1
仏道修行は礼拝の一行である。この一行を通した方がおられた。億億劫の昔、威音王(いおんのう)如来という如来がおられた時に、その教えを聞かれた修行者の一人に、常不軽(じょうふぎょう)菩薩という方がおられた。法華経にその菩薩の修行を記したチャプターがある。常不軽菩薩品である。
2
仏を礼拝するのが基本の仏道修行であるが、この菩薩は人を礼拝するという礼拝行の一行に徹した。なぜ人を礼拝するか。人はやがて仏と成るからである。さまざまに苦悩しながら仏としての修行をしているからである。
3
「あなたを礼拝します。あなたはやがて仏となられる方です」彼はこう言って会う人会う人に手を合わせて礼拝した。悪口を言われてもぶたれても石を投げられても礼拝した。
4
この菩薩は常に人に軽んじられたけれども、しかし、それでも常に人を軽んじないという修行に邁進された。手を合わせて人を礼拝された。この修行が成就して、やがて彼はお釈迦様になって誕生された。
5
わたしにできることではない。しかし、同じ人間に生まれて礼拝行一行を修行された方が、この地上におられた。それを感激するばかりだ。
6
偉くなりたい。己が上位に立ちたい。人の上に立って他者を見下して威張っていたい。この欲望は捨てられない。そしてこの欲望が達せられないで、人は悲しむ。偉くなれないで、人の下位に立たされて人を恨む。憎む。それでおおかたの一生が終わる。
7
手を合わせる。礼拝する。敬う。感謝する。他者の存在を有り難いと思う。そういう生き方もあったのだ。今朝は法華経常不軽菩薩品を読んだ。その道があったのだ。人はやがてかならず仏に成って行く。