<おでいげ>においでおいで

たのしくおしゃべり。そう、おしゃべりは楽しいよ。

良寛様の漢詩「時に憩う」を読む。

2024年04月25日 13時11分54秒 | Weblog

「時に憩う」 良寛

 

薪を担うて 翠岑を下る

翠岑 路は平らかならず

時に憩う 長松の下

静かに聞く 春禽の声

翠岑(すいしん): 新緑の春の山々。青々とした峰。

春禽(しゅんきん):春の小鳥。鳴いているのは鴬だろうか。鴬以外にもたくさんの小鳥たちが鳴いているかもしれぬ。

良寛様は禅者である。五合庵に住んでおられる。畳一間と狭い炊事場と土間しかない狭い家である。禅者は乞食者である。近隣を回って法を説いて、食べ物を人に乞うて暮らしている。今日は薪を山に拾いに行かれたようだ。

拾った薪を背中に担いで春の山道を降りて来られた。山道は上りが当て下りがあって、平らかではないので、(お年もお年なので)(痩せ細って枯木然としておられたので)、へとへとになられたようだ。背負っている薪を、大きな松の木の根元に下ろして、しばらく休憩に及ばれた。汗を拭いていると、春風の向こうから静かに、春の小鳥の鳴き声が聞こえて来た。禅者良寛様の素朴な無欲な暮らしぶりが見えて来る。

今日は大好きな良寛様の漢詩を読んでみました。

無欲な禅者には、小鳥の声を聞くことが春の楽しみになるらしい。良寛様は国上山の中腹の五合庵に14年住まわれて、74歳で他界された。仏道を歩まれながら、手鞠突き、隠れん坊、和歌、漢詩、書にもすぐれておられた。

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お昼は素麺を茹でて食べました。

2024年04月25日 13時02分15秒 | Weblog

お昼は一人。熱湯で素麺を茹でて食べました。茹で終わったら冷たい水で冷やして、出汁につけて。擂り胡麻、揉み海苔、摺りワサビをたくさん投入しました。

つるつるると啜れるのがいいです。夏場の食事は麺類がおいしいですね。

わたしにもこれくらいなら一人でやれます。後は使った容器、お椀、箸を洗って、テーブルを拭いて、お終いにしました。

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如来様の大悲はケタが違っています。

2024年04月25日 10時41分42秒 | Weblog

身を粉になんかしないでもいいんだよ。骨を砕いたりしなくていいんだよ。そんなことを要求しているんじゃないんだよ。おおらかに伸び伸びと屈託なくしてていいんだよ。あなたに大安心を与えるためだから大安心をしていていいんだよ。

如来様の大悲はケタが違っています。如来様を小さくしてはいけません。大安心の大安心が如来様の大悲です。お返しが出来るできないの種類ではありません。

これはわたしの自己流の受け止めです。

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如来様の大慈大悲は無条件。

2024年04月25日 10時04分25秒 | Weblog

「如来大悲の恩徳は身を粉にしても報ずべし」 恩徳賛より。

阿弥陀如来の大悲大慈をいただいてわたしが生きています。

身を粉にしても、この如来のご恩をしっかりと受け止めて、それに報いようと勤めて、一日一日を有り難く大切に生きるべきだ。・・・と解釈をしてみました。これは浅い受け止めです。

「報ずべし」にわたしは違和感を感じています。わたしの受け止めが間違っているのですが。

報じなさいと言われても、わたしが報じることができるような量ではないんです、阿弥陀如来の大慈大悲の量は。どんなにあがいても報いきれることではないんです、よね。

そして如来様はわたしにお返しなんか求めていないんです、よね。

如来様が人間同様に返礼を求めている、はずはありません。わたしはそう思います。

大慈大悲は無条件でなければなりません、よね。

迷妄のわたしが迷妄のままで、お返しをしなければならないとなると、それはタイヘンです。一生二生くらいではどうにもなりません。

わたしが如来にならないとできません。如来様の大慈大悲は無限大無際限無条件です。

あなたもいずれ如来となって苦しめる人々を救いなさいということだろうか、この恩徳賛の趣旨は。

***

僕が間違っているはずですが、どうも違和感を感じてしまいます。

如来様が「報ずべし」の命令形で命令をされているはずはありません。命令をしたがるのは正義人間です。

師主知識の恩徳も骨を砕きても謝すべし。これも恩徳賛です。

師に当たる人、施主の人、善知識の人々から受けるご恩も、我が身を砕いてでも、報じなさい。

ここは対人間の間のことだから納得ができます。でも、やっぱり命令形ではないはずです。「べし」はいろんな意味合いがあるので、強い命令だけに受け取らないでもいいのかもしれませんが。

これも恩徳が条件付きでなされたとは思えません。

仏様、人様からいただいた大慈大悲の深さを、こういう表現で主張されているのでしょうね、きっと。

悉皆成仏した山川草木がそういう要求の目をしてわたしたち人間を見ているはずはありません。もっともっとおおらかのはずです。無条件のはずです。

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蜂が恐い。

2024年04月25日 09時54分01秒 | Weblog

恐い恐い恐い。クマバチが恐い。スズメバチが恐い。オオスズメバチが恐い。アシナガバチが恐い。外に出ると襲って来る。

(蜜蜂も口元にまで来るが、彼らはそんなには恐くない)

お爺さんは糖尿病を抱えているので、全身に糖分を発散させている。甘い匂いがしている。とくに呼吸が甘い。すると蜂が、それを食べ物の匂いとと勘違いして、擦り寄って来るのだ。ぐるぐるぐるぐる周囲を飛び回る。挙げ句、呼吸をしている口元から侵入を図ってくる。その間、お爺さんは呼吸を止めてフリーズする。でも長くは持たない。フ~ッと吐き出す。とまた甘い匂うがそこらに充満する。逃げるに逃げられない。逃げたら追い掛けて来るからだ。

恐い恐い恐い。4月5月6月は女王蜂の巣作り、7月8月9月は働き蜂の活動期。山里の春、夏、秋はみんな蜂が飛び回る季節。その間ずっと恐い恐い。

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いつのまにか靴の中に入り込んでいる泥。

2024年04月25日 09時45分30秒 | Weblog

作業靴の中がよほど好きだと見える。畑に出ていると、いつのまにか靴の中に畑の土が入り込んでいる。感心する。何度も外に出すが、またいつのまにか新しいのが入り込んでいる。

歩いただけでも、そうなる。泥も土の砂粒も、靴を履きたがる。人間の足と遊んでいたいのかなあ。

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夏の入道雲が初期化を始めている。

2024年04月25日 09時40分02秒 | Weblog

白い、ふわふわっとして雲が、ふわりふわり浮いている。だんだんそれが競り上げって来て、純白蛸入道になる。

ほほう、ほほう、もう夏なんだなあ。

追い詰められた空が、ピレネー山の方まで上り詰めて、そこで青い湖を造って、遊んでいる。

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お腹に負担を掛けると苦しい。重たい。

2024年04月25日 09時27分50秒 | Weblog

今朝のお爺さんの朝食。バナナ1本。ミルク。半熟卵。パイナップル入りヨーグルト。里芋の味噌汁。お茶。以上。

(生まれて1年前後の赤ん坊みたいだな、固いものを食べていない)

腹八分目を心がける。お腹に負担を掛けると苦しいし重たい。

仕事はなんにもしないから、これで十分である。ぐうたらぐうたらしている分には、これでも多すぎるかも知れない。

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山鳥のコジュケイが鳴く頃となった。

2024年04月25日 09時11分32秒 | Weblog

今日は、お爺さんは何をしようかなあ。何をしても<お爺さん遊び>なんだけど。

北の畑の4分の1がまだ草ジャングルだ。草を抜いて、畝を盛らねばならない。

畝には薩摩芋の蔓を差し込む。差し込んで5ヶ月経過すれば収穫の時期となる。

5月初に植えれば、だから9月末か10月初めには掘り上げてよいことになる。

植え付けるまでにまだ半月ほどの余裕がある。と思って、なかなか準備に入らない。

土筆の親玉のスギナが地下深く根毛を延ばしている。うんざりする。これには対抗のしようがない。

お爺さんは畑にいる。お風呂用の小さな丸椅子に座って、手を動かして、一人で居る。と、日の隈山の山裾からチョットコイの呼び声が掛かる。この山鳥は、チョットコイ・チョットコイと鳴く。お爺さんはこの山鳥の真似をして鳴く。

大声を立てるから警官鳥のニックネームがある。本名はコジュケイ。羽の色がキレイだ。

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芍薬が庭に咲き始めています。

2024年04月25日 06時49分23秒 | Weblog

牡丹が咲き終わりました。と、今度は、芍薬が咲き始めました。

芍薬は英語ではpeony もしくはchinese peony 、牡丹は  tree peony。 大輪を誇るのは牡丹。芍薬は花数を誇る。どちらも美しい。

こんなに美しく咲いたのだから、たくさんの目に見て欲しいだろうなあと思います。虫の目だけではなく、人間の目にも、神様の目にも、仏様の目にも、青空の目にも、見て欲しいだろうなあと思います。

美しい芍薬を仏壇に供えました。死んだおっとうとおっかあと弟に、「キレイな芍薬が咲きました、見て下さい」と言いました。

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