<おでいげ>においでおいで

たのしくおしゃべり。そう、おしゃべりは楽しいよ。

少しだけ日が翳って来たようだ。

2024年04月12日 15時56分50秒 | Weblog

少しだけ日が翳ったようだ。チャンス! 

畑に出て行こう。日暮れまであと二時間はある。

日中は日射しがきつくて、焼けてしまうように感じられた。

タオルを巻いて頭から汗が零れるのを防いだ。

巻いたタオルの上から日射しを避ける帽子を被った。

27℃あったのが、午後4時になって、25℃台まで下がって来た。

4月中半で27℃ってあきらかに異常気象だよね。

動植物はどうするんだろうね、気象変化に対応するのが難しいのじゃないかなあ。

これから5月6月7月と本格的な夏を迎えるだろうが、お爺さんは耐えきるだろうか、心配になってしまう。

まあ、働いていないお爺さんは暑さを避けて家の中にいられるけど、外で働いている人はタイヘンだろうなあ。

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踊り子草とわたしは同朋。大空とわたしは同朋。

2024年04月12日 13時01分31秒 | Weblog

どんだ(土手)に踊り子草が咲いている。わたしのために咲いているのではないと分かっているが、それでも、もしかしてわたしのためにも咲いていてくれるように思われて、ふっと慰められる。

もしも、わたしのために咲いてくれているのなら、わたしはお礼を申し上げねばならないだろう。わたしと踊り子草の間に直線が引かれていることになる。無関係でなくなってしまう。すると親しみを覚えてしまう。

連帯感が生まれる。いっしょにこの世を生きているという連帯感が生まれる。力を与え合っているような気がしてくる。踊り子草とわたしとの間にこの連帯感があるのなら、それはその他にも拡大される。

大空とも連帯感が生まれる。大空が一緒にこの世を生きて死んでいるようにも思われる。わたしだけが一方的に短絡的に生きて死んでいるのではなく、天地間の多くの存在が、同じ方向を向いて同じ方向に成長を遂げようとしている同朋のようにも思われて来る。

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草取りは不安を除去してくれる。

2024年04月12日 12時41分39秒 | Weblog

気温が上がって、お昼には26℃になった。日射しの中に居るとじりじり焼け付く感じがする。

しばらく韮(ニラ)を摘んだ。こうしないと新しい、おいしい春の若芽が伸びて来ない。切ったのも食べようと思って、揃えようとしたが、冬枯れがして痛んでいた。結局は捨ててしまった。

日射しのあるところには耐えられない。トイレの窓の下の日陰に回って、正午までそこで草取りをした。トイレは西を向いている。午後からは日射しが当たる。日除けにいつもここにはニガウリを植えている。今年もその準備をしておく。

お昼のサイレンを聞いて作業を中止した。草取りをしていると不安がその間は除去される。

 

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湿っぽくなるよりはマシだよね。暗鬱となるよりもいいよね。

2024年04月12日 09時51分08秒 | Weblog

いろいろ考えるね。だね。いろいろ考えるね。考えるのは自由だからね。何をどんなに考えてもいいからね。好きなように考えていいからね。好きなように考えることができるのなら、楽しいよね。じゃ、好きなように考えて、それを楽しまなくちゃ。

事実だろうと、非事実だろうと、お構いなしにして、考える。もくもくもくもく雲にして湧かせる。思考の雲を製造する。それに見蕩れる。ああいいなあと思う。

それ、もしかしたら、妄想狂っていうんじゃない? ひとり妄想にふける。耽る。耽溺する。で、そこで、妄想の大海で溺れ死んでしまう。そんなのイヤだよね。

はっと我に戻る。5対5のイーブンにする。妄想5対非妄想5にする。バランスを取る。

湿っぽくなるよりもマシだよね。暗鬱となるよりもマシだよね。明るい方へ明るい方へ考えを進めて行く。考えが明るい方へ進めば、お爺さんだった明るい顔になる。貧窮の、弱り目祟り目のお爺さんだって、ふっと明るい目になるんだから。

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わたしの死後に、わたしの意識は残るのだろうか?

2024年04月12日 09時37分51秒 | Weblog

意識というのは、物質物体だろうか? 違うよね。非物質だよね。

じゃ、残るだろうか? 残らないだろうか?

わたしにはわたしの意識があって、わたしを認識している。わたし以外も認識している。嬉しがったり悲しがったりもしている。

この意識体は、わたしが死に絶えたときに、どうなるんだろうね。いっしょに死に絶えてしまうのだろうか?

わたしが死に絶えたのなら、わたしに服従している意識体もやはり死に絶えると考える方が自然かもしれない。

でも、独立体であったのなら? (ちぎれて二つに分離しても、それでも生き残るイキモノがいたよね、たしか)

もしかしたら、わたしの意識体は、死に絶えずに(死を選択せずに、松茸菌類のように菌を大空に飛ばして)生き残るかもしれない。雲のように春の大空に浮かんで。

そして、そこで主のわたしが蘇生してくるまでの間を、一人で活動をするかも知れない。

その一人活動の雲の意識体のことを、ちらりと想像していたら、楽しくなってきた。いないはずのわたしの、代用物となっている雲の意識体。だったらいじらしいじゃないか。

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イチゴによく似た花が開花

2024年04月12日 09時31分32秒 | Weblog

イチゴに似ている花をつけるから、ストロベリーなんとかという名があるのだが、その先が出てこない。

これは、苗を、冬場にご近所さんから分けてもらった。その後すくすくと育った。

なるほどイチゴに似ている。

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水芋は茎を食べる。茎がやや細い。

2024年04月12日 09時18分12秒 | Weblog

水芋は、茎を食べる。芋も食べられる。

おとっつあんが、これを好んで食べた。甘酢にして食べた。おとっつあんのおっかあ、つまり僕のおばばがよく料理をしてくれた。シャキシャキしておいしかった。少し、えぐみもあった。喉の奥が痒くなったりした。

今も我が家の畑にこの水芋が残っているが、我が家の者は是を苦手としていて、料理にあがらない。

そこで、水芋が除去されることになる。欲しい人には、もちあろん、差し上げるのだが、好き嫌いがあって欲しいという方になかなか出会えない。

除去は冷たい仕打ちである。で、全滅を避けることになる。種芋を残しておきたくなる。食べないのだから、無用だが、それでも。いまちょうど植え付けの時期。

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快晴。気持ちも晴れて来る。

2024年04月12日 08時55分24秒 | Weblog

快晴。晴れ渡っている。気持ちも晴れて来る。大空の色がいい。気温18℃。予報では、しかし、午後からは曇りマークになっている。午前中は、だったら、畑に出て過ごしたい。お風呂用の小さな丸座って座って草取りをしよう。それくらいならできる。草取りは、お爺さんのあれこれの心配事悩み事を取り去ってくれる。

新聞報道では、もうシャクナゲも開花したらしい。脊振山山麓までのバス道路の両側にシャクナゲが植えられているが、どうだろうか。標高が高いから、まだなのかもしれない。

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