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ぱそらぼ (ぱぁと1)

パソコン講座を、まじめに愛するブログです

余裕

2013年10月21日 | ぱそこん道
日々、パソコン講座に接することが殆どで、それ以外の事…というのをあまり経験することがありません。それはそれで、狭い世界だなぁと思わなくもないのですが、何せそれだけで手一杯で(笑)。おかげさまで、パソコンを縁にしたお付き合いは広がるばかりで…、余裕が大切だとつくづく思いはするものの、なかなか余裕を実践するに至りません。

その分、パソコンを通した世の中の見方…というのには、長けて来たのかもしれないと思います。「パソコンを習得したい」という方々と教室の中で出会いますが、求めておられることは多分皆さん違っています。違って当然だし、違っていないとおかしいと思ったりもします。にも関わらず、ご本人なのに、自分が何を求めているのかを…わかられていなかったりします。う~ん、チョット違うかな。何を求めようとしているかなどと言ったことを、真正面から考えたりすることなど無いのだと思います。ですから改めて、「何をなさりたいのですか?」と尋ねても、大抵は明確な答えは返りません。

ただチョットパソコンを触って楽しんでみたいのと、仕事の中で発展的に使いたいのとは、根本的にアプローチが違います。ちょっとパソコンを楽しみたい…は、大いに大歓迎。パソコンってかなり面白いものですから。一方で、もっと機能的なパソコンの使い方を求めておられる方もおられます。私がやろうとしていることは、そのどんなニーズにも対応することなのでは、多分無くて…、パソコンの修得を目指していただきたいなどと、大それたことを考えていたりします。

そうした目で、パソコンを見ていると、何がその方の修得を妨げているのかが、見えてきたりもするものです。ただ、その「何か」を如何にしてその方にお伝えするのかは…これはかなり難しい問題です。その「何か」を突きつけられることを望んではおられない方々もたくさんいらっしゃいます。究極のところ、どれだけ自分が見えているか?ということなのだろうかと思ったりします。私自身には、できることとできないことがあります。できない事をできるようになりたいと思う願望は勿論あります。…が、望んだことを全て手に入れられるとも考えてはいません。が、今しばらく、望ものを手に入れようと願う方々のお手伝いができたらと思っています。



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カサクルル

2013年10月20日 | 雑談
生憎の週末になっています。地域では防災関連の催しが予定されていたのですが、雨のため規模を縮小しての実施、あまり人も集まらなさそうです。

雨の日は、スーパーやコンビニの店頭にも傘立てが設置され、色とりどりの傘で埋まります。雨に濡れた傘をしまおうとすると、ヒモがねじれていたり、ボタンが反対方向に向いていたりして、すぐに閉じられなかったりします。勿論、雨に濡れた傘ですから、手も濡れてしまいます。…ということで、傘立てには、最後までキチンとまいて止めないままのすぼめただけの傘が無造作に突っ込んであったりします。

ツイ、すぐに店から出るし、そのままでいいや…という気持ち、私にもあります。が、傘立ての中で半開きになっている傘、結構迷惑な気がします。こんな時、傘立てに立っているすべての傘がキチンとまいて止めてあったらすごいだろうなぁ…と思いながら、雨の日の買い物に走りました。

ちなみに「カサクルル」という商品があるそうです。カサクルルごと傘を持ち、クルクルと回転させ、最後は磁石でぱちんと止めてくれるという優れもの…なんだそうです。手をぬらさずに傘が巻いて閉じられます。1個、欲しい気がします(笑)。



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行儀

2013年10月19日 | 命の生き方
「行儀作法」というと、とても古臭い気がします。そのようなことは、「当たり前」の一言で片づけられていて、いい歳をした大人なら、誰しもが心得ていること。という風に、社会の中では取り扱われている気がします。が、果たして本当にそうでしょうか。私自身は核家族で育ちました。多分、しつけられずに育ってしまったところが多々あるだろうと思っています。が、その私ですら、あんぐり…とする場面には、度々遭遇します。

「礼儀」と「行儀」という言葉は違うのでしょうか。何となく少しだけ違うような気がしますが、それはあくまで私が感じる印象だけの話ですから、国語的にそうかどうかは分かりません。礼儀というのは、誰か(恐らくは大抵の場合、人をイメージしますが、そうではないもっと大きなものを指す場合もあるかも知れません)に対して、敬意を表す作法でしょうか。対して行儀は、普段の立ち居振る舞いの事を指しているように思います。勿論、その立ち居振る舞いを見ている人がいるわけですが、たとえ誰も見てはいなくても、心得ているべきことのように思います。

恐らく、今の時代は「型」にはめることを嫌います。家の中くらい、気楽にというのが大半の考え方ですから、少なくとも今の社会を構成している大半の者は、「行儀」を口うるさく言われて育った世代ではありません。

ただ、歳をとった証拠なのでしょうか、自分の立ち居振る舞いは棚に上げて、やはり「行儀」は幼い頃に教えておくべきことだとしばしば感じます。それは多分、人格の根っこを作るような気がします。以前、関東で電車に乗ったところ、扉が手動の時がありました。慣れていないので、扉が開かないと、延々乗れずに待っている勢いでした(笑)。ホームでの待ち時間が長いため、扉を開け放さずに停車していたようです。手慣れた人たちは、扉を開いて乗車してくると、必ず扉を閉めるのですが、中に扉を開け放しにする人もいます。一人の若い女性が、明らかに不愉快な顔をして、開け放しになっている扉を、一々立って閉めに行っていました。開けたら閉める、マナーと言えばマナーなのでしょうけれど、せめてその不愉快な顔は止めて欲しいと思うような物腰でした。が、この女性、やおら車内で化粧ポーチを広げてお化粧をし始めました。とてもアンバランスに見えたのは言うまでもありません。

車内のお化粧は、今では半ば市民権を持っていたりします。人と食事の時間を共にしながら、机の上の書類を読む人、明らかに場違いな個人的な質問を公の場でする人。。。。決して、それは他人が口を挟んで咎めることができるものではありません。それは、育ってきた過程の中でしか、恐らくは正せないようなものです。何でも横文字でカタカナで言うことが流行ります。が、マナーやエチケットというのとは少し異なっている気がするのです。誰かに強制されたり、呼びかけられたりするのではなく、その内面からにじみ出てくる行動が美しくありたいと思います。



エクセルの行間を広げたい

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就活

2013年10月18日 | 命の生き方
今春大学を卒業した人たちの4月1日時点での就職率は93.9%だと言います。2年連続の上昇は、世の中の景気の回復を如実に示しているものと思われます。今の時期、来春入社する人たちに対する内定式の大半が終わったのだと言います。内定式というのは、次年度入社予定者を対象に内定通知書を授与するなどの式典を指します。13年度の就職活動も、緩やかな景気の回復を反映して、「雪解けムード」だとの報道も聞かれます。

その一方で、就活がうまく行かない事を苦に自殺に追い込まれる人が増えているという報道があります。警察庁の統計によると、就職失敗の理由で自殺した20代は今年150名近くにのぼり、以前の統計(2007年)から比べると約2.5倍に増えているのだそうです。

いつの時代も、人生は甘くはありません。し、若い時に人生に苦悩するのの定番であるとも言えます。が、「人生に苦悩する」ことと「現実に失望する」ことの間には差があります。人は何のために生きるのかと自問自答することと、生きている現実の中で定められた列車に乗り損ねて挫折することの間には根本的な差があり、それは誤解を恐れずに言うと、非常にひ弱な印象を持つのです。

価値観が多様化している…などと言われはしますが、結局のところ同じ価値観の列車に乗ることしか選択肢が無い世の中のように感じます。日本の社会の殆どを第3次産業が占めており、第1次、第2次的な生き方の選択ができません。価値観が一律になることで、物差しが一つになり、一つの物差しで測る以上勝者と敗者が出て来ざるを得ないのが今の現実です。

但し、それは社会が悪い…といった事なのではなく(悪いのではありますが)、 自分独自の価値観を持てない悲劇のように思えます。社会に対してネガティブな印象を持つ若者はいつの時代にも多いものですが、そのネガティブをはねのけるたくましさが必要です。



印字が重なってしまう

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特別警報

2013年10月17日 | 社会派らぼ
先日の台風18号では、運用が開始されて以来初めての「特別警報」が出されました。実際の台風は、愛知県に上陸し、山梨や福島を通過して三陸沖へ抜けたのですが、特別警報は福井、京都、滋賀などに出されました。(おかげで遠出をしておりました私は、びわこ線が停まってしまったので、家に帰るのが大変でした…。)実際、これらの地域は、台風が通り過ぎたにも関わらず、「これまで経験したことのないような」大雨に降られて、嵐山の渡月橋がエライことになりました。

特別警報というのは、数十年に一度しかないような非常に危険な災害の際に発せられるもので、自治体は住民に周知徹底しなければならないことになっていますが、今回該当地域内の4つの自治体では、住民への周知が行われなかったことが問題になっています。制度が導入されてから初めての運用…ということで、自治体側にも周知徹底の方法を確立する暇がかったものと思われます。

その一月後には更に台風26号が襲来しました。今度は、伊豆大島に大雨が降り、死者17名、行方不明43名という大惨事になりましたが、特別警報は発令されませんでした。発令には、当然ですが基準が定められているわけで、今回はその基準を満たさなかったということのようです。雨量は基準を上回ったものの、被害の広がりが基準より狭かったとか。元々伊豆大島自体が島ですから、この島の広さでは特別警報は出ない…仕組みのようなのです。こちらは、警報発令の基準自体を見直す必要がありそうです。

一方、滋賀では、未明に雨風が強かったものの、大きな被害に至ることなくやり過ごしました。が、朝の時点で強風警報が発令されていたため、学校は休校(もしくは午前中休校)の措置が取られたようです。青空に薄日まで指している天候で休校というのも、これはこれで違和感がありました。

自然災害は予測が困難で、私達は時として自然の猛威に振り回されて来ました。様々な観測技術の進歩をもってしても、被害を未然に予見して防ぐことは難しいことであると思い知らされると同時に、何もかもを一律の基準に頼って判断することにも一つの危険があるようにも感じます。過剰なくらいに防衛をしておいて丁度良いという考え方も必要であると同時に、危険を察知して回避する本能も磨かなければならないのだろうと思います。一人でも多くの命が助け出されますように。



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訃報

2013年10月16日 | 命の生き方
漫画家やなせたかし氏が亡くなられました。90歳を超すお歳でありながら、時折拝見する姿は、とてもエネルギッシュで、生涯現役を地でいく執筆活躍をされてたように感じていましたが、残念ながら死去の報が流れました。報道によると、肝臓がんの診断を受けて入院されていたと言います。代表作「アンパンマン」の版元フレーベル館の社長は「覚悟はしていたが…」と、語られました。

確かに、人間は必ず確実に、一生にただの一回だけ「死」にます。そのことは分かっているし、人間の寿命が長くても100歳余りであることも分かっています。いつまでも「生」きていられるわけではないことは分かってはいても、それが「明日」だとは思っていなかったりするわけです。

文学や芸術の世界というのは、1+1が2になるといった世界とは異なります。やなせ氏のアンパンマンも、当初は子どもには分かりにくいと酷評を受けたこともあったようですが、何より子どもたちが競うように読んだと言います。漫画家として売れ出したのは、50歳を過ぎてからのことだそうで、氏の本質は「深い思想」なのだと、そんな風に思います。誰が理解しなくても、芸術だと言い張れば、それは芸術になるような世の中ですし、最近の出版事情を見ていると、ストレートで単純なものはあまり好まれません。深く鬱屈して、複雑にうねるような筋立てに世の中が走る中、アンパンマン思想はあまりにも真っ直ぐでした。しかもそれが単純な言葉遊びや演出ではなく、氏のほとばしる想いだったことが鮮烈だったように思います。

東日本大震災前に引退を口にされていたそうですが、被災地の子ども達がアンパンマンの歌に希望を託すのを見て、生涯現役を貫かれたようです。

最近「○活」ばやりで、その中には「終活」という言葉があります。人生の最期を迎えるに当たり、何をすべきか…を模索するようなことを指しているようです。葬儀や墓の準備、財産の相続などの整理など、身辺をキチンとすることが求められているのだと思います。が、私は「死」ぬことは突然であって良いと思っています。やなせ氏がそうであったかどうかは知りませんが、納得のいく死など多分無いような気がするのです。私たちが唯一できることは、「生」きることだけのような気がします。歳だから、寿命だから、もう疲れたから、十分にやりたいことをし終えたから…。それらは単なる言い訳でしか無くて、自分の中を貫く熱い想いがあれば、常に「明日はまだこれがしたい」と思っているのではないか…と、そんな風に思います。

熱い想いを貫かれた氏のご冥福を心よりお祈りします。



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