2009.8.30 大瀬崎 水深15m
ダイビングから帰って、あっという間に一週間。
確かに過ごした竜宮城は、すでに夢のようです^^
いろいろな時を過ごしています・・・
没頭のとき 驚嘆のとき 至福のとき
判断のとき 迷いのとき 決断のとき
直観のとき 第六感覚のとき
提案のとき アドバイスのとき
愛のとき やすらぎのとき
出会いのとき 再会のとき 別れのとき
こだわりのとき
ひとつひとつの とき が わたしの たましいに きざまれてゆく・・・
放愛のとき 受愛のとき
静のとき 動のとき
怒りのとき 喜びのとき
沈黙のとき 我慢のとき
行動のとき 静観のとき
あやまり や こうかい も ふくめて 生きることは 変化し続けること・・・
ひとつひとつの とき が わたしの たましいに 刻まれてゆく・・・
・・・なにひとつ うしなわれることなく わたしを つくりあげてゆく
喜びの時、愁いの時、
真実の時、偽りの時
怒りの時、
決意の時、優柔不断の時等々・・・
いろいろな時があるけれど、どれも自分の人生に
影響を与えているのですよね。
人生何度か分岐点があったけれど違う道に言っていたらどんな人生を送っていたのでしょうね。
その時々の決断の時が今の人生に・・・・
打つキーボードもままならぬ状態です(笑)
でも、きっと違う分岐方向へとは行かなかったと
思いますよ。
と、shouenさんもきっと思っていることでしょう^^
自分もそうです。ここにいて・・それが自分の人生
なんだと思います。
これからも、それは点と点、線と線で繫ぎ合わせて
生きていくことでしょう。
決断も迷いも全て人生の一こまです。
目指して行きましょう。生きましょう。
活きましょう。そして、生き込みましょう!
この人生は一度きりしかありませんからね!
‥その延長で、日本に話題が及びました。当時の日本の実情が分からない理由は、文字の定置がなかったからだと行き着きました。
言葉を、文字として残すことの大切さを実感したものです。
そうしてpawさんの文を読むと気付くのです。伝わってくるのです。
言葉の大切さ。形にして表現することの重みです。
言葉を並べて表現するわけですが、
100人いれば100人の受け取り方があります。
同じ言葉でも、
’ダイジョウブ’
’だいじょうぶ’
’大丈夫’
と、カタカナ、ひらがな、漢字で、受け取る
ニュアンスが異なってくる場合もあります。
日本語のアナログ的な表現や、比ゆ的な伝え方が、
記録としては曖昧さを残すのでしょう。
記録はデジタルに限りますね。
でも、こんな精神性のある日本語は大好きです^^
イマジネーションとインスピレーションを
増幅させてくれますね。
心に届く言葉は、いかにストレートに伝えるかでは
なく、いかに受け手の創造力を増幅させるか・・・
と思いますね^^