ペトロとカタリナの旅を重ねて

あの日、あの時、あの場所で
カタリナと歩いた街、優しい人たちとの折々の出会い・・・
それは、想い出という名の心の糧 

聖カタリナに導かれ

2013年07月04日 | イタリア

 まさに絵の具の Sienna 色とはこの町の色のことだ、と旅のガイドブックは謳う。

 赤褐色の美しい中世の面影が色濃く残る城郭都市シエナ。
 この町の新市街と旧市街の境に聖カタリナを祭祀するサン・ドメニコ教会を訪ね、旧市街のドゥオモや世界一美しいとされるカンポ広場、この手の世界一はイタリアに限らず幾つかもあるような。を訪ねたのが前回。

 今回は、この町の生まれで聖人に列せられた聖カタリナの話。
 聖カタリナ、女性として初めて聖テレサとともに、学識に優れ信仰理解において偉大な業績を残した聖人に与えられる教会博士の称号を贈られている。
 ちなみに教会博士、2000年の歴史の中で僅か35名、うち女性は4名のみだそうだ。

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  その世界一美しいカンポ広場、貝の形に広がっています
 
 その要の辺りに今は市庁舎として使われているブッブリコ宮があります
 
 そして、広場のシンボル的存在がマンジャの塔です

 その “ 教会博士シエナの聖カタリナ ”、「ミサの前に読む聖人伝」(C・バリョヌェボ著・サン・パウロ刊)などに拠れば、聖徳の誉れ高く、詩人や音楽家、僧侶や聖職者は言うに及ばず俗人まで、実に多くの人が周りに集まり、聖女はそれを “ 麗しき群れ ” と名づけていたそうだ。

 聖カタリナの名を世に高からしめたのが、“ 教皇のバビロン捕囚 ”。
 ボルドー大司教から教皇に選ばれたクレメンス5世、ローマを嫌い14世紀初頭フランスのプロバンス地方アヴィニョンの町に教皇庁を置く。
 当然、フランス国王に支えられての教皇庁統率となり教皇至上権は破れ、以降フランス人教皇が6代続き、その期間は70年に及んだとされる。

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  ローマのミネルヴァ教会、象の背中に乗ったオベリスクが目印
 
この教会には、聖女の遺体が安置されています

 当時の教皇グレゴリウス11世に会い教皇のローマ復帰を迫り、そして、実現させたのが聖カタリナ。
 このため教皇ピウス9世は、聖女の遺体をミネルヴァ教会に移葬する荘厳な儀式を行い、聖カタリナをローマ第二の守護聖人と定めたとされ、その日(4/29)を祝う。

 聖女のアトリビュート・象徴のひとつが薔薇、カタリナ の入院に際して、多くの方にその薔薇を見舞って頂いた、感謝である。

 ところで聖カタリナはローマ第二の守護聖人、では第一の守護聖人は誰?
 勿論、聖ペテロと聖パウロ、この日(6/29)はローマ中がお休みになるんだって、えっ、なにもペトロ が威張る話じゃないって、ご尤も。

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 ローマのサン・ピエトロ寺院の聖ペトロの像、聖人の右足に触れると仕合せになれます
 四大バシリカのひとつ、サン・パオロ・フォーリ・レ・ムーラ聖堂の聖パウロの像です
 
オマケは、ヴァチカン博物館の大聖堂のクーポラが望めるテラスで
 
ふたりが並んでの写真、数えるほどしかなくて、ほんとに貴重なんですよ

 お休みを頂いて、シエナの町と聖カタリナのことなど二回に分けて書いたが、次回からまた、“ カタリナ便り ”、お届けできればと思っている。
 Peter & Catherine’s Travel. Tour No.650

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