ペトロとカタリナの旅を重ねて

あの日、あの時、あの場所で
カタリナと歩いた街、優しい人たちとの折々の出会い・・・
それは、想い出という名の心の糧 

続々・レンブラント ‐ 美術史美術館(34)

2016年10月19日 |  ∟オーストリアの美術館

 ※ オーストリア/ウィーン美術史美術館編 ‐ 中欧美術館絵画名作選(52)

 初期ネーデルランド絵画の巨匠ブリューゲル(1525-1569)とともに、美術史美術館が誇る北方の名画三作品から出発した今回の旅。

 その初回は、オランダ絵画黄金期をフェルメール(1632-1675)とともに担い、光と影の魔術師とも称されたレンブラント・ファン・レイン(1606-1669)の「<自画像 ‐ 職人の装い>」だった。

 このウィーン美術史美術館編を締め括るのは、やはり、そのレンブラントこそ相応しいと思う。

 ところで、母というのは、何時まで経っても忘れられないもの。
 むくつけき男(お)の子にしても、母は優しく甘酸っぱく、幾つになっても甘えたいと思う存在でもある。
 それは、この巨匠にしても同じだったよう、母を度々描いている。

 老人の顔が描けてこそ一人前、との信念を持っていたともされるレンブラント、傑作「<ゼウクシスとしての自画像 - 笑う自画像>」(ケルン/ヴァルラフ=リヒャルツ美術館蔵)をはじめ自画像や宗教画に多くの老いたる容姿を描いている。

 話しはそれたが、彼は幼い頃、母の膝で母の語る聖書物語を子守唄として育ったとされ、母を描いた場合の多くに宗教的意味合を持たせたともされている。

 そんな篤信の母が彼にして描かせたのが「母の像」(上/1639年)。

 本作は、ヨセフとマリアが<キリストの神殿奉献>のためエルサレムの神殿に行ったとき、“ 近づいて来て神を賛美し、エルサレムの救いを待ち望んでいる人々皆に、幼子のことを語りきかせたアンナという年老いた女預言者 ”(ルカ2章) の姿だとされている。

 レンブラント、八年ほども前にも初期の傑作のひとつとされる「母の像」(下/1631年/アムステルダム国立美術館蔵)を描いてい、これらの作品からも母への深い情愛が見て取れるのである。

 花の終わる頃から半年、34回に綴った美術史美術館編、厭きずお付き合いを頂き感謝いたします。
 ドレスデン、ウィーンと巡った中欧美術館の旅、また何処かの美術館で会えるのを楽しみに・・・。
 Peter & Catherine’s Travel. Tour No.1201

 ※ 「美術史美術館(33) ‐ ブリューゲル(14)」へは<コチラ>から入れます。 


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1 コメント

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なるほどね (旅人)
2016-10-20 01:05:51
てっきりブリューゲルで終わると思ったウィーン美術史美術館、レンブラントで閉めるとはちょっと意表を突かれたなあ。
次は何所の美術館で会えるのか?それも意表を突かれるのかな、楽しみです。
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