トドの小部屋

写真付き日記帳です。旅行記、本や美術展の紹介、俳句など好きなことをつれづれに。お気軽にどうぞ。

長崎旅行2日目:グラバー園、大浦天主堂、オランダ坂、孔子廟、眼鏡橋

2014-12-08 17:00:32 | 旅行
12月2日(火)。今日は最初に長崎で一番行きたかったグラバー園へ行きました。グラバー園では有名なグラバー邸だけでなく、居留地に住んだ英国人達の邸宅、リンガー邸、オルト邸、ウォーカー邸など他の建物も見学できました。私たちはグラバースカイロードのほうからグラバー園の一番高いところまで2つのエレベーターを乗り継いで登りまして、だんだん歩いて下る順路を取りました。下から階段があり、歩いて登ることもできますが、かなり大変。エレベーターをお薦めします。最初に旧三菱第二ドックハウスを背景に小さな庭園が広がる見晴らしの良い場所に出ます。このドックハウスは船を造船所で修理している間に乗組員達が宿泊した建物で、明治29年の建築。ベランダからの眺めが素晴らしかったです。





坂道を下りながら、旧ウォーカー邸、旧リンガー邸、旧オルト邸などを見学し、お目当ての旧グラバー邸に着きました。





グラバー邸は1863年に建てられた現存する日本最古の木造洋風建築です。グラバー園のなかでは下の方にありました。それでも庭から見下ろす眺めは良かったです。グラバー邸では、トーマス・グラバーさんや長男で日本に帰化した倉場富三郎さんの功績なども知ることができました。一族の写真やグラバー夫妻の写真も見ました。住み心地の良さそうなお宅で、屋敷内に温室のように囲ってあるところがあり、ランの花が育っていました。旧オルト邸はとても大きく重厚な感じでした。出口に近いところに長崎伝統芸能館という建物があり、長崎くんちに使われる龍、豪華な船、傘鉾などが展示され、盛大な長崎くんちの説明を映像で見ることができました。
グラバー園を出て、すぐのところに大浦天主堂がありました。大浦地区はキリスト教徒が多い地区で、江戸時代のキリスト教弾圧で多くの殉教者を出しながら神父不在の中でも潜伏キリシタンとしてキリスト教を守り続け、明治初期に建設されたこの聖堂で、プチジャン神父が250年間も潜伏していたキリシタンを発見したという逸話がある教会です。大浦天主堂の正式名称は「日本26聖殉教者天主堂」。現存する我が国最古の木像ゴシック建築の教会堂で国宝だそうです。



大浦天主堂の拝観券に印刷されていたマリア像です。信徒発見のときに信徒が見たマリア像だそうです。堂内撮影は禁止です。



大浦天主堂を見た後、四海樓という店で長崎チャンポンを食べました。明治32年創業のチャンポンの発祥店だそうです。高いところにある店で長崎の街の眺めが良かったです。



昼食後、今度はオランダ坂へ行きました。坂道の途中にあった休憩所でカステラセットを食べました。この休憩所の建物も築100年ほど経つ洋館で、かつては賃貸住宅だったんだそうです。内部にクリスマスリースが飾ってありました。





オランダ坂を上って行ったところに活水女子大学というミッションスクールがありました。オランダ坂を下って行ったら、黄色い瓦の孔子廟が見えましたので、見学しました。この孔子廟は1893年に清朝政府と華僑が協力して建てた日本で唯一の本格的な中国様式の孔子廟だそうです。本尊の孔子様のお顔には、玉すだれのようなものがかかり、直接お顔が見えないようになっていました。宥坐之器という器に水をそそぐところがあって、水を入れすぎても、入れなさ過ぎても器が傾いてしまうことから、中庸の徳、謙虚の徳の大切さを教えた器だそうです。私もお寺の人に言われてやってみました。入れすぎると器が傾いて水がこぼれてしまいました。



最後に行ったのは眼鏡橋。



そして岩永老舗でザボンの砂糖漬けと、もしほ草という珍しい菓子を買いました。
他の写真はフォトチャンネルをご覧ください。
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