
こんにちは、親鸞会講師の筬島です。
夏目漱石のデビュー作「吾輩は猫である」
「吾輩は猫である。名前はまだ無い」ではじまるユニークなこの小説には
鋭いメッセージがたくさん散りばめられています。(例えばコチラ)
最後は、こういうシーンです。
苦沙弥(くしゃみ)先生の座敷に仲間が集まり、呑気な話に花が咲く。
セカセカした、西洋文明(今は日本もそれにどっぷり浸かってしまいましたが)に比べ
まことにのんびりとして、ほほえましい風景。
この日の最後には、結婚の決まった多々良三平がビールを提げて登場、
みんなでそのビールをいただく。
秋の日は暮れ、みんなは次々に帰って行く。
そして、「寄席がはねたあとのように座敷は淋しくなった」。
この後です
「呑気と見える人々も、心の底を叩いて見ると、どこか悲しい音がする」
と猫が思うのは。
実に名言と思います。
誰もが皆、心の底には漠とした不安を抱えているのではないでしょうか?
経済的不安とも違う、人間関係の不安とも違う、
人間存在そのものの不安といったようなもの。
その孤独で、不安な、さびしい気持ちを
「呑気と見える人々も、心の底を叩いて見ると、どこか悲しい音がする」
と表現しているように思うのです。




ていうか自分の音が聞こえて初めて他人の音が聞こえるような気がしました
「我輩は猫である」って読んだような気がしていたけど
読んでなかった(;´Д`A ```
あまりに有名だからでしょうね
響きにすると・・コーン・・・って感じ
がします⊂((〃 ̄ー ̄〃))⊃ ふふふ
しばし休止してまた復活しました。
いつもありがとうございます。
呑気と見える人も・・・
これも実感ですね!
ポチポチさせていただきました~!
自分でも気付いていないけれど、不安を感じているのかしら???
皆、何か不安であったり、憂鬱であったり
ちょっと、悲しいものは持ってると思います。