明日(8/13)から月遅れのお盆、ようやく夏休みにありつける方も?
大切な方の在りし日を偲び心静かに掌を合わされる方もあれば、羨ましくもご家族お揃いで盆踊りや花火大会に出かけられる方もあるのでは。
一昨年の夏、“すだく蝉の声、健気に咲く花、一瞬に散る花火など、八月には寂しいイメージが付きまとう” と書いた。
それは、“ この月は原爆忌や終戦記念日と、多くの無辜(むこ)の人を偲ぶ日が続き、それにお盆が重なり、列島が<祈り>に包まれる所為もあるのでは ” と続けている。
毎年夏になれば同じようなことを書いていて聊か恥ずかしいが、もって廻ってこんなことを書いたのは、通年と少し違う夏を迎えたことにもある。
今年ほど、祈り、そして、寂しく迎えた夏もなかった。
ひとりで迎えたことに加えて、深刻な術後後遺症に未だ悩まされていることも一因。
糅(か)てて加えて、四月、五月と腫瘍マーカの数値が危険域に、再発や転移率が高い部位とも相俟って、心の内を明かせば再発を覚悟していたことも。
再発していれば治療を受けず、カタリナ と同じ病院でホスピス、「君の部屋に遊びに行っていいかな?」「短い時間ならばね」なんて笑わせていたが、あながち冗談でもなかった。
浮かぬ顔もしていたらしく、目敏い方がお声を掛けて下さったりしたが、七月末の造影CTや腫瘍マーカなどの検査ではほぼ正常域に戻った。
主治医からは、気持ちを見透かした、偶然だろうけど。ように、「気を萎えさせないように」と注意をされた。
カタリナに比べれば、なんの此れ式のことだけれど、カトリックの端くれにいる者として今更こんなこと言ってちゃ嗤われるが、“ 嬉しい朝も悲しい夕べも、得意の時も失意の時も、祈りとともに暮らすことの大切さを改めて学んだ夏でもあった ” ということを書きたかった。
早朝(8/10)散歩で撮った「風船唐綿」(ふうせんとうわた)、本来晩秋に見られるのだそうだが、今年は随分と早く実がはじけ、綿を紡ぎ、種をつけていた。
綿とともに種を風に運ばせ生き残る知恵だろうか、そんな風に思った。
peter & Catherine’s Travel. Tour No.684