オレンジな日々

広島在住のシンガーソングライター&ピアニスト
三輪真理(マリ)のブログです。
音楽大好きな日常を綴っています。

デビューしなかったミュージシャン

2013-08-12 | 友人・家族

久しぶりの日記です。
この1週間、ヒロシマとナガサキの原爆の日があったり、仕事関係でとっても有意義なお話を聞いたり、人間関係で大きく学ぶことがあったり、それはそれはいろんなことがあって日記に書きたい事は山盛りあったんですけど、一昨日大切な人が急死してしまうという事件が起きて、全部吹っ飛んでしまいました。

下津潤平、享年19歳。私の甥です。

高校に入ってから突然ミュージシャンになるという夢に目覚め、そこからピアノを始めました。
周囲にも母親にも今さら音楽の道を志すなんてムリ、子供の頃からピアノをやっていたわけでもないのに難しいに決まってるとどんなに言われようと、どうしても志を曲げずに、遅すぎる出発ながらピアノで課題曲のソナタを弾きこなすようになり、無事になんとか4月に神戸の音楽学校に入学して、4ヶ月目のことでした。

夏休みに入って実家に帰るも、10月にある学校の大きなライブイベントの出演選考会に向けてアンサンブルの仲間とのリハのために1週間で神戸に戻り、これからライブの出演を目指して頑張ろうとしていた矢先の突然の死でした。

原因は自殺でも事故でもなく、突然の身体の異変による突然死だったと思われます。
発見された時にはすでに息を引き取っており、司法解剖の結果も、詳しい死因はまだ不明です。

訃報を聞いた時の私はまさか!?という気持ちしかなく、昨日神戸に行き潤平の遺体を目にした今も信じられない気持ちでいっぱいです。

何でしょうね・・・?これ。

潤平は、何のために生まれて、何のために19歳の若さでこの世を去らなければならなかったのか。
妹は、何のために一人息子をこんなに早く天国に送らなければならなかったのか。
何より、潤平自身は、生まれてきて良かった幸せだったと思えていたのか。
 
早すぎる死。
悔いが残らないはずはありません。

生まれた時、幼かった頃のほんとに可愛らしかった潤平。
成長してバドミントンの八代市の大会で優勝を勝ち取るまでに頑張っていた頃の潤平。
人生の方向転換を決めてミュージシャンになりたいと夢を描き、一生懸命ピアノを頑張っていた時の潤平。

母親である妹、祖父母、いとこにあたる私の娘、ペットのイチロー(犬)、友人、知人・・、誰に対しても優しくて思いやりが深く、どこに出しても恥ずかしくない自慢の甥でした。

私自身もいつか音楽で一緒のステージに立てる日もくるかと密かに楽しみにしていました。 
誰よりも努力家の潤平だったから、もし違う未来なら多分そういうこともあったと思います。 

命の時間は誰にもわからない。
誰も、おそらく本人さえもこんなに早く人生が幕を閉じるとは予想してなかったことでしょう。
でも確実に人生はいつか幕を閉じるんです。

あなたに与えられた命の時間を大切にしてください。
いつその人生が幕を閉じたとしても、少しでも悔いが残らないように。

ぜひ夢を叶えて下さい。
今もし夢が叶ってなかったとしたら、夢に向かう「今」をどうぞ過ごしてください。
自分に、そして目の前の誰かに、いつか約束を交わした誰かに、恥じないような人生を送ってください。

残念ながらミュージシャン下津潤平はデビューすることはできなかったけれど、彼の人生と生き様が誰かにメッセージを届けるとしたら、彼の死にも意味があったのかなと思います。
生前、潤平に叔母として大した事をしてあげられなかったので、デビューしなかったミュージシャン、下津潤平のことをせめてこういう形ででも書き残しておきたいと思い、ここに記事を残させていただきました。


(高校生の頃の潤平)

このブログを読んで下さった皆さんが、彼がその短かった人生を通して奏でた魂の音楽を聴いて、何かメッセージを受け取ってくれたら嬉しいです。
そして下津潤平という一人のミュージシャンがいたことを覚えていて下さいね。

どうぞ、あなたの命の一瞬一瞬を大切に生きて下さい。
あなたの人生が輝きますように。

最後まで記事を読んで下さってありがとうございました。
そして、ありがとう潤平!!