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大河ドラマ…♪

2015-03-02 10:15:41 | Weblog
『平清盛』以来かなぁ、久しぶりに毎週見ている。
ひとつには幕末維新期は好きな時代だということもある。
で…。
ふと思ったわけだ。
せいぜい160年位しか経っていないんだよね、あの頃から。
長い長い歴史の流れからみればつい最近のことなんだよね。
そして、吉田松陰。
身はたとひ武蔵の野辺に朽ちるとも留め置かまし大和魂
と辞世を残して亡くなった(処刑された)時、若干29歳だったんだよな…。
残されている肖像画や“松陰”という号から、つい老成した人物を想像してしまいがちだけどさ。
いや、実際に老成してはいたんだろうな。
その受けた教育や、自ら求め蓄積した膨大な知識や思考、行動や経験によって。
もっとも、米国船に乗り込んじゃえ!という暴挙は若さがあったればこそ出来た行動かもしれないけどね。
松陰だけじゃない。
松陰門下の四天王といわれた久坂玄瑞も、吉田稔麿も、高杉晋作も、みんな20代で世を去っている。
吉田稔麿は池田屋事件のとき24歳で。
久坂玄瑞は蛤御門の変のとき25歳で。
ある意味、暴走に暴走を重ねて死地に飛び込んで行ったようなもの。
畳の上で亡くなった高杉晋作にしたって、大人しくしていたわけじゃない。
奇兵隊を組織したり、下関戦争では砲撃の指揮を執ったり、英国公使館を襲ったり(アレ?未遂だっけ?)…。
吉田、久坂に遅れることわずか3年、27歳で亡くなっている。
確かになぁ、彼らのそうした暴走・暴挙というのは若さゆえだとは思う。
でもその行動に至るまでの思考には若さに伴いがちな軽さや浅さ、皮相の情動がないんだな。
彼らの暴走は、彼らを暴れ馬に例えるならば、その手綱を執りきれるほどの大人がいなかったからかもしれない。
仮に松陰があんなに早く刑死せず存命だったならば、彼らの手綱をしっかり執っただろうか。
ん~、それはどうかなぁ…。
松陰自身も結構、暴挙の人だもんねぇ。
老中暗殺なんか企てちゃったワケだし。
“熱血”という言葉があるけれど、かれらを行動に駆り立てた“若さ”とはまさに、この“血の熱さ”だったんだろうね。 
肉体的な若さでも精神的な若さでもない、 “血の熱さ”
時代というのは、そこに必要な、そこに相応しい人物を生み出すものなのかもね。
吉田松陰もその四天王も、現代のどの世代にも当て嵌められないもの。
幕末維新期でなければ生まれ得ない人たちだったんだろうなぁ。
あ゛~~、週明け早々から取り留めもないことを考えてしまった…。
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