おじたん。的ぶろぐ生活。

おじたん。である。語るんである。

十徳ナイフ。

2004-09-26 07:40:54 | 我思う、故に書くなりよ。
と、呼ぶのはおっさんだろうか。マルチ・ツールとかアーミー・ナイフって言うのだけれど、日本では「十徳ナイフ」と呼ばれる事が多い。

私も、高校生の頃に最初の1本を買った。スイスのウェンガー社のアーミーってモデルで、機能としては10も無かった気がする。欲しいナイフでは無かったが、高校生の所持金で買える範囲では仕方が無かった。構造的に妙な所があって、キーリングをちゃんとした位置でナイフをたたまないと、刃が欠けるオマケ付きだったと思う。後輩が買ったスイスのビクトリノックス社の似た様なモデルは、そうしたオマケは無いし、ノコギリも付いていたので、ほどなくして買い換えた覚えがある。

カメラを仕事の道具として使う様になってからは、この手のナイフは結構便利なアシスタントとなり、ちょっとした小細工には欠かせない物となった。だが、機能的に不満な事もあって、文字通り「十徳」以上の物を買った。高校生の時にはとんでもない高嶺の花だったのだが、どうしたことか、価格が暴落しており、それほどの出費でもなく手に出来た。

ちゃんと数えた事は無いのだが、40徳くらいの機能を持たせたそれは、本来の「ナイフ」として使うにはなんだか不便になっている。握ると幅が広すぎて、細かい細工が苦手になってしまった。それでも、小さな工具箱として重宝している。

最近ではPCを弄り回す事が多いので、ドライバーの充実したモデルを良く使うが、出来れば常日頃持って歩いていたい位に便利であり、専用のケースに入れてはいるが、持ち歩く事はない。

なぜなら、警察に逮捕される恐れがあるからだ。厳密に銃刀法違反となるのか見解が分かれているらしいが、理由無く所持していると間違いなく捕まるだろう。

ナイフなんだから、間違いなく人を殺傷出来る。折りたためるのでポケットに隠し持つことが出来るし、工夫すればピッキングにも使えると思う。だが、そう使う事は「違法」である事は判っているし、道具そのものは人を殺傷する目的に作られたデザインでも無い。

にも関わらず、犯罪に使われる事を想定して「捕まる」ワケである。広義で言えば、ナイフでなくても、はさみだって捕まりかねないと言う。所持している人間にその意思が無くても、だ。

確かに、鉛筆をボンナイフで削って使う小学生など、今ではいないだろうし、その必要も無くなった。近所の雑木林へ探検に出かけるのに、肥後の守を持って行く子供もいなくなった。

でも、包丁やナイフで自分の指や手を切り、痛みを覚えて「道具」としての刃物を「知る」と言う事をしていたのではないだろうか。野山で、虫や蛇にその刃を向けて「生き物」や「命」を知っていたのではないだろうか。何か、道具に責任を押し付けて、それを「狩る」事で事なきを得てないだろうか?

もしかしたら「ナイフ」はこの国の人間には不要な「道具」となってしまったのかもしれない。でも、道具を正しく使う事は人間だからこそ出来る知恵でもあるし、最もシンプルな「道具」のひとつだと思う。その使い方、扱い方を知らないまま生きて、人間なんだろうか? 正しく使う事を覚えないで、正しく使う時に課せられる責任を学ばないでいて、良いものなのだろうか? カッターナイフは同級生を地獄へ送る道具じゃない。

私は道具に責任を押し付けず、自分に責任を持って「ナイフ」をこれからも使って行きたいと思うのさ。
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2 Comments

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Unknown (下手すれば殺人者)
2004-09-26 10:00:54


人を刺したことがあって

その感触が忘れられない。

思い出すと鳥肌が立つ。

二度とごめんだ・・。

自信は無いけど。
返信する
それはそれで… (おじたん。)
2004-09-26 13:50:44
下手すれば殺人者さん。お越し頂いて恐縮です。

自信が無くても、それはそれで何かを学んだと思うのです。過ちなら繰り返さない事が大事だと私は思います。今後とも御贔屓に。
返信する

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