~風に吹かれて~ by ポー(paw)

-人の中に 人の創り出した物の中に 動植物の中に 地球や宇宙の中に 魂の琴線にふれ 愛を感じながら 生き込みたい-

海と山とネコとお月様 partⅢ

2009-01-17 12:00:02 | ・旅・山
鋸山のロープウェイの山頂から片道20分位で、’地獄のぞき’へ。
ノコギリ山は、石を切り出した跡がギザギザで鋸の刃に
似ていることから名前が付いたと考えられるようです。


’地獄のぞき’から下を見るとこんな感じ。
切り立った石壁が、結構迫力あります^^


その石壁の中の’百尺観音’
石壁の間を歩いていくと、突然巨大な観音様が現れる。
思わずおおっ!!って感じです。高さは、なんと30mもあるっす^^

昭和41年5月、6年を費やして鋸山の岩肌に彫られた高さ100尺(30.3m)の
大観音石像です。発願の趣旨は、一つには戦没者供養のため、また一つには、近
年激増する交通犠牲者供養のためです。


’地獄のぞき’を横から望む。


’地獄のぞき’を下から見上げる。
’地獄のぞき’にいるとさほど怖さを感じないけど、
見上げると結構恐いですねー。
地震が起きて、コロっと剥がれたら・・・・・ブルブルッ^^;;

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4 コメント

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Unknown (長安さんへ)
2009-01-25 23:56:05
そうですねー、里見八犬伝^^
横浜開港>1995年は間違いですね。
今年150周年記念ですから1895?いや違うな
1859辺りですねー。
返信する
ありがとうございました (長安)
2009-01-24 16:37:39
よく分かりました~。
起源が滝沢馬琴『南総里見八犬伝』の安房にあるのですね!
そして土地柄、横浜方面への供給が目的だったのですね。
一つ、賢くなった気分です。
返信する
Unknown (長安さんへ)
2009-01-17 22:23:04
そっかあ。水深30mってこんな感じなんですねー。
深いです・・・。

下記に鋸山の石の歴史があったので、コピペしておきますね^^

●室町時代
 安房里見氏の出城(鋸城)にて、柱のツカ石として使用され  たのが始まり
●江戸時代
 安政の頃、伊豆の石切り職人が渡来し鋸山周辺で建築用に 石切りを始める
 (土丹岩)更に万延、元治、慶応の頃になると それまでの 悪い石から、質の良い
 石の採石が盛んになり、石切り場も鋸山本峰に移った。1995年には横浜港開港に
 伴い、護岸工事用材、土木工事材として優秀性が認められ生産性も拡大された
●明治時代
 文明開化にともない、房州石の需要もますますふえ、京浜地 方、特 に横浜市横
 須賀市の公共事業指定石材にもなり、金谷地区の総 人口の80%が石材産業に
 従事していたと言う
●大正・昭和時代
 12年関東大震災で多くの護岸が崩れ、石積の時代からセメント工法に移行、セメント
 の進出で衰退、軍国主義の中で登山禁止、戦後は一時パン焼きカマドなどに使われ
 たがそれも終り、その奇岩、怪石とともにその景観美は、現在国定公園に指定され、
 多くに人々の目を楽しませています

http://tuyosi-2.web.infoseek.co.jp/nokogiriyama/nokogiri.html
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教えて下さい (長安)
2009-01-17 20:48:01
地獄ののぞきとは、よく言ったものですね。恐いです。

観音様ですが、高さ30mなのですね。潜って深さ30m近くまでよく行きますが、こうして見ると、改めて深いと実感します。
観音様、尺度にお借りしてごめんなさい。

ところで、鋸山で切り出された石は、江戸城の石垣になったのでしょうか。
長い歳月、切り出し続けられたことが、予想されるのであります。
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