おじたん。的ぶろぐ生活。

おじたん。である。語るんである。

パリは燃えちゃってんのか?

2005-11-05 10:47:35 | 我思う、故に書くなりよ。
日本でも昔、若者が騒乱起こして、街中に催涙ガスがたなびいた…なんて事があったらしい。まぁ、かつてのそんな街で青春時代を過ごしたのだが、その名残はどこにも無く、たまーに明大の前に赤ペンキで書かれた看板とおぼしきモノが貼られたりしてあったのを覚えているが、誰一人それに目を止めるでもないし、立ち止まって「読む」なんて人もいなかった。

時代が変わって、そうした運動に個を捧げなくても何とかなったからだとは思うが、エスカレートして自滅したとも言えなくは無い。学生運動はやがて、セクトだの過激派だのに変わり、デモ行進がテロに変わった。一般市民を巻き込むだの、海外でテロを起こすだの、社会への不満と思想の追求を破壊行為に訴えても、誰も耳を貸さないよなぁ…。

そんな統制の取れたデモなのか運動なのかどうだか知らないが、パリが燃えている。
怒りの矛先をそうした方向に向けるのは珍しくも無いし、昔から多々あるんだけれど、今時の方法としては受け入れられないんで、どこもやらなくなっちゃった。昔はそうした動きにお金をポン…と出す闇の組織があったりして、これがひいては過激派だのテロリストだのを産む結果になるんだけれど、世界的に袋叩きにされる趨勢になってからはパッタリ…。お陰で欧州のテロリストは衰退し、中東の金持ちにぶら下がる様になったとさえ言われている。

まぁ、日本でもたまにあるデモ行進見てればわかるんだけど、それらしいおっさんやおばさんが率先してるんだよね。デモする事自体は悪いことでは無く、世間に問題提起する1つの方法ではあるが、いわゆる「活動家」ってのが仕切っている。

私も、幾度かそうした行動に参加しようと足を向けた事はあるんだけれど、そうした活動家の振る舞いをみていると、

「このアホンダラに付いて歩くのか…?」

と、いかに真剣に広く世に問わなければならない問題に対する抗議運動であっても、

「どんビキ…」

と、なってしまうんである。それくらいに浮世離れしすぎた活動家が仕切ってたりするんだよ。自分も立派に中年だし、世代は学生運動以後…なんだけれど、そうした前世代の生き残りみたいな活動家のトンデモ理論炸裂が垣間見れるのが珍しいと言うか、新鮮に感じるのは面白いんだけどねぇ…。

まだいかがわしい新興宗教の集会の方が判り易いんじゃないだろうか。そんな手法で良かった時代ならまだしも、今じゃ無理がたたるって感じ。

だけれども、そうした動きを起こしてしまう原因が簡単に想像出来るのに、どこの国でも根本的な解決が難しいって事は事実でもある。貧困や、人種差別、そうしたちょっと考えれば判る事が根本にあるんだと、どこの誰にでも判るんだけれど、いかんともし難い…ってのもボーダレスな問題だったりする。人類がどこまで進化するのか判らないけれど、きっとこうした問題は手付かずに残り、何かしらの「火種」になり続ける事は間違いないんじゃなかろうか。

この地球上に、満遍なく幸せが訪れる日が来れば良いとは誰もが願うが、そこに人間がいる以上、永遠に叶う事の無い願いかもしれない。間違いなくそうなんだと、薄々感づいてはいるんだけれど、こればかりはどーしよーも無い…。地球は1つで、青々と丸く輝いて見えることは、大方の人間は知っている。だけれども、その地球上で社会を構成する人間は大枠の中にはあっても、いつまでも永遠に「個」であり続ける。

個の暴走を止めるための鎖は幾らでもあって、それらは見えない形でそれぞれを繋ぎ留め置くのだけれど、鎖全体がそこから逸脱してしまう事だって多々ある。そうした最中に紛争や戦争があり続けて来た事を考えると、火を起こす必要も、それを消す必要も出て来るワケで、そうした過程を経ないと「落ち着かない…」モノかもしれないねぇ…。

まぁ、よそ様の車を無下に燃やして良いワケでも無いのはどこの国でも一緒だし、略奪だの強奪なんてのがそれに乗じればなおさらだし、そんなのは無下に武力鎮圧されても文句は言えないだろう。そういう状況になりつつあっても、フランスと言う国が、火種となった原因とじっくり向かい合うべきと考えているのは幸いな事なのではないだろうか。どこぞの国なら、遠慮なく装甲車で轢きまくりだろうにね…。

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