民主党政権下ではじめての死刑執行が行われた。千葉法相の下で死刑が執行されることはないと思っていただけにやや驚いたというのが本音である。
死刑というものに対し、私自身は態度を保留する。というのも、人間を裁く権利が人間にあるのかという道徳的、あるいは宗教的な問題もさることながら、正しく裁かれたかどうか客観的に評価できるかという点で私はどうしても引っかかるのである。
例えば、オーム真理教の麻原、あるいは和歌山カレー事件の林被告など、果たして正しく裁かれたといえるのだろうか。多くの人が死刑が当然と考えていると思うが、新聞などの報道だけで判断していないだろうか。
麻原被告は法廷で何ら発言していないし、あるいは林被告は「他に考えられない」からという理由である。これで人を裁いてもいいのだろうか・・・・。死刑にしてもいいのだろうか。
光市の母子殺害事件のように、被告が18歳を少しだけ上回っただけで、死刑を躊躇する理由にはならないとされ、精神鑑定で「12歳程度の精神年齢であり、善悪の判断ができない」とされたにもかかわらず鑑定は無視されたのである。
このような裁判はすべて自民党政権下で行われ、「ベルトコンベアーのように自動的に死刑が行われないものか・・・」などというトンデモ発言も出る始末である。
私が死刑執行に対し態度を保留せざるを得ないのは、このような灰色判決があるからで、国民が忘れたころにこっそりと死刑が執行される可能性があるのである。絶対にそれらの中に無罪、つまり冤罪はないとだれが保証出来ようか。
さて、今回の死刑執行の被告に関し、まさに死刑は当然だろうと認めざるを得ない罪状であり、法治国家として死刑という最高刑が定められている以上、法務大臣として先送りは難しかったのだろう。というより、千葉法相に大きな圧力が掛かったものと思われる。
当然それは首相からの強い指示があったということであろう。本来は職を辞して自身の主義を貫くべきだったと思う。しかし、今の時点で法相が辞職するのは民主党にとってさらなるダメージとなる。
死刑廃止論者が自分で執行を立ち会うという決意は、まさに彼女の抗議の決意表明である。今までだれも執行に立ち会うことはなかった。
すなわち、彼女は「自分が殺した」ことをはっきりさせ、単にハンコを押して責任を逃れた従来の法相とは違うことを見せることで意地を通したのだ。つまり法相はそれだけの重い責任があることを自ら示したといえる。立派だったと私は思う。
マスコミ、ネットで千葉法相の事を悪く言う人が多いが、私はこの人が好きである。彼女が落選したことは国民新党が一人の当選者も出せなかったことと並び、何らかの操作が行われたのではないかと疑うものである。
彼女の法相の時代にいくつもの判決がひっくり返り、裁判官に対し法務大臣が大きな影響力がある事がはっきりした。彼女に非難が集まることはそれだけ彼女の残した功績が大きかったのである。次期閣僚に彼女のような法相が誕生することは望み薄である。
死刑というものに対し、私自身は態度を保留する。というのも、人間を裁く権利が人間にあるのかという道徳的、あるいは宗教的な問題もさることながら、正しく裁かれたかどうか客観的に評価できるかという点で私はどうしても引っかかるのである。
例えば、オーム真理教の麻原、あるいは和歌山カレー事件の林被告など、果たして正しく裁かれたといえるのだろうか。多くの人が死刑が当然と考えていると思うが、新聞などの報道だけで判断していないだろうか。
麻原被告は法廷で何ら発言していないし、あるいは林被告は「他に考えられない」からという理由である。これで人を裁いてもいいのだろうか・・・・。死刑にしてもいいのだろうか。
光市の母子殺害事件のように、被告が18歳を少しだけ上回っただけで、死刑を躊躇する理由にはならないとされ、精神鑑定で「12歳程度の精神年齢であり、善悪の判断ができない」とされたにもかかわらず鑑定は無視されたのである。
このような裁判はすべて自民党政権下で行われ、「ベルトコンベアーのように自動的に死刑が行われないものか・・・」などというトンデモ発言も出る始末である。
私が死刑執行に対し態度を保留せざるを得ないのは、このような灰色判決があるからで、国民が忘れたころにこっそりと死刑が執行される可能性があるのである。絶対にそれらの中に無罪、つまり冤罪はないとだれが保証出来ようか。
さて、今回の死刑執行の被告に関し、まさに死刑は当然だろうと認めざるを得ない罪状であり、法治国家として死刑という最高刑が定められている以上、法務大臣として先送りは難しかったのだろう。というより、千葉法相に大きな圧力が掛かったものと思われる。
当然それは首相からの強い指示があったということであろう。本来は職を辞して自身の主義を貫くべきだったと思う。しかし、今の時点で法相が辞職するのは民主党にとってさらなるダメージとなる。
死刑廃止論者が自分で執行を立ち会うという決意は、まさに彼女の抗議の決意表明である。今までだれも執行に立ち会うことはなかった。
すなわち、彼女は「自分が殺した」ことをはっきりさせ、単にハンコを押して責任を逃れた従来の法相とは違うことを見せることで意地を通したのだ。つまり法相はそれだけの重い責任があることを自ら示したといえる。立派だったと私は思う。
マスコミ、ネットで千葉法相の事を悪く言う人が多いが、私はこの人が好きである。彼女が落選したことは国民新党が一人の当選者も出せなかったことと並び、何らかの操作が行われたのではないかと疑うものである。
彼女の法相の時代にいくつもの判決がひっくり返り、裁判官に対し法務大臣が大きな影響力がある事がはっきりした。彼女に非難が集まることはそれだけ彼女の残した功績が大きかったのである。次期閣僚に彼女のような法相が誕生することは望み薄である。