※ オーストリア/ウィーン美術史美術館編 ‐ 中欧美術館絵画名作選(19)
ドイツ東部にあって<エルベ川のフィレンツェ>とも称されるドレスデン。
そのドレスデンを離れ、ベルリンへと向かう列車に乗ったペトロ とカタリナ 。
鉛色の空は今にも雪が舞ってきそうなほど重く、前夜のTV、言葉は判らないが待降節に入り猛烈な寒波が襲来するらしく、ドイツ全土に雪のマークを張り付けていた。
♪ ドレスデン中央駅(以下08年)、寒くって陰で風を避けて(中)列車を待ちます
♪ 北部ハンザ同盟の街ハンブルク・アルトナ行が到着(中右)、ベルリンまで二時間ほどの車中(右)です
そんな空模様の所為にする訳ではないが、ベルリンの前に少し時間軸を戻して、ウィーン美術史美術館を訪ねてみたい。
ウィーンは、アメリカでの<同時多発テロ>の日(2001/9/11)に到着して以来のこと。
それから7年、待降節を直前した街は、主の降誕を迎える準備で賑わっていた。
♪ 同時多発テロの翌日でした、この街のシンボル、シュテファン寺院の前(01年/右)です
♪ 冬ざれの時季、中欧には珍しく快晴のウィーン、目抜き通りケルントナー(以下08年/中)の昼下がりです
♪ 市庁舎広場のクリスマス市(右)、待降節を前にジャンボツリーの点灯式の日でした
前置きが長くなったが、この美術史美術館、01年に<カタリナだけが一度>訪れている。
その折、一時間後に待ち合わせなんて無茶なことを約束させ、思えば 「随分と可哀想なことを」と反省、今回は十分な時間を用意した。
♪ 朝のケルントナー通り(左)、上段と比べると人影もまばら、歩行者専用道路に荷を搬入するトラックが
♪ 美術史美術館(中)、混雑を避けて開館前に着きました、開扉を待ってた人が入館(右)を始めています
重厚な木製の扉を開け入館すると正面に大理石の大階段が。
そこでは19世紀末から20世紀かけて活躍した象徴主義を代表する<クリムト>(1862-1918/ウィーン分離派)が、「エジプト」「古代ギリシャ」「16世紀フィレンツェ」など芸術の発展過程を主題に描いた装飾壁画が目に留まる。
♪ 少しピンボケですが大階段(左)です
♪ 踊り場にアントニオ・カノーヴァ(1757-1822/イタリア)の「ケンタウロスを殺すテセウス」(中左)が
♪ ここの壁(中右/右)にクリムトが描いていますが、小さくてオペラグラスでもなければよく見えません
さて、1871年から20年の歳月をかけて造られた美術館、中世から20世紀初頭まで中部ヨーロッパで強大な勢力を誇ったハプスブルグ家が財に飽かして蒐集した美術品、その質、量ともに第一級とされている。
取り分け<ピーテル・ブリューゲル>(1525-1569/フランドル/ルネッサンス後期)の収蔵は、故郷ベルギーのブリュッセル王立美術館をも凌ぐとされる。
Peter & Catherine’s Travel. Tour No.1123
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