ペトロとカタリナの旅を重ねて

あの日、あの時、あの場所で
カタリナと歩いた街、優しい人たちとの折々の出会い・・・
それは、想い出という名の心の糧 

ピサロ / シスレー ‐ オルセー美術館(8)

2012年04月25日 |  ∟フランスの美術館

第32室は、印象派の中で中心的存在であったカミーユ・ピサロの作品。

彼の友人ポール・セザンヌが1872年にオーヴェール・シュル・オワーズへ移った時、すぐ近くのポントワーズにピサロがいることを知る。
ふたりは励まし合い、相互が強い影響を受けたとされている。

まずは、82年3月の第7回の印象派展にピサロが出展した 「小枝を持った若い娘」。

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  「小枝――」(左)は、ピサロが本格的に取り組んだ人物画の一点
 
ピサロは、最初の印象派展に「白い霜」(中)を出品、セザンヌにも参加するように勧めた
 
その時にセザンヌが描いたのが 「<首吊りの家>」だとされている
 ピサロの 「赤い屋根」(右)とは、対象の捉え方や筆使いに類似性が見られるとされている

 そして、ペトロ が好きな画家、英国商人の子として生まれながらその生涯の大半をフランスで過ごしたとされる印象派の画家アルフレッド・シスレーの作品が架かる。

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  代表作 「ポール・マルリの洪水」(左)と 「ポール・マルリの洪水と小舟」(右)
 
セーヌ川沿いのポール・マルリ村で雪解け水により起こった洪水の様子を連作として描いている

 71年の普仏戦争の敗北によって、それを認めない民衆がパリで蜂起し誕生した革命政府・パリコミューンを避け、シスレーが同年から74年まで移住したルーヴシエンヌの冬景色を描いた 「ルーヴシエンヌの雪」。

 また、彼のイギリス滞在時期に、ロンドン郊外のハンプトン・コートを流れるテムズ川内の島イースト・モレジーで開催された競艇の場面を鮮やかに切り取った 「モレジーの競艇」も架かっていた。

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 冬の情景や景色を描いた絵の中でも代表的な作品のひとつとされる 「ルーヴシエンヌの雪」(左)
 
そして 「モレジーの競艇」(右)、レースの喧騒と興奮に満ちた雰囲気を躍動感ある作品にしている
 絵画収集家としても著名なオペラ歌手フォールの招きにより英国へ渡航した際に描かれたとされる

 穏健で控えめな性格ゆえ積極的な売り込みができず、経済的困窮は終生続いたらしく、友人だったモネ達に助けられたという。
 印象派の画家の多くが印象派の技法を離れていく中で、彼は終始一貫印象派画法を保ち続けたとされる。

 そんな不器用な生き方が来し方と重なり、彼の絵が好きになった所以でもある。
 マティスが 「典型的な印象派の画家は誰かとピサロに尋ねると彼は 「シスレーだ」と答えたという。
 Peter & Catherine’s Travel Tour No.459

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1 コメント

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一昨年の夏頃だったでしょうか、「ボストン美術館... (旅人)
2012-04-26 08:14:21
一昨年の夏頃だったでしょうか、「ボストン美術館展」で、シスレーの「サン=マメス、朝」を紹介されていましたよね。
それ以来、彼の絵に関心を持つようになりました。穏やかで静かな作風が観る側にも伝わってきます。[E:foot]
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