あれは,あれで良いのかなPART2

世の中の様々なニュースをばっさり斬ってみます。
ブログ界の「おか上彰」を目指し、サボりながらも頑張ります!

高校野球黙祷問題を巡る報道について

2005年08月07日 12時31分16秒 | スポーツ全般
先ほどの記事については,専ら高校野球それ自体について論じてきましたが,ちょっとだけ今回の毎日新聞と朝日新聞の対応についてコメントしたいと思います。
状況を整理すると,こうなります。
1 毎日新聞が黙祷させないことを報じる(ここで「原爆は広島だけのこと」とコメントがあった旨記載)
2 朝日新聞が,黙祷したいことは朝日新聞担当者にあったことを発表。
3 高野連参事から毎日新聞に「原爆は広島だけ」とは言っていないと抗議。
4 毎日新聞,取材を直接高野連参事にしていなかったことを認め謝罪と記事の訂正。


今回の問題は,毎日新聞がちゃんとした裏付けを取らずに記事にしてしまった点が問題だったのかなあ,と思います。
ただ,その後すぐに非を認め,直ちに訂正記事を入れたのは,新聞社としては異例の早さではないでしょうか。報道の信憑性のためにも,このような態度自体は評価できると思います。
ただ,勘ぐり出しますと,夏の高校野球は主催「朝日新聞」,春の選抜高校野球の主催は「毎日新聞」なわけですから,毎日側も「明日は我が身」と考えたのかもしれません。
いずれにしても,これは自戒を込めて言うのですが(私も良くやるから),やはりちゃんと記事にするからには,「確実なニュースソース」に対して取材をして,その結果を記載するべきでしょうね。
あとは,毎日新聞としては,今回の高野連の対応についてどう思うのか,一連のちゃんとした取材に基づいてコメントを記載してもらえると,もっと新聞らしくなると思います。

あと,気になると言えば,これらのニュース,私はネット上でしか見ていません。このニュース,紙面やテレビニュースでも報じられていたのでしょうか(もちろん,たまたま私が見ていないだけの可能性もありますので,この点は何ともいえませんが)。

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高校野球は何のためにやる?

2005年08月07日 11時35分32秒 | スポーツ全般
8月6日からいわゆる高校野球が始まりました。各校ともベストを尽くして頑張ってほしいと思います。勝っても負けても良い思い出になるはずですから。
ところで,この高校野球に関し,感動に水を差すような出来事が裏で起こっていました。
その内容は,「広島県代表高陽東高校が高野連関係者に対し,8月6日の開会式直前に原爆犠牲者に対して出場校の選手みんなで黙祷をしたいという要請をしたところ,高野連側からそれを拒絶され,結局1校のみ隅っこで黙祷していた」というものです(ニュースソースはこちらの毎日新聞)。
この事件,さらにオチがありまして,当初拒絶した際に,高野連参事が「原爆は広島だけのこと」と言ったとして物議を醸しましたが,その後朝日新聞からの補足記事や参事からの抗議により,毎日新聞側が取材不十分を認め,記事の削除及び訂正をしたらしいです(その点の記事はこちら)。
さらにオチが続きまして,黙祷の要請,実は数年前から長崎代表からも続いていたそうですが,それも毎年門前払いしてたそうです。

高校野球って誰のために,何のためにやるの?

この問題,話が大きく拡がってしまいますので,私は次の点に絞ってコメントしたいと思います。
1 黙祷をさせることの可否
2 そもそも高校野球とは何か

(この他に,報道のあり方も問題になるのですが,今回はこの点は割愛します。)

1 黙祷の可否について
  結論からいえば「出場校に黙祷の機会を与え,やるやらないは各校の自由にする」というのがよいと考えます。
  高野連側が黙祷を拒否した理由は明確にされていないものの,考えられるのは,①進行の妨げ,②広島原爆以外での黙祷の可能性(黙祷の拡大),③他の高校の選手に対する影響,④逆に黙祷を強制することで思想良心の自由を害さないかなどと思われます(推測ですが)。
  このうち,①については,開会式でやるとか,試合中にやるというのであればそれは進行の妨げということになるため,拒否するかはともかく少なくとも何らかの是正措置はあるでしょう。
  しかし,今回は開会式の前で,しかも時間は1分程度,さらに黙祷をするだけなので,事前の準備や事後の片づけなどはなく,いわばその場でできるものです。とすれば,進行の妨げにはならないと思います。
  ②については,9日に長崎の原爆が考えられます。しかし,戦争以外の被害者(電車脱線事故,飛行機墜落事故,台風や地震の被害者など)に対しても黙祷をしたい等という学校が出てきた場合,確かにその切り分けが難しいでしょう。尊い人命が奪われたという点では優劣はないわけですから。
  しかし,むしろ「やりたい」という学校があるならば,それは認めてあげて良いのではないでしょうか。ただし,①の問題も踏まえ進行に配慮すること,あくまでも非宗教的な理由に限ること,その黙祷が教育効果として有益と認められること,後記のとおりそれが強制にならなければ,という条件を課す必要はあると思います。
  ようは,高校野球は教育の一環,ということを前提に考えればよいと思います
  ③については,要請を受けた高野連は,いきなり各校の生徒全員に直接伝えるわけではなく,実際は,監督やチーム代表者などの学校関係者(大人)に伝えるわけでしょうから,監督などが生徒にどのように伝えるのか,という点につきるでしょう
  ④については,確かに黙祷を強制することは,憲法19条に反する可能性もあります。したがって,黙祷を強制させることは問題です(じゃあ,8月15日の12時に甲子園でも黙祷しているじゃないか,という話はありますが,あれは建前上高野連の要請に対し,任意に応じているだけです。)。
  今回の場合,広島代表からは「みんなでやりたい」といわれたに過ぎず,「みんなにも黙祷をさせろ」と言ったわけではないため,広島代表の高校生も,あくまでも「趣旨に賛同してくれる学校はやってほしい」という意味で依頼したといえるでしょう。そうだとすれば,高野連としても,「広島代表からこういう依頼があった。やるやらないは各校の判断に任せる。時間や段取りは広島代表から別途連絡があると思う。」位のことを伝えても良かったのではないでしょうか。この程度であれば,思想良心の自由の侵害にはなりません。

2 そもそも高校野球とは
  これはタレント活動やプロ野球予選会でもなく,あくまでも「部活動」の一環です。つまり,「教育」それ自体なのです。
  高野連は,この教育効果を最大限に発揮できる環境を提供し,大会が円滑に進むように様々な問題を検討し,実行するセクションといえます。
  とすれば,高野連は「まず教育効果がどうか」という点を最優先に考えるべきなのではないでしょうか。己の体裁を優先に考えることは少なくともおかしい話です。
  今回の件についても,広島の原爆被害者に対する黙祷が高校生に対してどのような教育効果を与えるのか,広島代表がどのような趣旨で申し出をしてきたのか,やった場合とやらなかった場合では教育効果にどのような違いが出るのか,高校生に対して心身上の影響はあるかどうか等を多角的に検討して,結論を出すべきではなかったかと思います。
  そして,私は,この程度の行為であれば,戦争と平和を考えるという教育効果は期待でき,しかも精神的な苦痛を与えるものとはいえないため,やはり黙祷の機会は認めるべきであったと考えます。
  高野連も,自分たちが何のために仕事をしているのか,今一度考え直してほしいと思います。

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