<おでいげ>においでおいで

たのしくおしゃべり。そう、おしゃべりは楽しいよ。

どんな方なんでしょう?

2023年01月06日 17時55分45秒 | Weblog

わたしのブログを読んで下さっている方はどんな方なのでしょう。

わたしには想像がつきません。

 

でも読んで下さっているのは記録に載るので分かります。

1回のブログでいつも10人~12人の方が読んで下さっているようです。

同じ人なのか別の人なのかは分かりません。

ともかくしかしお礼を申し上げねばなりません。有り難うございます。

今日は此処までにします。

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宇宙心臓という同じ一つの心臓。

2023年01月06日 17時33分25秒 | Weblog

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日が暮れます。今日もわたしのお命様を大きな大きなお命様に生かしてもらいました。有り難いことです。

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77歳のお爺さんはこんなことを思います。わたしの中で生きて下さる小さなお命様とそれを取り囲む大きな大きなお命様のことを考えます。

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小さなわたしの中で生きてくださる小さなお命様も、しかし、実は、大きな大きなお命様と同じくらいに大きいのかもしれません。

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大きい小さいのサイズなんか、お命様には、ないのかもしれません。両者は同じ一つの脈拍を打っているのかもしれません。

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同じ一つの心臓なのかもしれません。宇宙心臓という同じ一つの心臓なのかもしれません。それを思うと忝くなります。

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わたしを小さい者扱いにして卑下するのは間違っているのではないかとそんなふうにも思います。

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もうすっかり日が暮れました。窓の外はなんにも見えません。明日の朝日が昇って来るまではもう何にも見えませんが、わたしのお命様のことを思うとそこがぱっと明るくなって来ます。

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人に頼めることと頼めないこととがある。

2023年01月06日 16時54分14秒 | Weblog

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人様に頼めることと頼めないこととがある。

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「おしっこをしてきて欲しい」とは頼めない。

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こればかりはどんな人も自分でしかやれない。

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威張っている人も、自分でトイレまで歩いて行くしかない。独裁者でも同じだ。

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しぶしぶでもそうするしかない。笑ってしまった。

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その代わり、放尿後のすっきりした気分も、これも自分でしか味わえない。

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辛い悲しい苦しい人生も、人に頼めない。

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人に代わってもらうことが出来ない。自分で体験するしかない。

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その代わり、それが完結したときの達成感充足感も自分でじっくり味わえることになっている。

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人に頼めることと頼めないこととがある。人に頼めないことは自分がするしかない。笑ってしまう。

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お正月の力強い俳句を読む。

2023年01月06日 16時34分17秒 | Weblog

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去年今年(こぞことし)貫く棒の如きもの      高浜虚子

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12月31日は去年なのに、1月1日は今年。1日の違いだ。違いは1日しかないのに、去年今年に大きく分かれている。

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だが分断はない。切断はない。

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頑丈な鉄の棒で貫かれている。これでばらばらにはならない。繋がっている。

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作者は、「棒の如きもの」があると言う。それがあるために、去年と今年がすっと移行していけることになっている。

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「棒の如きもの」とは、では何か。切断面のない時間軸だろうか。

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ともかくそのお陰でわれわれはすんなりと正月を迎えておめでとうを言い合うことができるのだ。

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俳句は575でたった17文字しかない。そこに独特の美しい世界を現出させてみせるのだから、空中ブランコのサーカスなみだ。

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我々人間の生命は過去現在未来と繋がって切れ目がない。そこには貫く棒があるからだ。これで我々は永遠を我が物にしていられるのだ。

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作者高浜虚子は愛媛県松山生まれ。正岡子規に師事した。「ホトトギス」を主宰した。客観写生を説いた人。小説家でもある。1874年生まれ。1959年に85歳で没した。

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生きている間に会う人は限られている。

2023年01月06日 16時25分31秒 | Weblog

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生きている間に会う人は限られている。

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大事にしなければならないと思う。

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どの人もどの人も会うべき人だったのだろう。だから粗末に考えてはならないと思う。

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憎んではならないと思う。

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そう言い聞かしているのに、憎んでいることがある。

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間違っている。そう思う。

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もうすぐ死んでしまう。その人もわたしも死んでしまう。

 

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俳句歳時記を買ってきて読んでいる。

2023年01月06日 16時20分42秒 | Weblog

俳句歳時記を本屋さんに行って買って来た。

歳時記を読まないで俳句を投稿していた。横着をしていた。

1月の部から読み進めている。季語が豊富だ。

日本人はこれほどまでに季節に敏感な民族だった。それを思い知らされる。

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その人の名前はまりこさん。

2023年01月06日 15時51分10秒 | Weblog

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その人の名前はまりこ。まりこさんに今日、偶然に会うことが出来た。美しいまりこさんだった。

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どちらからともなく近付いて来て、相手を確認して、両方同時に小さくジャンプアップした。

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わたしは目白にやる蜜柑を買いに来ていた。まりこさんは買い物をカートにいっぱい載せていた。

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4ヶ月になる男の子の赤ん坊を胸に抱いていた。その赤ん坊はふっくらと太っていた。体重7キロ。福徳の高い円満の顔をしていた。眺め入った。

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「会いたかった」「こちらこそ」「会えてうれしい」「こちらこそ」「今日はいい日になった」「それはこっちの台詞です」

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買い物が終わった。店の外に出た。まりこさんがわたしの車までついて来てくれた。「嬉しい」「また会いたい」を繰り返した。遭える予定などないのに。

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気が合うのだ。その時間は青空を吹く春の風のように爽やかになるのだ。ほんわかになれるのだ。男女の仲ではない。あくまで人間同士の仲だ。高め合うことができる間柄だ。

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しかし、彼女がどこに住んでいるのか、今は何をしているのかは知らない。ずっと以前、仕事の用事で何度か会ったことがあった。親切にしていただいた。

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今日はいい日になった。お正月の神さまが引き合わせてくれたのかもしれない。もう会うことがないだろうと思っていた人に会えた。幸あれと祈った。

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夢の中だったかもしれない。夢が、お爺さんを憐れんでくれたのかもしれない。

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そういう技術が開発発明されないだろうか。

2023年01月06日 15時38分06秒 | Weblog

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ちょこんと切り取ることは出来ないか。切り取った風景を永久保存できないか。風景の中にわたしを立たせて。

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写真では嫌だ。絵にしても、それもイヤだ。我が儘を言うが、生ものでなければイヤだ。風景もわたしも、生きていなければならぬ。そこに日が射してそよそよ風が吹いていなければならぬ。

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そういう技術が開発発明されないだろうか。

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そうしたらそこへわたしは、何度も帰って来るだろう。そして何度も生き返るだろう。溌剌となるだろう。清々しくなるだろう。

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今日2023年1月6日。午後4時。場所は我が家の周囲の畑。冬の畑には高菜が青青と育っている。そこへわたしが歩いて来て、高菜を摘んだ後で、やや日が傾いた大空を仰いでいる。

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悪習から抜けられないでいる。

2023年01月06日 14時48分38秒 | Weblog

1%の不平に執着して残りの実質の99%の満足状況を消失してしまっている。

たった1%の不平が、みるみる膨張拡大してそれだけで100%にしている。

不平の穴から見ると、見ている風景の全体がそれに染まってしまうので、それと分からなくなってしまうのだ。

そしてそれを自虐して好むようになる。愚かなことだが、その自虐の快感を捨てられないようになってしまう。

そしてついには、不平を持つ人間の方が正しい見方をしているように思い込んでしまう。

このお爺さんはこの悪習から抜けられないでいる。

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わたしの朝の即興詩 「わたしの耳」

2023年01月06日 09時29分12秒 | Weblog

わたしの朝の即興詩 「わたしの耳」

 

わたしに耳がある/耳に語り掛けて来るものがいる/誰だか知らない/わたしは顔を見ていないが/相手はわたしを見ているのかもしれない。親しげだ/はっきりした音声にならない場合もある/かというと/やさしい物言いに終始するが/聞け聞け聞けと命令口調でもある

声に意図はあるか/あるようでもありないようでもある/ときどきは風の音のような音楽だけのときもある/小鳥の鳴き声だけのときもある/そしてときおりは/わたしを愉快にさせるためだけの物語を語る

庭の黄水仙を戦がせて/植物界の物語を語って聞かせることもある/地球の初めの成り立ちを語ることもある/長い長い宇宙の歴史を語ることもある

わたしの耳は小さいけれど/声が放たれる大きな発信源に繋がっている/繋がっているらしいが/発達を遂げてもはや両者を繋ぐための/ラインのような物体はなくなっている

わたしに耳がある/聞こうとすれば/なんでも聞こえて来る耳がある/耳は静かだが/耳はこうしていつもにぎやかだ

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