「此処」には大中小があります。
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わたしは此処にいます。
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生きても死んでも此処にいます。
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死んでお浄土に往っても、そこも此処です。
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幾分か大きめになった此処です。
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お浄土も穢土もやはり仏様の世界だからです。
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仏様の世界の「此処」を逸脱することはありません。
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地球も此処、太陽系も此処、銀河系も此処、宇宙全体も此処です。
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此処にわたしがいます。わたしがいるところが、此処です。
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気宇広大の「気宇」は膨張縮小が自由です。
「此処」には大中小があります。
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わたしは此処にいます。
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生きても死んでも此処にいます。
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死んでお浄土に往っても、そこも此処です。
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幾分か大きめになった此処です。
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お浄土も穢土もやはり仏様の世界だからです。
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仏様の世界の「此処」を逸脱することはありません。
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地球も此処、太陽系も此処、銀河系も此処、宇宙全体も此処です。
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此処にわたしがいます。わたしがいるところが、此処です。
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気宇広大の「気宇」は膨張縮小が自由です。
午前8時を過ぎました。朝ご飯をいただかねばなりません。
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お爺さんのお腹は減っていません。
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食べても食べなくてもいいんです、だから。
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この頃ずっとこの調子です。
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下降線を辿っています。着陸態勢に入った飛行機のようです。
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これでいいんだろうなあと思います。
近所のお婆さんから、チョコレート1箱をもらいました。またも。
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わたしは恐縮します。とても恐縮します。
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お婆さんはわたしよりも一回りほど年上です。お元気です。一日に何度もお散歩をされています。
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孫扱いされます。
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お喋り好きです。わたしが畑にいると立ち止まって話しかけられます。
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「わたしはもうすぐお浄土に往くが、若い者は元気にしておらねばならん」が口癖のようです。
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わたしはもうお爺さんのお爺さんですから、若い者ではりません。「どちらが先にお浄土詣りか、わかりませんよ」とわたしは返事します。
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チョコレートはもう何度ももらっています。お返しが気になってしまいます。たいてい、林檎3個をお返しにします。
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お婆さんは、「お爺さんが死んで、寡婦年金がたくさんあるから、わたしはお金持ち。お金の使い道がない」と言われます。
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「他人様に物をあげてよろこんでもらう。それがわたしのよろこび」「だから、気にしなくてね」と言われても、もらいっぱなしでは居心地がわるいんです、こちらは。
このお爺さんは、下手くそです。栽培が下手くそです。
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昨日、家内が畑から空豆を収穫してきました。豆の房を剥いたら、小さな実しかはいっていません。これじゃあきらかに失敗作です。茎はしっかり伸びていたので、期待をしていたのですが、期待外れに終わってしまいそうです。
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でも、その初収穫の希少な小さな空豆をおそるおそる食べてみました。焼いてもらいました。美味しいを連発しました。希少価値がありました。
下手くそでも、ともかく、栽培しててよかったなあと思いました。
畑の一隅で水芋がどっさり芽立っています。昨年も誰も一度も食べていません。水芋は茎を食べます。(芋も食べられます)
三杯酢にして、わたしは小さい頃に何度も、お婆ちゃんから料理をして貰って、食べました。筋張っていますから、噛むとサクサクさくと音がします。
筋剥きをしたら手指に痒みがあります。食べると、喉の奥に<えぐみ>を感じます。それで、現代人は遠離ってしまいます。おいしいものが、ほかにいっぱいあるから、でしょうね。
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さて、食べない水芋は、では、捨てていいか。捨てていいはずですが、このお爺さんは、困ったことに、捨てられません。<もののおいのち様>に、申し訳なく思ってしまうのです。
で、結局は、また畑に子芋を植え付けてしまいました。人様にお分けしようとしても、みなさんノーの答えしか返ってきません。で、なおさら、断捨離が<可哀想>になるのです。
おはようございます。4月29日になっています。今日は前半3連休の最後の日。あいにく雨になっています。
少雨。洪水を引き起こすような降り方ではありません。無風です。でも、畑には出ていけません。畑にで出れば、やりたいことはたくさんありますが。
仕方がありません。雨の音を映画音楽にして、蟄居します。
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昨日、薩摩芋の蔓を20本(900円)買って来て、夕方、北の畑に植え付けました。雨を得てよろこんでいるでしょう。