※ オーストリア/ウィーン美術史美術館編 ‐ 中欧美術館絵画名作選(22)
変則気味に北方の画家三作品からスタートしたウィーン美術史美術館の旅。
少し地味だがドイツ・ルネサンスを代表する画家ハンス・ホルバイン(子)(1497-1543)からリスタート。
ちなみに彼、父親も同姓同名の画家だったので(子)と称されている。
1532年、ドイツのライン河畔の町バーゼルを出て英国に渡り、同地のドイツ商人の肖像を描いていたホルバイン、36年、39歳の時にイングランド王<ヘンリー8世>の宮廷画家として召し抱えられた経歴を持つ。
彼の作品は、使節としてロンドンに駐在するフランスの貴族たちを描いた肖像画、傑作 「<大使たち>」(ロンドン・ナショナル・ギャラリー蔵)を投稿したので覚えておられる方もあると思う。
その彼の 「ジェーン・シーモアの肖像」(上)が今回の作品。
彼の初期の作品のひとつとされる本作、感情を排した宮廷肖像画の典型とされている。
決して美人ではないものの固く口を結び、思慮深くじっと前方を見据える色白の女性は、宮廷の女官からそのヘンリー8世の三人目の妃となったジェーン・シーモア。
余談だが、宮廷お抱え画家ホルバイン、「ヘンリー8世の肖像」(下/マドリード・<ティッセン=ボルネミッサ美術館蔵>)も何作か描いている。
そのヘンリー8世がローマ・カトリックと袂を別ち、聖公会、アングリカン・チャーチを創るきっかけとなったアン・ブーリンとの再婚騒動。
すったもんだの末二人目の妃の座を得たブーリンだが、美人の通弊か贅沢を好み浪費を重ねるうえに男子の世継ぎは産めずで、王の寵愛を失うのも早かった。
なんと二年後には、国王暗殺や不義密通の容疑で反逆罪に問われ、処刑されてしまったというからアングロ・サクソン人も怖い。
で、三番目の妃となるのが、最初の妃キャサリン・オブ・アラゴンとブーリンの侍女で、ブーリンの又従姉妹だったシーモア。
その彼女、翌年に次のイングランド王エドワード6世を晴れて出産したものの、その月のうちにあっけなく産褥死したとされているらしいんだけど、まさか、それって、ブーリンの祟りじゃないよねえ?
ところで艶福家ヘンリー8世、待ち望んだ男子を産んでくれたシーモアに感謝感激雨あられ。
6人もいた妃のなかで唯一人ウィンザー城内の王室霊廟で隣に眠ることを許し、墓碑に “ もう一つの不死鳥に命を与えるために亡くなった不死鳥 ” と讃えたんだって、それほど男の世継ぎが欲しかったんだね、彼。
Peter & Catherine’s Travel. Tour No.1131
※ 「美術史美術館(3) ‐ フェルメール」へは、<コチラ>からも入れます。
ペトロさん風の表現で言えば「イレウスもどき」だったようですね。
その後、これもペトロさん風に言えば「少しは真面目に」過されていますか。
ところで、ウィーン美術史美術館、私的にはちっとも長く感じず、それぞれの名画楽しませて貰っていますよ。