこして、まるで仏様のように穏やかな顔つきになるらしい。そう告げた医者の顔がにこにこしていたので、そこまで来ると救いなのかなぁ・・・と漠然とした希望を持った。・・・確かにここ半年のかぁちゃんは無表情の時間が多いがなにかあると「うふふふ」と嬉しそうに笑っている。

アルツハイマーの治療方は薬を飲み続ける事、刺激を与える事。
デイサービス等で人と接する事は刺激と言う意味では効果的らしい。薬(アリセプト)は病気を治癒するものでもその進行を止める物ではなく、進行の程度を遅らせる物だという事だったが、これにも大きく個人差があるらしい・・・それだけだ。あとはかかりつけの医者のもとで、病気と付き合って行くしかないらしい。

「なら、どうすればいいんだ?」本人はそうでも、共に生きて行く私達はどうすれば良いのか?どのように接すればよいのだ?
一番知りたいのはそこだ。その辺りの事を教えてもらえる所はないのかと妹と二人で医者に尋ね、若いが熱心なその病に詳しい先生をを紹介してもらった。

彼女はお年寄りにはとても親切だった。見ていると暖かい心配りが感じられてとても好感がもてたのだが、何か嫌な思い出でもあるかのように、私達に対しては淡々と、これから起こり得るだろう問題点と、問題が起きた時に怒らないようにしなければならないという注意点を冊子を渡しながら説明し「病気の進行は個人差がありますが、家族の方がどう接するかで大きく変わってきます。」と言った。
この言葉は忘れられない。「この若さでこうなったのはあなたの責任ですよ。」という意味に取れた。そうでなくても自分の中では悔いが多く残っているのだ。どうか、追い討ちをかけるのはやめてくれ。本気でそう思った。

かぁちゃんが68歳の終わりごろだった。


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