ペトロとカタリナの旅を重ねて

あの日、あの時、あの場所で
カタリナと歩いた街、優しい人たちとの折々の出会い・・・
それは、想い出という名の心の糧 

黄金の小道 ‐ ドナウの旅(9)

2015年05月08日 | チェコ/ハンガリー

 プラハ、この日も朝から雨、それも少し雨足が強いようでうんざり。
 空を恨めしがっても詮方ない、翌日の昼過ぎにはウィーンへの列車に乗らなければならないのだ。

 プラハ城の最寄りのマロストランスカー駅に着いて地上に出ると、嬉しいことに雨も上がってい、駅からの坂道を少し登るとプラハ城へと続く、長いが緩やかな階段状の石敷きの道があった

    
  1200年の歴史を凝縮したプラハ城へのアプローチのひとつ “ 旧登城道 ”(左)と東の門(中)です
  赤い土を焼いた瓦、緑青を吹いた教会の塔、雨に洗われた木々の緑、旧市街が一望(右)できます

 東の門を入ってイジ―通りから右手の階段を上がるとそこは “ 黄金の小道 ”、片側には軒の低い家が鮮やかな色に塗られて並んでいた。
 この小路に、この街で生まれた20世紀を代表する作家、「変身」や「審判」を書いたフランツ・カフカ(1883-1924)が、仕事場として使っていた家がある。

 * カタリナの独り言  〔写真帳・アルバムのメモ書きから〕
 楽しみにしていた、22番のカフカの仕事部屋
 1917年に仕事部屋としていた、と案内書にあったが、水色の壁の内側は薄暗く陰鬱
 日差しが差し込む明るい部屋だとは思いもしなかったが、ここは寂しくなってくる部屋だ  (

    
  どの家も二坪もあるかないか、天井高も2mほどの小さな家(左)が並んでいます
  建物には番号がふってあり、注目はその22番の水色の家(中)、仕事場として使っていたそうです
  カフカの家を離れ、元のイジ―通りに戻って聖イジ―教会(右)に向かいました

 * 序にペトロも独り言
 今は土産物屋になってい、土産物に並んで彼ゆかりの原稿や家具が陳列してあった
 正直に言えば、高知のはりまや橋みたく、少しがっかりもした  

 ちなみに、ボヘミア王ルドルフ2世の時代、王お抱えの錬金術師達がここで不老不死の薬を作っていたという伝説によって、黄金の小道と呼ばれるようになったらしい。
 実際のところは、教養に富み文化人として優れた資質を有した彼が芸術や学問を保護、特に、錬金術に大きな興味を示し、多くの錬金術師をここに住まわせていたからだそう。
 Peter & Catherine’s Travel. Tour No.969

 ※ 前号、ドナウの旅(8)へは、<コチラ>から入れます。


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