~風に吹かれて~ by ポー(paw)

-人の中に 人の創り出した物の中に 動植物の中に 地球や宇宙の中に 魂の琴線にふれ 愛を感じながら 生き込みたい-

2018.7.13~16 台湾旅行記5(九份)

2018-08-01 17:47:55 | ・2018.7 台湾旅行記

2018.7.13~16 台湾旅行記5(九份) 

2018.7.13~16 台湾・台北に会社の積立旅行で行きました。

2018.7.14 いよいよ十份から九份へ。いちばん来たかったところです。

九份 駐車場へ到着。

すごい人ですわ。

「阿妹茶酒館」

基隆山(標高588m)登ってみたいなー。眺めがよさそうですね。

九份基山街
九份は台湾の一寒村に過ぎなかったが、19世紀末に金の採掘が開始されたことに伴い徐々に町が発展しました。
『金山岩沿革』によると、大正6年(1917)住民の王永圃は神さまに感謝するため、基山老街と九份小学校の下にあるこみちの
岩壁に、観世音菩薩像と善才龍女像を彫りました。規模が大きくないが、地元の人と観光客によると、金山岩はとても霊験なので、
参詣客の波が絶えません。https://tour.ntpc.gov.tw/ja-jp/Food/Detail?wnd_id=115&id=112958より。

やっと提灯に明かりがともりました。やっぱり水が心配でブラブラと観光のみ。

「九戸茶語」で夕食。古い建物を改修してレストランにしたお店です。夕食中、FACE TIMEで大学の友人から電話あり。
遠く離れていてもテレビ電話が出来るんですなあ。驚きでした。(wifiルータは羽田空港で借りていました。旅行中、ほとんど
問題なく使えていましたね。line電話も)

夕食後・・・お~良い感じ~

帰りの駐車場付近。土曜日の夜で、すごい観光バスの数でした。これから来ると、すごい混みでしょうねー。
すれ違い渋滞?で来た道へは戻れず海側へ降りて台北に戻りました。けっこう狭い道でいたよ。

・九份(きゅうふん、ジォウフェン)は、台湾北部の港町基隆市の近郊、新北市瑞芳区に位置する山あいの町である。
・九份という地名の由来はいくつかある。台湾語では一般的に「九份」とは「開墾した土地の持分を9人で分けたもの」の意。
 清朝初期に9世帯しかなく物を買うときにいつも「9つ分」と言っていたことから、ともいう。
・その昔、九份は台湾の一寒村に過ぎなかったが、19世紀末に金の採掘が開始されたことに伴い徐々に町が発展し、日本統治時代
 に藤田組によりその最盛期を迎えた。九份の街並みは、日本統治時代の面影を色濃くとどめており、路地や石段は当時に造られ
 たものであり、酒家(料理店)などの建物が多数残されている。
・しかし、第二次世界大戦後に金の採掘量が減り、1971年に金鉱が閉山されてから町は急速に衰退し、一時人々から忘れ去られた
 存在となっていた。
・1989年、それまでタブー視されてきた二・二八事件を正面から取り上げ、台湾で空前のヒットとなった映画『悲情城市)』の
 ロケ地となったことにより、九份は再び脚光を浴びるようになる。映画を通じて、時間が止まったようなノスタルジックな風景に
 魅せられた若者を中心に多くの人々が九份を訪れ、メディアにも取り上げられるなど、台湾では1990年代初頭に九份ブームが
 起こった。
・ブームを受け、町おこしとして観光化に取り組んだ結果、現在では街路(基山街など)に「悲情城市」の名前を付けたレトロ調
 で洒落た喫茶店や茶藝館(ちゃげいかん)、みやげ物屋などが建ち並び、週末には台北などから訪れる多くの人々で賑わっている。
・世界の旅行ガイドブック(台北付近)にも多数紹介されており、今では台湾を代表する観光地のひとつとして定着している。
宮崎駿のアニメ『千と千尋の神隠し』のモデルになったという噂もあり、日本の観光客への知名度が高まったほか台湾でも知られ
 「神隠少女 湯婆婆的湯屋」の看板がモデルとされる茶屋のそばに掲げられている。by wikipedia

夜市でも九份でもトトロやカオナシのフィギュアなどが売られていましたねー。

↓駐車場、基山街、九戸茶語から撮った海側のフォト。時系列にて。海側もとてもキレイでしたよ。

16:50

17:31

 

18:41 灯りはイカ釣り船

19:22 イカ釣り船の灯りがとても綺麗でした。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿