ペトロとカタリナの旅を重ねて

あの日、あの時、あの場所で
カタリナと歩いた街、優しい人たちとの折々の出会い・・・
それは、想い出という名の心の糧 

ルネサンス都市

2013年08月02日 | 大聖年イタリア巡礼

 ルネサンス期にフェッラーラ公であった、エステ家の擁護によって華やいだ宮廷都市フェッラーラ。
 この町、ルネサンス都市とも呼ばれているが、なぜそのように呼ばれるようになったのか?

 話はここから始まる。
 この町に転機が訪れたのは、北イタリア一帯を領有するエステ家が統治するようになってからのこととか。

 15世紀の終わり、当主エルコレー1世は建築家ビアージョ・ロセッティに大規模な街の改造を命じた。
 ロセッティは、当時フィレンツェで開花していたルネサンス様式に倣って設計したとされ、この町がルネサンスの都市計画にもとづき整備された、また、その景観美と有する機能性から、ヨーロッパ初の近代都市と謳われる所以とか。

 前書きが長くなったが、町の中心にあるのが、現在は一部が市庁舎として使われているエステンセ城

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 エステ家の居城エステンセ城、四方を掘りに囲まれ、跳ね橋を渡って入城します
 
イタリアでは珍しく濠に満々と水がありました

 ここには、フィリッポ・リッピ(1406-1469/イタリア/初期ルネサンス/フィレンツェ派)やフィリッピーノ・リッピ (1457-1504/ルネサンス/フィレンツェ派)親子のフレスコ画や空中庭園があるのだが、残念ながら休館のため入場が叶わなかった。

 また、城の前には、フィレンツェでキリスト教の堕落を追及したドメニコ会の修道士で、禁欲的な生活を説いたサヴォナローラの像がある。

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 サヴォナローラは、終生ローマ批判の舌鋒やまず最後は処刑されたそうです
 
生まれ故郷のフェッラーラの市民からは大変慕われているそうです

 城の中を素通りし、市庁舎の前からカテドラーレ、大聖堂へ。
 カテドラーレは、ロマネスク様式とゴシック様式がミックスしたロンバルディア様式の大聖堂。

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 12世紀に完成したカテドラーレ、大理石のファサードが素晴らしい
 
後陣部分は15世紀末にビアージョ・ロセッティが手がけたものとか

 余談だが、酢の王様と称されるバルサミコ。
 このバルサミコ酢の醸造の歴史は以外に古く、12世紀頃からエミリア・ロマーニャ地方のモデナ公としてもこの地を支配していたエステ家が、諸外国の国王や貴族達を招いた際に振る舞いに使ったとか。
 Peter & Catherine’s Travel. Tour No.678

 ※ 大聖年イタリア巡礼、前号「モザイクのある町」へは、<コチラ>から入れます。

コメント (2)
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