おじたん。的ぶろぐ生活。

おじたん。である。語るんである。

1年経った…。

2012-03-16 04:32:04 | 我思う、故に書くなりよ。
大震災から1年経った。

…とりあえず、市中に広がっていた瓦礫は片付けられたみたいだが…基本的に大きく困っている事にも変わりがないのだと、連日報道されている。地震も原発も…。

全く、過去の経験や教訓と言うものが活かされなかったのではないかと思っていたのだが、昨日の深夜から流れたTBSの番組で驚きを見た。

『報道の日』と言う番組の再放送だが…年末にも見た覚えが…あの震災を時系列に追うドキュメントなのだけれど、抗うことの出来ない想像を超えた災害の中で撮られた映像が主役だった。

まぁ、そうしたのは飽きるほどに流れても来たし、1年と言う節目にあたり、露出する量も増えていたのだけれど、災害そのものの脅威ではなく、それらに人々がどう対処してきたのかを見せる映像はそれほど多くも無かったかに思う。

そうした中、石巻赤十字病院が、あの大災害のマジで只中にありながらどうしたのかを記録した映像に驚いた。

大きな揺れの続く中、病院の体制をがらりと変え、震災対応に移っていく様を記録していた。それが、混乱の中であっても、あたかもいつもの事の様に…って感じなのだ。

「防災計画たてました…」「防災訓練しました…」

そんなレベルでは到底出来ない見事な備えと対応がそこに見て取れる…。ホントに日本の病院なのか? にわかに信じられないほどに、ドクターも看護士も事務方も、災害に対処出来る形に病院を変えて行くのである。

ま、幾度も大きな津波の被害を受けている場所だし、近くで大きな地震が起きる事は昔から言われていたし、実際に大きな地震も幾度かあった場所なのだから、当たり前と言えばそれまでだが、想定外の災害の中であれが出来るかと言えばおそらくは出来ないであろう事なのだ。

おじたん。の経験で言えば、大規模な病院ほど、防災訓練は規模の大きなモノになり、それ相応にマジメに取り組んだりはする。そもそもが多くの人命を預かっている場所でもあるので、おざなりでやるワケには行かなくなってくる。

ところが、その中にいても、どこか「机上の空論」的な感想がいつも漂うのである…。

「ホントにこんなので大丈夫かよ…」

そりゃまぁ、リアルに災害を起こして…なんて訓練は出来ないし、訓練の最中でも急患はじゃんじゃん運ばれても来るのだから、形骸化しなきゃならぬところも多々あるのだけれど、それを終えて思うのは、絶対に混乱に終始して収拾なんか付かなくなる…って事だった。単純な火災だけでもそうした感じが拭えなかったわけだから、加えて地震だ、津波だ、なんだ…って事になると推して知るべし…。

想定外のことを考えたら…病院なんかやってられないくらいの大惨事が結果として待っているワケ。

そこそこの幸運がそこにあったのかもしれない。大きく揺れはしたものの、病院としての機能を大きく損なう事が無かったとか、津波の直撃は受けなかったとか、そうした事は確かにあったみたいだし、何もかもが万全だったワケでは無かったのだけれど、あの想定外の災害と戦える形に備えていて、実際にそれをやっていた事は大きく賞賛されていいのではないだろうか。

真似してもそうそう真似できないに違いないが、あの病院からはとてつもない大きなものを学べる事には違いが無い。

他のインフラが、ある程度備えてはいたものの、ほぼ壊滅している事を考えたら驚きなのである…。

想定出来たにもかかわらず、ろくな備えも無しに壊滅したのは原発。

かれこれ40年も動かしておいて、何の考えも無かったのかよ…ってのが驚きだった。揺れと津波で被災した現地はともかくとして、バックアップする体制などほとんど無いか、意味が無かったんである。

案の定、消防車すら全国から掻き集める始末…。水が切れればメルトダウンする事など、想定内の話だったのに、何も用意が無かったのである。原発としては、それが最悪の事態だという事が判っていながら。

専門家集めても対処は進まず、現状を知りたくても誰も判らない…なんて緊急事態じゃ、誰が首相をやっていても必ずブチ切れて乗り込んで行かざるを得ない話だったんである…。

福島第一がああなったので、他の原発ではそうした事に備える様にはなったが、今までは何もしていなかったに等しい。それらを加味して、点検後の再稼動をどうするのか検討中だったりするが、普通なら、再稼動してもおかしくないし、悪くも無い。もとより、電気は足らなくなる恐れがある。

だけれども、大方の国民はそれに「ダメ! 絶対!」の答えを出している。

どんな連中が原発を進めて、動かしてきたのか? あからさまになったからだ。あの連中の姿勢、考え方、発言を見て聞いて、信頼度と言うものが限りなく無限にマイナス方向へ向かって戻って来ないんである。東電が、事故は事故として国民にもっと真摯に応えていたら、状況は全然違っていたと思う。

技術的には動かして運用を続けても大丈夫な原発も数基はあるんだと思うが、それらを扱う連中が全く信じるに値しない連中だという事が露見してしまった上に、その姿勢に大きな変化も無いもんだからねぇ…。

そもそもの原発の出発点から始まる胡散臭さがこれほど露呈してしまっては、東電だけでなく、他の電力会社、政府、関係機関、どれもが全く信じるに値しない事に大きく変わったんである。

現実には、近々にも、どじょうが頭下げて幾つかの原発を動かさなきゃならなくなる…って事にはなりそうだが、このツケは限りなく大きくなる。撒き散らした放射性物質の片付けもままならず、被害の補償すら満足に進んでいないし、これだけの大惨事を起こした連中にキッチリと責任を取らせる動きも緩慢な限り…。

「電気が無いなら仕方ないか…」

そうした、なし崩しの妥協で済ませられるほど、国民はバカじゃないんである。現在進行形である事は加味しても、責任を取るべき連中のあぶり出しと、自然死を迎える前にキッチリと責任を取らせない限り「ダメ! 絶対!」は続く。

「値上げは権利だ」と、東電のバカが言い放ったが、撒き散らしたセシウムをキッチリ片付けるのはコイツらの義務だと言う事を忘れてはならない。キレイサッパリと片付けて、被害を受けた多くの人に補償を済ませた後に言うべき事だ。

…つまるところ、そうした連中がうだうだやってるだけで1年過ぎちゃったワケで、絆だ復興だ…なんて話は別として根本的な事はあまり大きく進んでいないんである…。この状況、ある意味「日本終了」のきっかけになっていると思われる。

まぁ、未来をある程度は変えられる事は出来るし、それ以外に方法も無い。ちんたらやっていてもそれはそれで構わないが、天災は待ったなしの場合がほとんどなので、新たな備えを可及的速やかに築いていかなければならないのだが、その中に「あーした連中」が混在するだけでそれはもう絶望を意味していると言って間違いないんである。なにか、システムとしての日本をごっそりと変えないと、同じことの繰り返しになっている事は、存分に判ったのでなかろうか。

本気で、そうした事になるには、あと数百万人死なないと判らない国だったかな? 数千万人死なないと、そうした動きに向かわないのかな? それとも…滅ばない限り、判らない国なんだろうか?

石巻の赤十字病院がやってのけた事から、可能な限り多くの事を学ぶことで、いろいろな災害に強い日本に変われる気がするのである。

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