震災以降「あれから」とか「あの日」を何度聞いたことか、
震災から5年、
錦糸町で震災が発生し、
都バスで池袋まで3時間かけて移動、
娘と少しだけ電話で話せて、
奥さんとはメールが数通交せたが、
身内の安否を確認するまでに至らず。
携帯の電池残量を気にしながら徒歩で川越街道をひたすら歩き、
力尽きて駅の改札で寒さをしのぎながら一夜を過ごしました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/67/1e/8cfb6d86a9c5b3cff4440c78c101cfdf.jpg)
あれから5年、
被災地の海は穏やかで、
美しい海を採り戻してます。
3.11に併せてそこかしこで震災前、津波到達、その後の写真が掲示されます。
隣の席の事務で助けて頂いている女子は、
津波で家を無くし、
仮設住宅住まい。
地震発生の14時46分、
職場はサイレンとともに黙禱。
サイレンを聞くと隣の女子は「イヤな音」と言いながら涙を、
晴れているけど雪が舞う寒さの中、
地震発生からの行動を話しながら、
色々なことを聴かせていただきました。
当時の映像や写真を観ていると、
気持ちが同調してしまい、
私も涙が溢れそうになり、
思わず上を向いて涙をこらえてしまいました。
復興支援3年が経過し、
あと1年半と目標が見えてきても、
新しく出来た町には、
亡くなった人も、生活も、時間は帰らない。
その辛さを感じた1日でした。
赴任後の3.11の中で、
黙禱する時間も出来たのは、
少しは復興が進んだ証拠なのかもしれません。
来年も東北の被災地に居る事になる事業も決まり、
東北の復興を喜ぶ一方で、
家族との過ごす時間がいかに貴重であるか、
心を動かされる一日となりました。
震災から5年、
錦糸町で震災が発生し、
都バスで池袋まで3時間かけて移動、
娘と少しだけ電話で話せて、
奥さんとはメールが数通交せたが、
身内の安否を確認するまでに至らず。
携帯の電池残量を気にしながら徒歩で川越街道をひたすら歩き、
力尽きて駅の改札で寒さをしのぎながら一夜を過ごしました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/67/1e/8cfb6d86a9c5b3cff4440c78c101cfdf.jpg)
あれから5年、
被災地の海は穏やかで、
美しい海を採り戻してます。
3.11に併せてそこかしこで震災前、津波到達、その後の写真が掲示されます。
隣の席の事務で助けて頂いている女子は、
津波で家を無くし、
仮設住宅住まい。
地震発生の14時46分、
職場はサイレンとともに黙禱。
サイレンを聞くと隣の女子は「イヤな音」と言いながら涙を、
晴れているけど雪が舞う寒さの中、
地震発生からの行動を話しながら、
色々なことを聴かせていただきました。
当時の映像や写真を観ていると、
気持ちが同調してしまい、
私も涙が溢れそうになり、
思わず上を向いて涙をこらえてしまいました。
復興支援3年が経過し、
あと1年半と目標が見えてきても、
新しく出来た町には、
亡くなった人も、生活も、時間は帰らない。
その辛さを感じた1日でした。
赴任後の3.11の中で、
黙禱する時間も出来たのは、
少しは復興が進んだ証拠なのかもしれません。
来年も東北の被災地に居る事になる事業も決まり、
東北の復興を喜ぶ一方で、
家族との過ごす時間がいかに貴重であるか、
心を動かされる一日となりました。