<おでいげ>においでおいで

たのしくおしゃべり。そう、おしゃべりは楽しいよ。

良い良い良いの良い良い良い。

2023年01月17日 13時31分23秒 | Weblog

こころなあ、中乗りさん、こころ細いよ、なんじゃらほい、木曽路の旅はよいよいよい、よいよいよいのよいよいよい。

木曽節を歌ってみる。大声を張り上げて歌ってみる。それでいい気持ちになる。よいよいよいになる。

山の畑には誰も居ない。人家はない。山鳥のジョウビタキさんが近くまで来て聞いている。

よいよいよいは掛け声だが、これで良い良い良いになる。生きていること生きて畑にいること、畑にいて民謡が歌えること、老いていること老いて自由を謳歌していられること、そのすべてが良い良い良いになる。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

天空宮殿のおばば様は

2023年01月17日 13時11分39秒 | Weblog

天空宮殿のおばば様は達筆。朝起きてから墨を擦る。それから揮毫する。大筆の場合もあるが、小筆の場合もある。

何を書くか?

その日、気に入った文章を書く。宮殿楼観100階に書斎がある。そこで書く。

詩を書く。大筆で。李白の詩がお気に入りだ。その後で小筆に持ち替えて法華経28章の中の、1章の、その中の1節を書く。

そこでお昼になる。でぶっちょのおばば様は汗掻きだ。大きな団扇に風を誘って休憩に入る。

大抵そうなるのだが、昨日は違った。おばば様はさぶろうの詩を取り上げた。李白の詩を書くのを止めにして、さぶろうの自由律詩を揮毫した。そしてそれを宮殿の大広間に掲げて音読して悦に入った。それで十分としたので、法華経を省略した。

さぶろうの書いた詩がおばば様の目に止まったのだ。

だがそのことをさぶろうは知らなかった。そしてさぶろうは、いつものように寂しそうにしていた。午後から山中の小径を歩いて過ごした。山茶花が咲いてさぶろうの目を癒した。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

寡黙を通しているものが多い。

2023年01月17日 12時52分06秒 | Weblog

是非に書いておきたい、っとことがある?

あるって、すぐに答えられないが、あるような気がしている。しきりに。

ともなく死んでしまえば何も書けなくなるんだから。

ということは? そう、生きているうちに、ってことになる。

でも、言わないでいいこともある。

寡黙を通しているものが多い。この地上では。草も木も砂も石も寡黙だ。

お喋りしなくてもいい、ってことを悟っている向きがある。

黙って称賛をしているだけで、十分満足しているというのだろう。

何を称賛するの? この世のすべてだ。この世の風景のすべてだ。この世の成り立ちのすべてだ。

10

で、あるのに、僕は何かお喋りをしたがっている。何かを書きたがっている。

11

「おれは生きた。おれは生きていられるおれを称賛できるようになった」そこまで言い切れるようになれるか?

12

それを言わないで死んで行くよりも、言って安堵して死んで行きたい、という欲求もある。

13

午後からも空は曇っている。気温はやや上昇している。ジャンパーを脱ぐ。しばらく杖を突いて散歩をする。いい気分だ。(そんな生き方をした一日があった。たしかにあった)

14

書いても書いても、しかし、僕の場合、それは水に溶けて消える。寡黙に如かず、か。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

夢がわたしを見ている、という仕組みがある。

2023年01月17日 11時58分56秒 | Weblog

目を開けると夢が閉じる。夢が閉じると現実世界が出現する。

境目で分けられている。右と左になる。

死生も境目で右と左になる。

そかしそれで消し去られた訳ではない。

片方に吸収されるだけで、消し去られてはいない。

夜になって交流する。境目の弁が開けられて、相互交流する。

今度は、夢の中にわたしが現れて来ることになる。

わたしが夢を見ている。夢がわたしを見ている。逆転をする。そういう仕組みがある。面白い。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

昆虫界の英明な智慧。死体保存方法。

2023年01月17日 11時46分50秒 | Weblog

ファーブルの昆虫記特集番組を見た、昨夜。

ある虫が、他のある虫を殺して、その虫の体内に己の卵を産み付けるのだという。

その卵は孵って蛹になって、その蛹が育って行くまでの栄養源になるのだという、殺された相手の虫がぜんぶ。

でも、腐ったら食べられない。で、腐らないようにしてあるのだという。

つまり、殺されたはずの虫が、神経麻痺注射針を打たれて、実は生きたままの状態にして保存されているのだという。

おっそろしく進んだ保存方法ではないか。

蛹は、その虫を栄養源にして食べ終わると、相手の虫が死に絶える。

昆虫のこのおっそろしく進んだ生きる知恵の実践。ファーブルはこれを観察して、発表した。

番組を見て、昆虫に潜む「昆虫界の英明な智慧」に感歎した。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

そういう明るい未来が設定されている。

2023年01月17日 11時26分43秒 | Weblog

わたしもそうなるだろう。その活動を開始するだろう。

そうしていただいて生きて来たのだから、そのお返しをしたくなるだろう。

周囲のみんなからあたたかく見守られてきたのだから、わたしも周囲をあたたかく見守る行動に出て行くだろう。

ここで往相回向(おうそうえこう)は還相回向(げんそうえこう)になる。

往相は往路の相(すがた)。回向(えこう)は、回し向けること、回し向けられること。応援支援を見に受けること。その感激感涙の相(すがた)。

還相は帰り道の我が相(すがた)。お浄土からまたこの娑婆世界=忍土に帰って来るときの我が相(すがた)。利他行の相(すがた)。他者に利益を回向(えこう=回し向ける)するハタラキを獲得している。元気いっぱいの姿をしている。

未来の未来のある日、わたしは勇猛果敢に活躍をする。活発に活躍をする。他者をよろこばせて行く。安心させて行く。法(この世の明るい真理、明るい相互営為)を布施して、生き甲斐を与えて行く。

ふふ、そういう明るい未来のわたしを、仏教は想定、設定している。

明るい未来が待っている。死後に明るい未来が広がっている。そういう設定を聞くと嬉しい。死んでも、無駄死にではないように思う。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

大きな守りもあるし、小さな守りもある。小さな小さな守りもある。

2023年01月17日 11時03分43秒 | Weblog

ついてた。しめしめ、うまくいったぞ。ついてついてつきまくった。勝った! 

で、何がついてたの?

つくって、付着すること?

別の新たなパワーが付着するとパワフルになれる。

いままで出来なかったことが、出来るようになる。

憑きものの憑きは、憑依を意味している。

応援者が応援をしている状態になる。支援者が支援をしている状態になる。

憑依があれば魔女にもなれる。神がかる。教祖様にもなれる。

治せなかった病気を治せる力を発揮する。奇蹟が起こる。

人々が教祖様に祭り上げる。

そこまでは行かないこともある。しかし、その大小の違いはあるが、人は応援者支援者を得て暮らしている。これはたぶん、間違いのないことだろう。

はっきりとそれがそうと分からないようにしてあるが、分かる人にはそれが分かる。分かるようになる。そういうようにもしてある。

その応援者支援者が誰なのか。わたしを応援している存在はいったい何物なのか。わたしを支援している者は何者なのか。

いろいろな呼び方がある。神とも呼んで、仏とも呼んでいる。そんな意識体を想定しないこともある。

呼称はいろいろだが、守られているという実感は心強い実感である。

大きな守りもあるし、小さな守りもある。日々刻々、小さな小さな守りもある。

「我以外は皆我が師」、とある作者は表現しているが、「我以外は皆我が守護者」としてもいいのかもしれない。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

来し方を肯定をして頷いて

2023年01月17日 10時55分19秒 | Weblog

まもなく此処を去る。去ることになる。

いい人生だった、と言って締め括りたい。

去って、終りではない。そこからも続く。旅は続く。成長を期して旅はどこまでもどこまでも続く。

しかし、そうやって、つまり肯定をしてうなづいて、去ることができれば、後の長い旅が楽になれるだろう。

来し方を肯定していたい。浅く深くうなずいていたい。

肯定の足し算をしていく旅、未来へ向かって行く旅は楽しいはずだ。

美しい地球だった。美しい地球を生きた。肯定からは称賛が発酵する。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

蕪は地球のような球体をしている。

2023年01月17日 10時46分53秒 | Weblog

蕪(かぶ)は球体をしている。長細い大根とは違う。同じように雪のように白いけれども。

蕪はやわらかい。実がやわらかい。とろりとしている。

今朝の味噌汁の具は蕪だった。こころもち厚切りだったが、すぐに豆腐になって融解した。

やわらかくてとろりとしていた。舌がとろりを嘗めて転がした。

蕪を畑から抜いて来て洗って、手の上に載せる。小さい球体は3個も4個も載っている。

蕪が、手の平で静かに丸くて小さな銀河系の星々になっている。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

せめて残りの時間の間だけでも。

2023年01月17日 10時39分14秒 | Weblog

加害は、できることなら、しない方がいい。

とはいえ、被害よりも加害をすることの方が、実際は多い。多いはず。

であればあるほど、加害を控え目にしていたくなる。

死ぬ身である。やがて死ぬ身である。

後が短くなっている。その短い間は、できるなら、加害を及ぼさないでいたい、と思う。

邪心を起こすことも、それもまた加害の領域なのかもしれないが。

死んでしまえば、あとは楽。肉体による加害も被害もなくてすむ。すむようになれる。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする