[「ありがとうございます」をもっと平易に]カテゴリーからの投稿です。
『思いやりの心』とは、相手が真実に求めているものを、必要な相応しいものだけを、報いを求めず与え尽くす心です。
(「ありがとうございます」より・一部語句互換)
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この相手が「真実に求めているもの」を把握することは、とても難しいです。例えば、身体の不自由な方がクルマに
乗る時に全面的に手を貸すか、それともその方が自分で乗ろうとする行為を見守るべきなのか・・・その時点では
その方は困っているわけですから、その行為を手助けしようと思うわけですが、それもリハビリだとみて、見守りながら
ホントに危ない時に手を差し延べるという考え方もあります。
このような、少し引いて判断するような局面は結構ありますよね。子育てもそうでしょうし、スポーツ選手育成の
場面でもありそうです。
手を差し延べる側も、その動機において優越感を持っていたり、自己満足な思いが隠されている場合もあります。
「小さな親切、大きなお世話」なんて場面もあります(笑)
さらには、相手が相手の自我の領域でホントに困ってて、何とかしてもらいたいと望んでいても、その通りに手を差し
延べては、その相手の本心にとっては良くない手助けだったりする場合もあります。で、その時、手を差し延べなければ、
「冷たい」とか「ケチ」とか言われちゃうわけですね。(苦笑)で、数年経ってから、あの時は、ああいう態度で接してくれて
ホントに助かった、なんて感謝される事もあったりします。
ですから、相手にとって本当に良かれと思うことはどういう事なのか?よ~く考えて行動しなければなりません。相手の
成長過程、時間的なタイムラグなども含めて・・・。「相手の立場になる」とは、よく言われることですが「相手の本心の立場」
に立つということが、本当の「思いやり」なのかもしれませんね。
「報いを求めず」というのも、とても難しいですよね。ついつい、こーしてあげたんだから、あーしてあげたのにと思って
しまいます。まあ仕方のないことかもしれませんが、その感情に執着せずに、できるだけパッと切り離して忘れちゃうことで
しょう(笑)今日は今日、明日は明日という風に引きずらない事です・・・ね^^
読むとうんうん。と思うのですが
実際に自分ができるか。。。と思うと難しいです~ ^^;
小学3年生くらいの時、体が不自由な子たちとの合同キャンプで、靴をはこうとした子に靴を差し出したら
指導員さんに『何も出来ないわけじゃないのよ!手伝ってと言われたら手伝うの。』とガツンっと言われた事が今も心に残っています。
子どもだったので、その時は悲しかったのですが
今は大人になって、そのガツンさが目を開かせてくれて良かったなぁと、
pawさんの文を読んで思い返しています。^^
このカテゴリーに反応してくれて
うれしいです~^^
>小学3年生くらいの時、体が不自由な子たちと
>の合同キャンプで、靴をはこうとした子に靴を>差し出したら
>指導員さんに『何も出来ないわけじゃないの
>よ!手伝ってと言われたら手伝うの。』とガツ>ンっと言われた事が今も心に残っています。
これは悲しくなっちゃうよね。小学3年生の
nonohanaちゃんが、ピュアな童心天心で手を
貸そうとしたのに、ガツンはないでしょう。
「うん、相手を気遣って、とっても、偉いね!
ありがとう。でも、自分でやることに挑戦して
いるから応援して見守ってあげてね」
だったならば、トラウマになることもなかった
はずでしょう。
手伝おうとしているnonohanaさんの立場・気持
ちになれず、自分の指導員としての立場だけを
主張するのは大人げないですよ。小3の可愛い
子に向って・・・ね。
ブログに書いた事は理想的なことですけど、
どんな事よりも自分の動機が大切です。
借りに
行動が間違っていたって、次からはこうしよう
でいいわけで。手助けしようと思う優しい気持
ちを育てることが第一順位です。
子育てもがんばってくださいね^^