ホルモン屋徒然草~珍しホルブロだ

新米ホルモン屋の親爺の日々。ホルモンのこと、店の出来事、周辺の自然や話題。

ショック!!

2008-08-14 08:09:51 | 第1紀 生きる
三週間ぶりなのか、四週間ぶりなのか、13日早朝、店じまいをしてから自宅に帰る。

夜2時過ぎ、節約していた車のガソリンを入れてから。
メーターは盛岡をでるときに既に一番下の線を超えていた。
エンプティーランプは点いていない。
点くタイミングは、あと5リットルなはずだから充分に間に合うはずであるが、23万キロを走った愛車レガシーのこの警告ランプが完全かどうかは保証できない。

途中、いくつかのセルフスタンドがあったが、止まるのも面倒だし、正直、機械嫌いのおっさんにはスタンドごとに違う支払方法を聞くのもうっとおしい。

警告ランプが点いたのはやはりあの地点だった。
不思議なことに、ガソリンのメーターがぎりぎりのときはもちろん、まだ少しだけ余裕がありそうなときも、花巻バイバスの冬は恐怖の交差点と呼ばれる次の信号を右折してしばらくのところにある、ファミマを過ぎたあたりで必ず点灯するのだ。

不思議といえば不思議であり、この日もそうだったが、謎は解けない。
何か仕掛けがあるのか、この付近の民家に強力にメーターに作用する電磁波かなんかを流すところがあるのか、いずれにせようっすらと予期していたことだが、この地点でランプがともり、またほんの少し行った東北線をまたぐ陸橋で消えた。

ガソリン車でのガス欠は社用車で一回、ガソリン車に軽油が入って立ち往生したのも社用車で一度経験がある。
相方は、家に着くすぐ近くの橋の真ん前でガス欠を起こし、助けに行ったことがある。
最初の会社の関西出身の同僚の母は、「うちの母はバリバリのケチで、よく高速道路でガス欠になっていた。ぎりぎりにならへんと、ガス(ガソリンの関西語)入れはらへん(ちょっと関西弁~姫路が違うかもしれない)」と自慢(?)していた。
臆病者で初心者のワタシにはとてもできない芸当だが、車を運転していると滅多なことでは止まりたくないという心理もわかる。
 
(すいませんが、筆が走っていますので長くなりそうですね。ここで一呼吸、トイレに行かれる方は今のうちに。話題は本文中に大きく三つに分かれると思いますので。)

しかし・・・(再開)
しかし、一番大きな心理的要因は、やはりガソリン価格の高騰だろう。
いつ入れても同じであるのは理解しているのだが、ぎりぎりまで入れたくないという気持ちがどこかにある。
花巻は大きな力を持った企業があり、どちらかというと競争原理の働かない、ガソリンなどの高いところであり、セルフスタンドがひしめき合い価格合戦を繰り広げる盛岡の方が何円か安いのはわかっていながら、帰るまでぎりぎりガソリンを入れないのは、やはり合理主義というより感情的な面が多いのだろう。

毎日、盛岡と花巻を往復すれば、週に一二回はスタンドによらなければいけないが、盛岡にでづめだと三週に一度で住むのはありがたいことなのである。

花巻星が丘のいつものスタンドに何とかたどり着き、満タンにすると40リットル程度で7千円強も支払うことになる。
カードだから以外に心理負担が少ないが、これもわずかな貯金から引き落とされることになるので結果は同じである。

全くケチな話題を長々と申し訳ないが、第一章はここまで。

・・・・

久々に、自宅の暖簾(無いか!!)をくぐる。
やはり、あえばののしりあう相棒がいても、自宅でくつろぐのが一番なのである。
やいやいと、いつものごとく少しちょっかいをだしながら、それでも久しぶりなのでいつもよりは柔らかく相方との会話が進む。
ビールではない発泡酒も、自宅ならおいしいのだ。

しかし、この気の弛み、ほんわりした気分は久しぶりに自分のベッドで寝た何時間の間だけだった。

翌朝はやく(といっても2時に帰り、3時過ぎに寝て、6時ごろの話だ)、ポチの散歩の催促の唸り声に起こされ、相方は出かける。
ワタシは二度寝。

でも7時には起きて、何を喰うかという相方の問いに、分かりきっているくせにと、「そうめん」とこたえる。
その大好きな「そうめん」の煮えている間に、ぼんやりした頭で書斎(コホン!!)に向かい、ミュージックバードを聞くアンプとチューナーに灯をつけ、もう古くなったバイオのノートを立ち上げる。

部屋が少しおかしい。
10ある本棚に入りきれない、野積みの本や雑誌があちこち崩れている。
アイラウイスキーの空箱も何個かフロアに落ちている。
なんだろう。
ワタシのいない間に、相方が癇癪でも起こしたのか(失礼!! 相方はワタシが目の前にいなければとても気のいいお嬢様なのであります)、ポチでも乱入したのか。

そして、他に異変が無いかと部屋中を見回すと、・・・・・無い。
無いのだ。
目の前のオーディオラック(相方の目を盗んで運んだ、いわゆるマニア用である。相方には中古品屋で仕入れたといっているが)にで~んと控えているはずの、マッキントッシュのアンプの片割れ、それも重い方のパワーアンプが無いのだ。

相方と娘が共謀して質にでも入れたのかと考える。
1978年ころのアンプで、当時は100万ほどのものである。
今はいくらの価値があるのか、質入れではいくら出すのかなどと頭を考えがグルグルまわる。
まさか、娘がインターネットのオークションに出したり何かして!?
ツマラヌ考えは、更にツマラヌ考えを呼び込む。

しかし、その片割れのプリアンプのあるオーディオラックに近づいて、謎は解けた。
あるはずのところにないパワーアンプが、あの40キロちかくはあろう巨躯のパワーアンプが、あるはずのないところにいたのだ。

唖然。

それは、かつて置いてあったオーディオラックの後ろに、ひっくり返って鎮座していたのだ。

嗚呼。

そうなのだ、きっと地震のなせる技なのだ。

他の機器は、いやこのパワーアンプかタンノイのスピーカーが一番重いはずだから、ずっと軽いはずのチューナーやらアナログプレーヤーやらなんやらがきちんと前の場所にいるのに、このマッキントッシュのアンプだけが見事に腹を出して転がっているのだ。

しかも、しかも・・。
このアンプの置いてある場所は、床の下が一メートル以上の深さでコンクリート詰めになっているのに。

相方を呼び、重い重いアンプを元の座に戻す。

そして、・・・嗚呼。

恐れていた事実が明かされた。
フロントガラスが数ヶ所、ひび割れているのだ。



こんなにひどく。



隣のプリアンプはなんともないのに。



ショックで、疲れていたからだが更にだるくなる。

まあ、こりゃあ、しばらく修理できないな。
通電していないけど、内部がどうなのかとても心配だが。

八戸の「音や」に聞いてみることにしよう。
でも、今の環境では、きっと何万円もする修理代は無理だよな。

落ち込むワタシです。

あこがれのマッキントッシュ。
今ではあまり聞いていないが、このアンプの力強さは相当なものだ。
だいたいが、今はひび割れてしまった、あの青いフロントガラスの灯火がなんともいいのだ。

お盆、8月13日。
少しばかりショックの盂蘭盆でしたね。

そう、愛車レガシーを買うきっかけになったのも、16年前のこの日。
乗っていた白いシルビアが、一旦停止を無視し、ビルの間から突っ込んできた車に大破された夏の日。

無くなった親爺が、趣味もいい加減にして、もっともっと仕事に気を張れといっているのかもしれない。

どんどん気が滅入る朝でした。


第三章・・・。

久しぶりの夏の我が家の雑草畑。
いない間に、相方が頑張って草刈りを下というが、でもすでに相手は伸び放題。
花が隠れる草の成長であります。



赤いムクゲ。



白いムクゲ。
母方の本家からいただいてきたもの。
うまい具合に紅白ならんでいる。
きれいだ。
初々しい。
名の通りの花。



垣根の花。
相方が植え替えでいらなくなったものをいただいてきたもの。
伸び放題である。
だいたいが、周りの雑草のほうが生命力があり高く大量にそびえているため、垣根の用をなしていないのである。
なんとも恥ずかしいばかりである。



はびこる蔓の花。
まあまあ、他の蔓よりは葉っぱも花もきれいである。



ホトトギス
お盆らしい花である。
これも母の庭かどっかからいただいてきたもの。
はかなさが美しい。

しばらく帰らぬ間に、百合や(何種かあってきれいなんだけど)なんやらかんやらの花が散っている。
墓参りに持参する花も、今年は早すぎて持っていけない。

本家に盆の挨拶による。
花もたくさん植えて、お盆用に売っているので、きれいなのがいくつも咲いている。

早いこと「儲けて」、山の奥の南に向いたそこだけちょっとした平地の場所に家を探し、広い土地に花やら野菜を植えて暮らしたいなどと、何十年も言っている夢。
相方には、無理無理と馬鹿にされるけど、蛇と蚊がいなきゃあ、何とか暮らせるさ。

さて、盂蘭盆。
皆様いかがお過ごしですか。
「をかしら屋」はお盆中も営業しています。
お待ちしていますよ!!

(以上、4900文字でした)