9
「朝には紅顔があっても夕べには白骨」という諺もある。丸々一日は保証の限りではないが、今日を何をしていよう。何をして遊んでいよう。
秋雨前線もここへ来て遊んでいる。来るなとは言わない。そんな無粋でもない。昼からは本降りになるらしい。
9
「朝には紅顔があっても夕べには白骨」という諺もある。丸々一日は保証の限りではないが、今日を何をしていよう。何をして遊んでいよう。
秋雨前線もここへ来て遊んでいる。来るなとは言わない。そんな無粋でもない。昼からは本降りになるらしい。
8
今日という日はまるまる一日ある。一日というのは「まるまる」を含めている。たいしたものだ。そこに我が身を横たえている。己の好きなようにしてもいい。どうしていてもいいし、どうそれを判じていてもいい。
7
世の粋狂人は、侘びだの寂びだのと宣うて、もう少しマシな遊びに興じるが、己はそことは無縁だ。茶の湯もやらぬ。花も生けぬ。ただ畑に座って手を汚して泥土遊びをするだけだ。
6
この老爺は、いつもいい加減でだらしなくしている、それを、漫然と「遊び」と呼んでいるに過ぎない。あるいは自堕落と呼んだ方がいいかもしれない。
隣家の屋根瓦が小雨に濡れて光っている。雨が降り出してきたようだ。
5
老子も良寛禅師も遊戯三昧(ゆげざんまい)をしておられた。そこでそうして自在を味わっておられた。その三昧にただただ憧れる。この老爺は,老爺になるまで憧れるばかりで一生が過ぎてしまったけど。
4
幼児の児戯は無心だが、老爺はそうはいかない。
なかなか純雑の純な遊びの境地にはならない。この老爺の場合には遊びすらも雑然雑駁としている。
3
とにかく遊んでいればいい。何かを得る必要がない。得る手筈も整えなくてすむ。幼児の児戯に帰っていればいい。
2
何をして遊ぼうかな。己のやることなすことはすべて遊びの領域にある。真剣さというものをそこに含めていなくていい。
剣術でいうなら、「スキアリ!」ばかり。いつ討たれても構わない姿勢だ。
1
今日もまたまるまる一日になっている。そのまるまる一日をどうしていたらいいのかな。大空を行く雲さん教えてくださいな。
12
今日はいちにち何をして遊ぼうかな。いっしょに遊んでくれる人はいません。それを見込むと遊びになりません。協調性に欠けるこの老爺は、協調して遊ぶことができません。雨になりそうな雲行きです。心酔する禅者、鎌田茂雄さんの文庫本「華厳の思想」がしばらく相手をしてくれそうです。