鋸山のロープウェイの山頂から片道20分位で、’地獄のぞき’へ。
ノコギリ山は、石を切り出した跡がギザギザで鋸の刃に
似ていることから名前が付いたと考えられるようです。
’地獄のぞき’から下を見るとこんな感じ。
切り立った石壁が、結構迫力あります^^
その石壁の中の’百尺観音’
石壁の間を歩いていくと、突然巨大な観音様が現れる。
思わずおおっ!!って感じです。高さは、なんと30mもあるっす^^
昭和41年5月、6年を費やして鋸山の岩肌に彫られた高さ100尺(30.3m)の
大観音石像です。発願の趣旨は、一つには戦没者供養のため、また一つには、近
年激増する交通犠牲者供養のためです。
’地獄のぞき’を横から望む。
’地獄のぞき’を下から見上げる。
’地獄のぞき’にいるとさほど怖さを感じないけど、
見上げると結構恐いですねー。
地震が起きて、コロっと剥がれたら・・・・・ブルブルッ^^;;
ノコギリ山は、石を切り出した跡がギザギザで鋸の刃に
似ていることから名前が付いたと考えられるようです。
’地獄のぞき’から下を見るとこんな感じ。
切り立った石壁が、結構迫力あります^^
その石壁の中の’百尺観音’
石壁の間を歩いていくと、突然巨大な観音様が現れる。
思わずおおっ!!って感じです。高さは、なんと30mもあるっす^^
昭和41年5月、6年を費やして鋸山の岩肌に彫られた高さ100尺(30.3m)の
大観音石像です。発願の趣旨は、一つには戦没者供養のため、また一つには、近
年激増する交通犠牲者供養のためです。
’地獄のぞき’を横から望む。
’地獄のぞき’を下から見上げる。
’地獄のぞき’にいるとさほど怖さを感じないけど、
見上げると結構恐いですねー。
地震が起きて、コロっと剥がれたら・・・・・ブルブルッ^^;;
横浜開港>1995年は間違いですね。
今年150周年記念ですから1895?いや違うな
1859辺りですねー。
起源が滝沢馬琴『南総里見八犬伝』の安房にあるのですね!
そして土地柄、横浜方面への供給が目的だったのですね。
一つ、賢くなった気分です。
深いです・・・。
下記に鋸山の石の歴史があったので、コピペしておきますね^^
●室町時代
安房里見氏の出城(鋸城)にて、柱のツカ石として使用され たのが始まり
●江戸時代
安政の頃、伊豆の石切り職人が渡来し鋸山周辺で建築用に 石切りを始める
(土丹岩)更に万延、元治、慶応の頃になると それまでの 悪い石から、質の良い
石の採石が盛んになり、石切り場も鋸山本峰に移った。1995年には横浜港開港に
伴い、護岸工事用材、土木工事材として優秀性が認められ生産性も拡大された
●明治時代
文明開化にともない、房州石の需要もますますふえ、京浜地 方、特 に横浜市横
須賀市の公共事業指定石材にもなり、金谷地区の総 人口の80%が石材産業に
従事していたと言う
●大正・昭和時代
12年関東大震災で多くの護岸が崩れ、石積の時代からセメント工法に移行、セメント
の進出で衰退、軍国主義の中で登山禁止、戦後は一時パン焼きカマドなどに使われ
たがそれも終り、その奇岩、怪石とともにその景観美は、現在国定公園に指定され、
多くに人々の目を楽しませています
↓
http://tuyosi-2.web.infoseek.co.jp/nokogiriyama/nokogiri.html
観音様ですが、高さ30mなのですね。潜って深さ30m近くまでよく行きますが、こうして見ると、改めて深いと実感します。
観音様、尺度にお借りしてごめんなさい。
ところで、鋸山で切り出された石は、江戸城の石垣になったのでしょうか。
長い歳月、切り出し続けられたことが、予想されるのであります。