おじたん。的ぶろぐ生活。

おじたん。である。語るんである。

ネコの日。

2010-02-22 21:41:55 | 我思う、故に書くなりよ。
…確か、この日が出来た式典に取材で恵比寿に行った記憶が…。

「そんなん勝手に作っていいものなのか?」

と言う、疑問もあったのだが、大方の記念日なんてのはテキトーに作られているらしいので、テキトーでいいらしい事を会場で知った。まぁ、なんとなく日にちも合っているし、それらしい感じはするが…。

おじたんはその様子の写真を撮るだけなので、あまり深く考えなかったが、記事を書くライターの方は相当に困っていた様子…。式典に出席されているお歴々がその世界ではお歴々としてかなり有名であり、マジにネコ世界を考えると「万歳!」って記事を書いて済めばいい…って話でもないんだな…。

ま、無難にこんな日が出来ましたよ…って記事にはなったが、大々的に取り上げる専門誌もあったりで、そうした差を読み取る読者もいたりする…。

まぁ、純血種マンセー! って時代でもあったので、そうでないネコがどうした憂き目に遭っているかなんてのとは無縁の世界の出来事というか、全く世界が違うのだから、事情通であればあるほどそこに関わる人間の思惑にも敏感だったんであるな…。

それから間もなく、動物愛護センターと言う名の最終処分場へ取材に行く事になる…。

いわゆる「ガス室」。余剰な犬猫がここで命を絶ち、やがて灰になる。

当時、今と比べたら地味だけれど、少なからず命を救う努力を続けてもいた場所だが、救えない命の方が圧倒的に多い事に変わりは無かった。

「ブームは怖いです。量が増えるんですから。」

捨てられた命を救うのも、滅するのも人間である。救う事を目的に、無尽蔵に増え続ける事を容認してしまったら…少なからず公害となってしまう。やみくもに滅し続ければ、それはそれでまた非難されるべき事になってしまう。定期的に始末され続ける大量の犬猫をのほほんと眺めていられる人間などいない。だからブームが恐ろしいのだと、そこで働いている人間は言うのである…。

もの凄いジレンマの中を見て、数日前に取材した式典を思い返す…。

「そこへ何かひとつ目を向けた発言でもあっただろうか…」

無い…。ナマモノと関連商品のエサだのなんだのが売れりゃあ楽しい連中のお祭りだけだったんじゃなかったのか…。

とまぁ、そんな事を記事に書いたら、雑誌から広告という広告は一斉に消えるだろう世界だから、当時は書かなかったんだなぁ…。あれから20数年…。

様々な啓蒙が行われて、処分される犬猫の数も減ってはいる。が、まだまだ大量という点には変わりがない。かわいい…と言う視点に主題を置いた報道が多くなされる一方、背反する事実に主題を置く報道は圧倒的に少ないままでもある。

ときどき、チラッと報じられたりもするが、大々的にやらない。事実ではあっても、人々は目を背けるからね。戦争報道から死体の写真が消えつつあるのと同じ理由かもしれないが、ちゃんと見せなきゃ…って思いは当時からあったりした。

コンテナの中で動かなくなった犬猫の様、山となった灰に変わった様、そうした事の一連を機械的に行うためのたった1つのボタン。どれも写真に収めはしたが、使われる事は無かったな…。

んじゃあ、キレイゴトの世界でいいのか? って事だったんだけれど、キレイゴトを人は望むモノである…。そう。ヒトって生き物の勝手な世界での「ネコの日」なのだ。

そうじゃない「ネコの日」あるいは「イヌの日」「金魚の日」「かめの日」「ウーパールーパーの日」…なんてのが来るのは、いったいいつになるのだろう?

永遠に来ないんだろうとは思うが、この日を祝うだけじゃなく、マジに考えて欲しい日でもあったりするのよな…。思いっきり水を差す勢いで、ヒトの思惑を遠慮無くブチ壊す様な記事をこの日に報じる必要が、この国にはまだまだあるのだから…。


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