<おでいげ>においでおいで

たのしくおしゃべり。そう、おしゃべりは楽しいよ。

如来がわたしの安心を定められたのである。

2023年01月20日 13時45分56秒 | Weblog

仏教経典は「安心しろ安心しろ」と口(くち)諄(くど)く言って聞かせている。

わたしたちはそれでも安心できないでそわそわしているので、それだけ諄く諄く言い聞かせようとしているのだ。

追い掛けて来て取りすがって来て、「安心していいんだよ」を囁きかけている。

「ハイ分かりました」「これで安心して生きて安心して死ぬことができます」の安心信心の承認が念仏である。

「如来は我が往生を定めたまひし」と浄土真宗経典の「御文章」にあった。<我が往生>は<我が安心>に等しい。

阿弥陀如来がわたしの安心を定めてくださったのである。(だったら動かしようがありませんね)

(こんなことを聞くと、わたしは嬉しくなって涙を感じしてしまいます)

今日は午後からこんなことを考えて過ごしています。

外は風が出て来たようです。寒そうです。

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わたしたちは安心の世界を生きて安心の世界へ往生して行く。

2023年01月20日 13時11分31秒 | Weblog

仏(ぶつ)のかたより往生(おうじょう)は治定(じじょう)せしめたまふ。

浄土真宗経典 御文章 「聖人一流の章」より

往生は浄土往生。往生成仏。往生するのはわたし。往生させるのは仏。

それを<治定せしめたまふ>のは阿弥陀如来。わたしが決心して決行できることではない。みな、ことごとく弥陀如来の一人働きである。わたしはそのように<せしめられる>ばかりである。

ああ、よかったと思う。一人で死ななければならないとしたらこれはタイヘンなことであった。死ぬのはわたしのように見えているが、わたしの力で死んで行けるものではない。わたしは仏さまのおいしいおっぱいをごくんごくんと飲んでいれば、そこですべてが成就するのである。死が成就して、往生浄土、往生成仏が完了するのである。

安心していていいのである。

わたしたちは安心の世界を生きて安心の世界へ死んで行くのである。

なぜそのようなことができるのか?

此処は仏の世界だからである。

過去も現在も未来もすべて仏様の法(ダンマ)によって<しかあらしめられている>からである。

10

かくばかり、わたしは仏様に思われているのである。それをそうだとして受け止めていると口が念仏をし出して、そこで仏様を思っている。

11

わたしたちは相思相愛の仲なのである。親しい間柄、実に親密な間柄なのである。

12

仏の国はわたしたちの故郷、ふるさとである。此処から来て此処へ帰って行く。往生はふるさとへの帰還である。仏の国=浄土に往生すれば、仏の国の住民になるばかりだ。

13

だがここでお終いでもない。また次の任務が与えられて次の成長の旅へ、ワンランクアップした新しい旅へ旅立って行くことになる。

14

任務を遂行する度にわたしはますます美しく輝いて行くことになる。わたしたちは無限の成長を遂げて行く。

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余生を送るところにふさわしい。

2023年01月20日 12時58分49秒 | Weblog

午後1時。気温8・7℃。寒いなあ。指が冷たくて動かない。炬燵のお尻の下に敷いてあたためる。

外は小雨。さっき畑に行って小葱を摘んで来た。片手で摘んで、もう片方の手に握られるだけの小葱を。

額が少し濡れてしまった。

山里は静かだ。いつも静かだ。車の音もしない。人の声もしない。余生を送るところにふさわしい。

目白がこっちの森とあっちの林に分かれて、鳴き合っている。

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僕のブログの読者はいるんだろうか?

2023年01月20日 12時14分01秒 | Weblog

誰か、僕の書いたブログを読んでくれているんだろうか?

今日、小篇を8篇も書いちゃった。

しばらく読書もしていたけど、やっぱり書きたくなってしまって。

書くのは創造することだからね。小さな天地創造だからね。

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お母さんのことを心配してあげてたんだ、小一さんも。

2023年01月20日 12時05分44秒 | Weblog

宮中歌会始の入選作品10首の中の1首、これは。島根県の女性の作品。(名字の漢字が難しくて読めません)

「母さんも友だちできた?」と小一の吾子(あこ)に問われし仕事の初日

読後に、ふふふ、ほほほとなった。

こどもさんが小学校に上がられたので、仕事復帰をさされたのかなあ? お母さんのことを心配していたんだ、小一さんも。

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そうだ、焼き蕎麦を作って食べよう。

2023年01月20日 12時00分24秒 | Weblog

そうだ、インスタントの日清焼き蕎麦を作って食べよう。畑から小葱を摘んで来て、包丁でこまかく切って、フライパンに投げ入れて、青青させて。小さなレーズンパンも1個は食べよう。

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僕もお昼から羽を生やそうかな。

2023年01月20日 11時52分28秒 | Weblog

今日は大寒。だからって寒くならないでもいいだろうが、寒い。

パソコンのキーを叩いている指先が凍り付きそうになる。

炬燵の中の尻の下に指先を敷いてあたためる。

もうまもなくお昼。羽のある家内は、羽のために外出していて、ここにはいない。

台所のテーブルにレーズン入りのパンが置いてある。これが今日の僕のランチだ。

僕もお昼から羽を生やそうかな。

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わたしはどんどんどんどん輝いて行く。

2023年01月20日 11時33分20秒 | Weblog

こんなことを考えるために、今日を生きている己が存在している。

わたしという存在は今此処にいるわたしの一人ではなくて、たくさんいる。無数にいる。

わたしはたくさんのたくさんのわたしになる。これからの未来で。

わたしはABCDEFGHIJK.......XYZ。そのどのわたしもわたしだ。そしてXYZまで進んできたら、いきなりワンランクアップする。レベルが高くなる。

ランク・レベルは光の輝き具合で決まっている。

わたしはどんどんどんどん輝いて行く。輝くたびに成長がそれに伴って行く。そういう設定になっている。

わたしはそういうわたしの明るい未来を見越して、どの段階にあっても、にこにこしている。

成長には限りがない。

限りがないが、それでは飽きが来てしまうので、小休止がある。このときはわたしは仏陀になって過ごしている。

10

でも、ここが最終地点でもない。新しい旅が始まる。わたしは次へ向かって行く。

11

第100000人目のわたしが、ひょいと現れて、こんにちはをする。手をわたしの頭に置く。肩を叩く。

12

光が強くて見えない。声だけが聞こえてくる。声がやたらとやさしい。もしかしたら宇宙の愛そのものになっているのかもしれない。

今日はこんなことを考えているわたしがいる。空想をほしいままにしている。

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それを知らせて来る多くの多くの存在たち。

2023年01月20日 11時16分27秒 | Weblog

日が射して来たので、天地が明るくなった。ああ、いいなあ。

明るくなった天地の間に、わたしが立っている。射して来た日が、無差別平等にわたしを照らしている。ああ、いいなあ。

それほどにわたしは称賛に値する人間だということを知らされる。

それを知らせて来る多くの多くの存在たちに、わたしが囲まれている。

わたしは存在たちに肯き返す。

未来のわたしとなるハイヤーセルフたちも、何処かから現れ出てきて、みなほほえんでいる。朗らかになっている。

そういう絵を、大きな一枚の絵を、描いておきたい。わたしのために描いておきたい。

悲しみにうちしがれたときの、わたしのために。

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今日という日は死なない。明日のために死なないでいる。

2023年01月20日 10時57分54秒 | Weblog

人は死ぬとこころも意識もなくなってしまうのか?

こころや意識は肉体の脳の所有物なのか?

だとすれば、脳がなくなれば、こころも意識も消えることになる。この世から消失することになる。

肉体もこころも0になる、ということになる。

そこで終わりだったら、宗教は起こらなかったはずである。

そこを終わりとしていないから、宗教が誕生したんじゃないか?

ぷっつんと切れていると判断を下したのが科学文明。未来がある、未来はどこまでも続いていると判断したのが、宗教。

人が死んでも死んでも、今日がある。死なない今日がある。昨日からすれば明日だった今日がある。ぷっつんと切れないで、続いている。

一つの組み合わせが終わっても、また次の組み合わせが誕生する。肉体とこころの組み合わせは、消失したとみせて再生している。よみがえっている。

10

こうやって無限の未来が続いて行く。こうやってこころの成長が続いていく。新しい意識が芽生えて行く。どんどん明るくなって輝いて行く。

ふふふ、明るい未来を設定している宗教に軍配を揚げたくなるよね。

今日という日は死なない。明日の日のためにずっとずっと死なないでいる。

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