おじたん。的ぶろぐ生活。

おじたん。である。語るんである。

17年経った…。

2012-03-20 17:25:14 | 我思う、故に書くなりよ。
地下鉄サリン事件から17年…。

あの日の事は、覚えている。

地下鉄のホームへ向かおうと階段を下りている最中に、下から怒鳴られたんだっけ。時間的には、もうこの時点で死者が出ていたみたいだが…。ただ、詳しい理由は言われなかった。明確に覚えているのは「地上へ出ろ!」だけ。

最初は酔っ払いか、ケンカでもしてるのかと思ったのだが、その怒鳴り主が駅員だと判ったのでそれに従ったが、会社へ向かうことが使命のひとつでもある人々に向かって、それだけ叫んでも理解はしてもらえないだろう。

案の定、すれ違いに降りていった4人ばかりは、私の知る限りで戻って出て来た事は確かめていない。

電車に乗れないと、会社へ行けないので困ってしまったが、通りを挟んだ向かいの地下鉄の出入り口では大変な事になっていた。よろよろと出て来た人が倒れ、それを介抱する人、担架で運ばれてそのままの人…。

飛び込み事故程度に考えていたが、そうとも違う様子なのは見て判った。道路挟んだ向こうは、こっちより全然地獄だったのだな。そうであっても、あの時間の誰しもの頭の中は「会社(学校)へ向かう」「電車に乗る」って事しかないんだよね。下へ向かえば毒ガスで死ぬ…って言われればまた違うのだろうけれども…。

潔く諦めて、タクシーで会社へ向かったが、タクシーの中のラジオで「全線不通」と言うことを知った。東京の地下鉄のほとんどが止まるなんて、聞いたことが無かった。運転手さんも驚いてた。地下鉄の別の駅へ送り届けたお客さんの事を気にしていた…。

ケータイはあったのだが、今ほど情報伝達が進んでもいなかったので、事の次第ってのはニュース以外に知る方法も無い。会社の後輩から「病院にいます」ってメールがあり、ヒットしちまった事と、築地の聖路加に運ばれた事を知った。

まぁ、幸いにして軽症の軽症程度で済み、後遺症も無く済んだが、身近に被害者がいたりもしたのだな。

この日、課長と2人で昼飯は築地の場外市場へ行こう…って事にしていたのだが、地上のそこはそういう雰囲気に無く、もう絶対に近づくとヤバイ感じに包まれていたのを遠めで確認して撤収したのを記憶している。総合防災訓練とかの大きな訓練でしか見掛けない様な救急車が実際に据え付けられているし、パトカーだの救急車だの…。

そう。単に事故とかじゃなく「テロ事件」なのだ。キチガイでマッドなオウム真理教が起こしやがったテロ事件。

あれだけの事を起こしておきながらも、この国はやつらの存在を許してしまった。多くの人が死んで、未だに苦しみから逃れられずにいる人も多いのに、この国はやつらの存在を許してしまったのである…。さすがに、それと思わしき連中は逮捕されて裁かれてもいるが、根絶やしにする事をせずに、後々に受け継がれる道を許してしまったのである…。

そうした残党が、さしたる補償もせずに、私財を増やし続けている事が報じられてもいる…。被害を受けた人々は、様々な思いであることも違いないが…健康を大きく損なう結果に至ってしまった人もいる。そうした人への補償をないがしろにしているのならば、やつらを生かしてしまった事は、大きな間違いだったに違いない。

無差別テロ犯にやさしい国…。破防法さえ適用していれば…やつらを徹底的に葬り去る事だって出来たのに…。

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