’スピリチュアリズムからの風景’カテゴリーです。
(スピリチュアリズムを掲げる宗教法人もありますが、当ブログとは一切関係あり
ません)
全盲のピアニスト辻井さんが、第13回ヴァン・クライバーン国際ピアノコンクール
において、日本人として初めて優勝されました。
辻井さんの事は、以前から存じ上げておりましたが、いや~、ホントに素晴らしい
!まさに’ブラボー!!’です。
テレビ報道で、連日拝見しておりますが、その度に目がウルウルしてしまいます。
いろいろな方々が素晴らしいコメントをされていますね。まさに万人の魂の琴線に
触れる素晴らしい音を奏でるのでしょう。音だけではなく、身体全体から表現され
るような演奏スタイルからも、素晴らしい何かが伝わってきます。何がここまで、
私たちの魂の揺さぶるのでしょう。
この投稿の前にも触れましたが、視覚(しかく)とは、可視光を物理的入力とした
感覚のことであり、いわゆる五感のひとつです。ある波長の光が物体に当たる際に
反射したり吸収されたりして、それを光の三原色(赤・緑・青)の情報に置き換え
て脳へと送られ認知します。
人が、この光の波長を認識できる範囲は実は非常に狭いのです。ですから、この世
の全体の情報の非常に狭い範囲のものしか認識できていないのですね(他の四感も
同じように実は認知している範囲は狭い)。もし、もっと広い情報が認識できた
ら、世の中は全く違って見えるかもしれせん。
さて、何故この視覚の事に触れたかというと、辻井さんは生まれた時から目が見え
ませんでした。彼に視覚とはどういうものかを伝えるのはとても困難なことでしょ
う。彼にとっては、この世を認識するのは他の四感が全てなのですから。しかし、
もしかしたら彼は視覚以上の情報を四感以外に受け取っているのかもしれません。
そして、その受け取った心の状態を、聴覚(触覚も?)を中心としてピアノを媒体
に表現しているように思えてなりません。それは言わば超能力の領域なのかも・・
。
例えば、もし世の中のすべての人に視覚という感覚が無いとしましょう。そんな世
界の中で、目が見える(視覚を持つ)人が現れたとします。すると、目が見える人
は、きっと超能力者のような扱いになるでしょうね。
真っ暗な世界を全盲の方のインストラクターが案内するようなシュミレーション・
プログラムがあるようなのです。その全盲の方が言われていたようなのですが、
自分が外を歩いていると、周りの人が’危ない’と声をかけてくれたり、ぶつかり
そうになると手を引っ張ってくれたりするそうです。私たちは、それが親切だと思
っているわけですが、彼の立場からすると、いきなり危ないと言われたり、いきな
り身体に触れられることの方が驚いたり怖かったりするようです。彼にしてみれば
、障害物にぶつかることが認識することなのですね。事前に教えられても、彼の感
覚とは全く違うわけです。
止め処もなく、話があちこちに飛んでしまいましたが、このまま投稿します(笑)
もう一つ、スピリチュアリズムから全盲のピアニスト辻井さんを見させて頂きます
と、彼は自分で今の自分を選んで、そして両親を選んで生まれてきました。全盲と
いうハンデキャップを背負い、しかし、’人に喜んでもらいたい’とピアノをひき
はじめました。幼い頃、家族旅行で行ったサイパンのショッピングセンターで初め
て人前でピアノを弾いた時のブラボーの声と握手?とキス?とハグ?の反応が、彼の
魂に決定的な生き方を教えたのでしょうね。
あなたは、’人に喜んでもらいたい’=’人の役に立ちたい’=’愛’の表現者で
あり、もう転生してくることのないとても霊格の高い魂のように思います。一人で
も多くの方々が、あなたの演奏を聴き、各々の魂の琴線に触れる事を切に願いま
す。あなたがこの世に降り立ったことに感謝いたします。
彼がどう思っているかは解りませんが、
前向きに受け入れて、理解していこうとは
思っています。
長安さんも頑張って!
自分の魂の成長にも繋がりますから^^
pawさんと紅茶君の間柄のように、お互い強い信頼関係の下、魂を成長させていけたらいいなと思います。
>彼の明るさが見る者、聴くものに癒しを与えてくれ
>るように思いました。
ホントにそうですね、楽曲演奏もさることながら、
彼の全身から発せられる純粋さが、癒しを与えてくれ
ますよね。
’花火や海を見てみたいけど、今は心の目でみれる
から・・・’
ホントに心の目でみているのでしょう。それは、我々
が目で見るよりも、もっとうんと綺麗なものに違いあ
りません。
でも、
’両親の顔は見てみたいです’
と言われたとき、
もう・・・涙が止まりませんでした。
いる世界と同じように、ピアノに向き合う世界が、
彼にとっては自由な空間なのでしょうね。
脳に障害を持たれた方が、常人では考えられない、
物凄い能力を発揮されてる事がありますね。いろんな
ケースを見るにつけ、やはり人間はこの見えている
部分(肉体)だけでは無いと感じますよ。
>「人に喜んでもらいたい」
自分の表現することが、相手に喜んでもらえる・・・
その相乗効果は、さらに彼を高みへと誘うことでしょ
うね^^
押し出します。メディアの動機は不純です。各メディ
アにいかに惹きつけるかが動機ですからね。
>子供は親を選んで産まれてくる‥。
辻井さんの場合は、両親も含めてとても近しい魂の
ようにも思いますね。お互いがお互いの魂の成長に
とても深く関わっているようにも思います。
この世には、もっともっと複雑な親子関係もありま
す。何故?どうして・・・?
そんなネガティブな関わり方も含めて、自分で選らん
できたのだと言われます。
その辺りをどう理解するのかも勉強ですね。
さて、長安さんの倅さんも長安さんのご家族を選んで
生まれてきたのでしょう。食べ盛り、伸び盛り・・・
どんどん大きくなりますよ~(笑)
空気を伝わってくる音は、さらにスゴイものを伝え
てくれるのでしょう。
>好きな絵描きの言葉に、“芸術は目に見えないもの
>を見えるようにすることだ”、と言うのがありま
本物の芸術とはそういうことなんでしょうね。形の無
いものを五感を通して感じられるように形にしていく
。さらに、その五感の奥にある潜在意識に到達する作
品こそが、芸術なのでしょうね。
人間の耳の可聴範囲も視覚と同じようにかなり制限が
あります。自然界には、もっと素晴らしい音のような
ものが存在するのでしょうね。
それは、肉体を持つ人間である限り、心で聴いて、
やっと認識できる程度のものなのでしょう。
http://www.nobupiano1988.com/news/index.html
生まれながらの全盲ですごいことを成し遂げられましたね。
ご両親、本人の努力も並大抵のことではなかったかと思います。
何度拝見しても感動し、目頭が熱くなります。
研ぎ澄まされた全音感や感性が、また今までの20年生きてきた環境が人となりを形成し、人々を感動の渦に巻き込むのでしょうね。
彼の明るさが見る者、聴くものに癒しを与えてくれるように思いました。
うまく書けませんが・・・・素晴らしい快挙です。
あれだけ難しくて長い曲を楽々と弾きこなす能力には
本当に脱帽です。
目が見えない分、普通の人にはない
ほかの能力や感性が発達したのでしょうか。
「人に喜んでもらいたい」ために弾くという動機は
本当に素晴らしいですね。
これからもさらなるご活躍を期待したいです。
彼は視覚障害者の大会で表彰されたわけではないのに‥。ちょっと引っ掛かりました。
pawさんの言われる、子供は親を選んで産まれてくる‥。初めて知りました。
でも辻井さんのお母さんの姿を思うと、納得します。
新聞で読みましたが、小さい頃、同じ曲を違う演奏者の演奏で聞かせて、辻井さんの才能を見抜き育てたとそうですね。
辻井さんは「この人なら」と、お母さんを選んでお腹の中で安心していた‥納得します。
好きな絵描きの言葉に、“芸術は目に見えないものを見えるようにすることだ”、と言うのがあります。
彼の音楽には普段人間の五感の耳では聞こえない音を聞こえるように演奏しているような感じなのです。
また、とても明るさを放っていらっしゃいますよね~