川久保の野原の崖下に石に彫られたお地蔵様が立っておられる。石が光背になっている。全体で落ちかかる露の雫の形になっている。合歓の木が頭上を覆っているが、いまは冬なので、空が筒抜けになっている。足元には短い草笹の茂みが広がっている。枯れ葉がまわりを埋めている。風がここへ来て静かに遊んでいる。さぶろうはよくここへ来る。お地蔵様と対面する。お話をする。話が聞いてもらえるのでちょくちょく来る。でも長話はしない。「今日もここへ来ました。お地蔵様に会えました。あなたに会うと嬉しい気持ちになります。どうしてでしょうね」などと語りかける。安らいでおられるお顔を仰ぐ。そしてどうしてだかそれですべてを納得する。すべてを納得するだなんて大袈裟な物言いだけど、そんな不思議な気分になれる。<さぶろうが仏さまのいる世界にいる><ここがそこだ>ということが漠然と合点される。此処というのは宇宙一杯の広さを持つ此処だ。
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