ペトロとカタリナの旅を重ねて

あの日、あの時、あの場所で
カタリナと歩いた街、優しい人たちとの折々の出会い・・・
それは、想い出という名の心の糧 

ベルヴェデーレの奇才

2015年07月17日 |  ∟オーストリアの美術館

 08年の晩秋、ベルリンやハンブルクなどドイツ東、北部の美術館を訪ねる旅、その前に、ウィーンに寄ることにした。
 その理由(わけ)は、オ-ストリアが誇るウィーン美術史美術館を訪ねたいがためのこと。

 このウィーン美術史美術館、ふたりにとって少し曰くがあった。
 01年、プラハとブタペストへの遠足を終え戻ったウィーン、久し振りに晴れた日、郊外のシェーンブルン宮殿に半日遊んだ後、地下鉄でこの美術館へと向かった。

    

  ヴェルサイユ宮殿に負けじと、ハプスブルク家の女帝マリア・テレジアが威信をかけた夏の離宮
  可愛い児童たちと一緒に見学? テレジアン・イエローの宮殿、ウィーンの
碧い空に実に似合います

 ところがデジカメの電池が切れてしまい、ペトロ、一時間後に美術館の前で待ち合わせることにして、一旦、ホテルに戻ることに。

 一方、カタリナ、初めての美術館、チケットを買い手荷物を預けなどしていたら、とてもじゃないが一時間じゃ無理、再会?したときは消化不良の様子ありあり。
 そのディジタル写真、「なくてもいいから」と言う彼女を制してまでして撮ったものの、後日、失くしてしまうのだから世話ないよねえ。

     

  美術史美術館(左)の自慢のひとつがブリューゲル(父)の作品群、そのなかの「<バベルの塔>」(中左)
  同館に架るクラナハの「ホロフェルネスの首をもったユディト」(中右)
  同じくベラスケスの「マリア・テレーサ王女の肖像」(右)、後日、関連作品が登場します

 そんな訳で、「第一級の収蔵作品」に「無理して、ウィーンに寄ってよかった」と率直に思ったふたり、美術館から次の目的地へ向かうべく市電に乗った。  

    

  オペラリングから右へカーブ、暫く走ってから左手の公園らしき塀に沿って坂道を上ります
  乗車する際に運転士へ「停留所を教えて」と頼んでいたらしく、丘の頂上辺りで「ここだ」と教えてくれます

 17世紀後半から18世紀初頭にかけて、オーストリア帝国軍の総司令官にして、不世出の軍事的天才だったとされるサヴォイ家のオイゲン公。
 その彼の委嘱により建築家ヒルデブラントは、当時ウィーン南郊だった此処に夏の離宮を設計、それがこのベェルヴェデーレ宮殿なのだそう。

    

  案内板に従って道を辿ると、下手にシンメトリーに設計された水の回廊を経て下宮(左)が望める広場に
  その広場に威容をもって構えるのがベェルヴェデーレ宮殿の上宮(中/右)でした  

 水の回廊と呼ばれる庭園を挟んで上宮と下宮のふたつの建築からなり、現在はギャラリーとして中世から現代に至る作品を展示する。
 ちなみに、オーストリア美術館と表記することもあるようだが、小編は「ベルヴェデーレ」とする。

 そのベルヴェデーレに展示されている絵画コレクションのハイライトは、グスタフ・クリムト(1862-1918/オーストリア/象徴主義・ウィーン分離派)とエゴン・シーレ(1890-1918/オーストリア/表現主義)。
 Peter & Catherine’s Travel. Tour No.1004


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« お遍路 | トップ | シーレ ‐ ベルヴェデーレの奇... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

 ∟オーストリアの美術館」カテゴリの最新記事