あれは,あれで良いのかなPART2

世の中の様々なニュースをばっさり斬ってみます。
ブログ界の「おか上彰」を目指し、サボりながらも頑張ります!

とんでもねえ,あたしゃ神様だ

2007年10月17日 02時17分43秒 | 裁判・犯罪
志村けんさんの神様コントの定番の台詞からタイトルを借りました。
宗教法人紀元会の信者が,他の信者20名以上から暴行を受けて死亡したとして,信者20数名が傷害致死で逮捕されました。
しらべによると,現場には50人以上信者がいたが,誰1人暴行を止めようとした人はいなかったようです。

紀元会リンチ現場に会員ら50人以上、犯行誰も止めず(読売新聞) - goo ニュース

何のための宗教?

宗教っていろいろあります。基本的にはどんな宗教を信じるかは各人の自由なので,それ自体にけちを付けるつもりは全くありません。
ただ,個人的な見解ですが,「宗教とは,自分が幸せになると同時に,周りの人も幸せにする」ものであると思います。少なくとも「自分だけよければそれでよい」という身勝手な神様はいないのではないでしょうか。まして,「他人を不幸にする」のはもはや宗教ではなく,かりにそれを許容している神様がいたとしたら,もはや「神」ではなく「悪魔」であると言っても過言ではありません。
「人に迷惑をかける」時点で,宗教失格である,と思います。

今回の暴行,理由がまだよく分かりませんが,教団の教えに背いたからだとした場合,それは「破門」すればよいわけであり,少なくとも暴行が認められる理由はまったくありません。神様だって,そんなことは望んでいないはずです。
あとは果たして教団ぐるみの行為だったのか,あくまでも一部信者の暴走だったのか,この点は今後の捜査の行方を見守りたいと思います。

ちなみに,宗教に関する裁判例を少しだけ。
まず,「どたぬき出ろ事件」。
これは,子供が精神疾患になったのは,たぬきが乗り移ったからだということで,「どたぬき出ろ」などといって祈祷をしながらその子供を叩き,結果子供が死んでしまったという事件で,最高裁は,「宗教だからといってもやって良いことと悪いことがある」ということで,傷害致死罪が成立するとしました。
次に,「宗教の定義」。
これは,「津市地鎮祭事件」で定立されたもので,「超自然的,超人間的存在を確信し,畏敬崇拝すること」と定義されました。分かったような分からないような内容ですね。
他にも宗教関係の裁判例はたくさんあります。憲法20条は,憲法を勉強する上では避けて通れません。

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12 コメント

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ポストを狙っている? (masa)
2007-10-17 18:58:41
 確かに他人に迷惑をかけろという宗教は、その時点で宗教ではなく、「単なる自己満足」と感じますね。

 今回の紀元会がいつ、どこで発会されたかは分かりませんが、このままいけば「ポストオウム」と言われても不思議ではないかもしれません。

 違いはせいぜい、武器使用か暴力か位なものでしょう。
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masaさま,コメントありがとうございました (おかにゃん)
2007-10-18 01:35:00
こんばんは。
本当に他人に迷惑をかける宗教は,宗教の風上にも置けないと思います。
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一方で (ともっち)
2007-10-18 08:37:30
そもそも、宗教とは他人に迷惑をかけるものであるという考え方もあります。そのあたり、少なくとも犯罪行為をおかすなどの点で選り分けせざるを得ないでしょう。また、宗教団体も地域社会や集落と溶け込むよう努力するべきでしょう。
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Unknown (滑稽本)
2007-10-18 20:03:45
宗教を何か勘違いしてません?
後、「周り」が何なのか、も
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ともっちさま,コメントありがとうございました (おかにゃん)
2007-10-19 01:05:36
こんばんは。
確かにそういう面もありますね。ただ,犯罪性の高い行為だけはどんな理由であれ絶対に許してはならないでしょう。
また,「宗教だから何でもあり」という発想をもしもっている宗教団体があったとしたら,その点も認識を改めるべきなのかもしれません。「なんでもあり」なのは,あくまでも「内心面」での話に限るべきでしょうから。
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滑稽本さま,コメントありがとうございました (おかにゃん)
2007-10-19 01:12:17
こんばんは。
宗教って,心のよりどころだと思っていましたし,基本的には「内心面」の話だと思います。ただ,内心だけは伝わらないものがあるため,それを他の人たちに何らかの形で伝える,それが宗教ではないでしょうか。
その伝え方が様々なわけで,少なくとも日本では,「他人に危害を加えるなど法律に触れる方法」は御法度としているわけです。この御法度行為=他人に迷惑,といえるでしょう。
もちろん,通常の勧誘行為も,人によっては「迷惑」ととらえられるかもしれませんが,不快に感じない犯であれば許される行為にぞくするのかなあ,って思います。

ただ,宗教って,実は「少数者」なので,民主主義と相反する部分があります。そういう点では,ご指摘の通り,「周りの幸せ」という点は微妙な問題があるのかもしれませんね。

とにかく,言いたかったのは,「犯罪行為だけは絶対ダメ」ということです。
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Unknown (滑稽本)
2007-10-22 13:26:55
>少なくとも「自分だけよければそれでよい」という身勝手な神様はいないのではないでしょうか。まして,「他人を不幸にする」のはもはや宗教ではなく,かりにそれを許容している神様がいたとしたら,もはや「神」ではなく「悪魔」であると言っても過言ではありません。
「人に迷惑をかける」時点で,宗教失格である,と思います。


前提として
>少なくとも日本では
という言葉が付くわけ?
限定する事が必要ならきちっと限定しないといけないですよ。
この限定が付かないとするのなら、宗教に対する捉え方を間違ってます。
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滑稽本さま、コメントありがとうございました (おかにゃん)
2007-10-22 21:39:55
こんばんは。
外国における宗教戦争(過去や現在)は、確かにこの考え方の大きな相違によるといえるでしょう。
とすれば、確かに「少なくとも日本では」という限定をつける必要がありそうですね。
ただ、超個人的見解ですが、宗教のために人間同士が争うということ自体、何かナンセンスな感じを覚えずに入られません。本来の宗教に対する捕らえ方と違うのは百も承知の上ですが、やはり「人間同士が争わない」というのが本来の宗教のあり方なのでは、と思います。まあ、こうなると宗教ではなく哲学的な世界なのかもしれませんが。
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Unknown (滑稽本)
2007-10-24 01:13:57
訂正。
×>少なくとも日本では
という言葉が付くわけ?

○少なくとも「今の」日本では


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滑稽本さま,コメントありがとうございました (おかにゃん)
2007-10-24 01:38:04
こんばんは。
少なくとも「近代立憲主義国家になった日本では」という意味ですね。江戸時代以前は,日本でもいろいろありましたからねえ,確かに。
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