おじたん。的ぶろぐ生活。

おじたん。である。語るんである。

金魚はその後、どーなったか。

2006-05-23 15:56:55 | 我思う、故に書くなりよ。
3匹中、2匹が虹の橋を渡った。

まぁ、当初からよれよれ感が漂っていたので、覚悟はしていたのだが…。すくってきた当人の弁によれば、だからこそ3匹もすくえた…と言うコトだし。

残る1匹も白点病に冒されて、危うい感じだったのだけれど、食塩の投入で回復しつつある。水も徐々に出来上がりつつある感じなので、なかなか良い方向。

バクテリアを買って入れようかとも思ったのだが、金魚の容態が思わしくなかったので、主のいない水槽に高価なバクテリアを入れてもナァ…と、見送った。そもそも、放っておいても居着くものだしねぇ。

人間にとっての空気がそうであるように、金魚にとっての「水」なのである。食い物も出すモノも同じ水に…だから、放っておけばそれらはやがて「毒」になる。それではたまらないので、濾過装置やらぶくぶくやらを取り付けて、良い状態の水を維持するのだが、微生物とかバクテリアがそこにいないままでは、大した意味も無い。人間にしてみれば、濁りのないキレイな水に見えても、中の金魚にしてみたら、毒を浄化してくれるバクテリアだの微生物がいない水は毒のまま…なのである。

程よくバクテリアが繁殖してくれて、浄化するサイクルが完成すれば、ある程度は魚にとって住みやすい場所になるが、そのサイクルを維持し続ける為の補助的な道具ってのが濾過器であり、ブクブク…だったりするワケ。

まぁ、一度水が出来てしまえば後はそれを維持すれば良いと、判っていても難しい。塩素たっぷりな水道水でバクテリアは死んでしまうし、かと言って全く掃除しないのも問題が出て来る。無害化された毒でも、貯まればやはり良くないからねぇ。何気なく簡単にバランスが崩れる事で、このサイクルが保てない。

そうした自然のサイクルを考えて手間暇掛けるポイントさえ掴んでしまえば、何とかなるものなのだけれど、そこを掴むまでが大変だったりする。また、さらに人間の都合でキレイに観賞しようとするとなれば、かなりな労力が必要なのは言うまでもない。

逆に、金魚は本来かなり頑強な観賞魚でもあるので、ほったらかし…でも結構イキイキしてたりする。写真の様な鉢に浮き草を入れて、直射日光が当たらないとか、近所の野良猫に喰われない様にするとかだけで、結構がさつであっても長生きしたりするから不思議。

あまりに不思議なので、器と浮き草を買ってきた。

まぁ、魚をぶち込んで…ってのは当分先にはなるが、そうして飼われている金魚も多かったりする。それはそれで、自然のサイクルが完成しているワケでもあるのだね。そうなるには当然、時間も掛かる。買って来てスグ…ってワケでは無い。それがいつになるのか定かじゃ無いが、ボウフラでも湧き出したら考えてみようかと思う。ブクブク…くらいは必要かもしれないな…。なんせ、物理的な濾過なんてのも無いし、水の循環すら風任せ…だしねぇ。無茶って言えば無茶なんだけど…。

なんでも、諸外国じゃ古式ゆかしいガラスの金魚鉢に金魚入れると「虐待」になったりするらしい…。あの中にいる金魚は世界がぐわぁぁ~ん…と、ゆがんで見えちゃうからだと聞いたが、生類哀れみの令…なんてのと一緒かもしれないな。

おっと…エサの時間だ…。





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