~風に吹かれて~ by ポー(paw)

-人の中に 人の創り出した物の中に 動植物の中に 地球や宇宙の中に 魂の琴線にふれ 愛を感じながら 生き込みたい-

はだかの心♪

2009-06-06 00:08:26 | ・スピリチュアリズムからの風景


’スピリチュアリズムからの風景’カテゴリーです。
(スピリチュアリズムを掲げる宗教法人もありますが、当ブログとは一切関係あり
ません)


現世で成功するということは、名声を得たり、お金持ちになったり、名前が売れた
りと現世欲や物質欲を満たすことがほとんどでしょう。幸せとは、一般に、裕福
で、美味しいものが食べれて、お金にも困らずに優雅に暮らすことなのでしょう。
そのために身を粉にして働いているのですからね。

しかし、どんな人でも旅立つ時は独りで、しかも何も物質的なものは、向うの世界
に持って行けません。スピリチュアリズムでは、魂は永遠に不滅で個性も存続する
と教えています。とすると、私たちに持っていけるのは自分の’精神’であり、’
心’しかありません。

私たちは、この世に降り立つとき、向うの世界であらかじめ、何処に生まれてきて
、何をしようと自分自身で決めてきているそうです。その目的とは、魂(精神・
心)をより向上させることであり、より大いなる存在(神様、宇宙の根源など)へ
と近づくことです。そのために、今生はカルマの解消のために生まれ出たのかもし
れません。

このように100人いれば100人の目的とする生き方があるわけですから、誰かと自分
を比較することは根本的に間違っていることになります。人を羨んだり、蔑んだり
するという感情は、この世的な比較から生まれるものです。隣の芝生が良く見える
のもそうですね(笑)。私たちは、この地上でたくさんの人の中で、自分自身の、
自分だけの道を歩いていくのです。

それでは、私たち自身といわれる’精神’とか’心’とはどういうものでしょう
か。感情も心に中にありますから、喜び,興味,驚き,悲しみ,嫌悪,怒り,恐れ
、困惑,不安,恥,誇り,罪、そして愛などなど沢山の形態がありますね。こうし
たものが、向うの世界へ行くと全て、丸裸の状態で自分を形成し、一切の隠し事
が出来ない状態となります。こちらの世界でいえば、テレパシーで相手の心が全部
読みとれてしまうような状態ですね。何と恐ろしいことでしょう(笑)

このような状態の世界ですから、おのずと同じような’精神’や’心’の持ち主が
集まり生活をしています。似たような心の状態の人たちが集まっているわけですね
。しかし、現世は、いろいろな心を持った人たちが、ごった煮状態で暮らしていま
す。ですから、いろいろな問題が起きるわけですが、このごった煮状態の世界で、
自らが自らの自由意志で物事を選択し、この’精神’や’心’を、より磨くために
(成長するために)私たちはこの世界へやってきたわけです。

それでは、この’精神’や’心’を磨くにはどうすれば良いのでしょうか。その方
法のヒントは、この世の中のあちこちに隠されています。そして誰かに教えられる
のではなく、自分自身の魂の琴線に触れなければ、おそらく自分自身のものとする
ことはできないでしょう。自分自身でその方法を見つけ探すことこそが、’人生’
なのかもしれません。