「昔の写真シリーズ」というカテゴリーを作りました(笑
プリント写真からのスキャンです。古いぞお~~~^^
1975.7.21~31 高校一年の時に北海道へ行ったときの写真。
「北海道周遊券」という切符で東京から北海道へ行き、二週間(20日間?)有効で、道内なら
何処でも自由に乗り降りできるという優れもの^^ 二万円くらいだったかなあ。親のすねをかじって^^;
宿をまったくとらず、すべて夜行列車を繋いだ旅でした。寝台には一回くらい乗った気がしますが、
ほとんど、ボックスシートで、身体を九の字に曲げたり、シートの足元で寝たりという強行旅行でしたよ。
函館-札幌、札幌-稚内、札幌-網走、札幌-釧路、札幌-帯広(間違っているかも)などの
夜行を駆使して乗り継いでましたねー。
蒸気機関車による旅客列車の最終運転は,北海道の室蘭・岩見沢間 1975年12月。
現役最後のSL旅客列車の年ということで、カメラ小僧、鉄ちゃんのお誘いをうけて出掛けた
旅だったのでした。
この旅行をきっかけに、「旅行」と「写真」に目覚めたのでした。15の夏^^
翌年夏には、同級生と同じような旅で九州へ行きました^^(夜行、駅の待合室泊)→あとでアップ♪
その気になれば、何処にでも自由きままに行けるんだと思いましたね。今でも、そんな思いが
行動の底流に流れている気がしますよ。
思い出したら、この旅行に先立って、中一のときに、茨城県・鹿島の友達の田舎まで東京から自転車
で行ったことがあった。(100キロ以上)興奮して眠れなくて01時に友だちと出発、小松川橋のたもとで、
交番のお巡りさんに止められ、家出小僧だと思われ、家に電話されたっけ。その後、旅だと確認され、
開放されました。今の時代なら、こんな危ない旅は許されだろうなあ。12時間かけて到着したのでした。
時代背景は、
1969 映画「イージーライダー」
1960年代後半から1970年代末期 「カニ族(カニぞく)」
大型リュックサックを負った旅装、およびそのような出で立ちの者たちを指した日本での俗称。
登山者や、長期の低予算旅行をする若者に多く見られた。
北海道・栗沢
北海道・栗沢
どこだろう?岩見沢かな?
Kodak TRI-X 400でのショットかな?mok?
プリント写真からのスキャンです。古いぞお~~~^^
1975.7.21~31 高校一年の時に北海道へ行ったときの写真。
「北海道周遊券」という切符で東京から北海道へ行き、二週間(20日間?)有効で、道内なら
何処でも自由に乗り降りできるという優れもの^^ 二万円くらいだったかなあ。親のすねをかじって^^;
宿をまったくとらず、すべて夜行列車を繋いだ旅でした。寝台には一回くらい乗った気がしますが、
ほとんど、ボックスシートで、身体を九の字に曲げたり、シートの足元で寝たりという強行旅行でしたよ。
函館-札幌、札幌-稚内、札幌-網走、札幌-釧路、札幌-帯広(間違っているかも)などの
夜行を駆使して乗り継いでましたねー。
蒸気機関車による旅客列車の最終運転は,北海道の室蘭・岩見沢間 1975年12月。
現役最後のSL旅客列車の年ということで、カメラ小僧、鉄ちゃんのお誘いをうけて出掛けた
旅だったのでした。
この旅行をきっかけに、「旅行」と「写真」に目覚めたのでした。15の夏^^
翌年夏には、同級生と同じような旅で九州へ行きました^^(夜行、駅の待合室泊)→あとでアップ♪
その気になれば、何処にでも自由きままに行けるんだと思いましたね。今でも、そんな思いが
行動の底流に流れている気がしますよ。
思い出したら、この旅行に先立って、中一のときに、茨城県・鹿島の友達の田舎まで東京から自転車
で行ったことがあった。(100キロ以上)興奮して眠れなくて01時に友だちと出発、小松川橋のたもとで、
交番のお巡りさんに止められ、家出小僧だと思われ、家に電話されたっけ。その後、旅だと確認され、
開放されました。今の時代なら、こんな危ない旅は許されだろうなあ。12時間かけて到着したのでした。
時代背景は、
1969 映画「イージーライダー」
1960年代後半から1970年代末期 「カニ族(カニぞく)」
大型リュックサックを負った旅装、およびそのような出で立ちの者たちを指した日本での俗称。
登山者や、長期の低予算旅行をする若者に多く見られた。
北海道・栗沢
北海道・栗沢
どこだろう?岩見沢かな?
Kodak TRI-X 400でのショットかな?mok?
書かれるまで、すっかり忘れていましたよ。
そんな切符も流行りましたよね!
ちょうど、同じ頃の時期ですよね、たしか。
家にも何処かにあるんじゃないかなあ。
でも、あんまりお金・・貯まってないな・・
(笑
ああ・・でもホントに懐かしいです^^
50.3.20 料金30円
何だか懐かしくなって・・
当時のものを引っ張り出してたら、
こんな切符が出てきました。
「持ってるとお金が貯まるらしいよ」と、
北海道の旅から帰ってきたもう一人の・・
心大らかな旅人が送ってきてくれたもの(笑)
因みに「幸福ゆき」の切符の料金60円でした。
夜行列車の旅は良かったですね・・
時間もお金も節約できた時代です^^。
南風さんも夜行で旅されたんですねー。
北海道では、夜行列車は全て無くなってしまっ
たようです。
車を運転するようになってから夜行列車に
乗った記憶は一度しかありません。それももう
二十年以上前かな・・?
こうして、思い出してみると、夜行列車に乗っ
ている時間帯はいいものでしたね。
あまり寝れなかった気もするけど、とても非日
常的な時間で魅力的です。
OH!BOY!のような格好で・・・(笑
愛国→幸福行きの切符、
えっ!1949年?と思ったら、昭和49年って事
ですよね。
となると、1975年は昭和50年だから、この旅行
の前年ってことになりますね^^
長期の旅は無理でしたが・・あの頃は私も、
駅や夜行列車を利用した旅をよくしましたよ。
女子の一人歩きは危ないと非難され、
それならばと・・当時はいつも、
Boyのような格好で出かけてました(笑)
「幸福駅」
49.9.3 の日付が記してある切符が一枚。
「持ってると幸せになれるらしいよ」と
心優しき旅人がくれたものですが、
今でも大切にとってあります^^。
網走行きの夜行列車だったんですねー。
おかげさまで、ここから起点で、
悪の道に入り込みました(爆)
いえいえ、健全な楽しみ方ですよね^^
懐かしいですねぇ・・・涙が出てきます。
一番上から室蘭本線・栗沢駅、岩見沢駅、網走行の夜行列車車内で眠りコケるpawさんです(爆
同じ年代だと、懐シリーズは受けますよね^^
最近、懐メロ聴いても、すぐに入り込んじゃう
し(笑
この旅行は、3~4上のアマチュア無線仲間と
その友達との旅だったんです。同じ年だったら
ここまで企画できなかったでしょうね。
で、翌年、クラスメイトと九州へ行くことに
なるんですけど。
2月の北海道・・・う~ん、厳しいでしょうねー。行けなくて残念でした。
息子さん・・野球部・・まあ、そうですねー、
でも、そこでしか体験できないことも経験して
いるわけで、それはそれでいいんじゃないです
か?
いや~、会いに行きたいんですけどね、
ちょっと夏以降でないと無理そうなんですよ^^;
年内には、何とか必ず!待っててね~(笑
実は、15の夏2 に カーボーイハットを
かぶって登場しますよ(笑
おお!バンドやってたんすか?
ロックっすか?フォークかな?
私もこの頃、アコギを弾いてましたねー。
おお!息子さん15歳^^
思春期真っ只中^^ ガンバレ~♪
あのころ君は若かった~♪
ってやつですよ。
昔はどうでもいいかなと思ってたんですが、
何がどう自分を動かしているのか解らない
のですが、こんなシリーズも時々アップ
していきます^^
SHIGEさんの方が、私よりもスゴイ旅をして
いるんじゃないですかあ?
って、学生以降かな?
なんかものすごく胸の奥を揺さぶられる感じがします。
私の15歳はもっと暗くて、勇気もなかったな。
周遊券を使って廻り始めたのは、大学生になってからです。
しかし、北海道は行く前になって高熱を出したりして実現しませんでした。凍死が怖かったのかな?2月だったし。
息子が高校を卒業した春、小遣いを持たせて18きっぷで好きなところへ行ってこいと追い出しました。
彼は、ずっと野球しかやってこなかったので、自分で乗る電車も宿も決めることをさせておきたかったのです。
野球をやっている連中は、ある部分で甘やかされていますから。
実際のところ、18きっぷを持って出掛けたかったのは、私であることは言うまでもありません。
ところでpawさん、いつきます?
この記事で、ものすごく会いたくなっています(笑)。
私は、アマチュアバンドに明け暮れた頃です。
今年、息子は15の夏。
冒険して欲しいような、して欲しくないような
あの頃は良かった~、何て
歳を取ったものです。
女はその類のたびは無理でした。тт